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小学校のいじめに未だに囚われています

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 私は小学5.6年の時に軽度のいじめを受けました。具体的には「馬鹿」「ブス」などの悪口、腕をつねられる、よく分からない言いがかりをつけられる等の行為をされました。
 いじめっ子たちのことを見返すために必死に勉強、容姿を磨き、現在は大学生になりやりたいことも出来てあの頃に比べると幸せです。
 しかし、いじめっ子たちは10年経った今でも許せないし、とてつもなく憎悪を感じます。今も彼ら彼女らが平然と生きていることすら許せません。
 ここ最近、過去のいじめっ子たちに対する憎悪で心身の不調が続き、周囲の人たちにも迷惑をかけて良くないと思っています。
 いま恵まれた人間関係を構築出来ている分、過去のいじめっ子たちへの憎悪も酷くなり辛いです。
 どうすればこの苦しみから解放され、人生を楽しく生きれるでしょうか。

2023年8月25日 0:49

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

今、あなたはその人たちより十分に優っている自覚を。

拝読させていただきました。

過去に起きた苦い出来事は、誰もが執着心を生み出します。
しかし、現在は大学も行かれていることは少なからず過去の悔しさからも「アイツらより優れてやる!」と、そんなお気持ちもあったのではないでしょうか?

成長過程の理由は人それぞれですが、大半は「悔しい」と思うことから自身の種に火が点火していくものです。
探究していくと、誰とも競い合っておらず、人は自分自身に打ち勝つ「克己心」に帰着していきます。

これだけは確かといえることがあります。
人の悩み事は尽きないと説くのが仏教の立場です。しかし、悩み事が無くなれば安心という報酬が訪れます。しかし生きているということは悩み事は尽きないほうが良いと説くのも仏教なのです。
それは、悩み事という事象を「問題」と捉えると、「解決」を探究し始めます。
それは、ありとあらゆるすべての分野においてもです。
ですから、このようにまとまります。
「悩み事は面倒だが、悩み事の無い人はつまらない。悩み事があるから人は知恵を生み出すのです。」

成長過程には悩み事となる種があり、過去にもどることはできないからこそ、過去に囚われないために学びを取り入れていく力が、過去を見ない自信と変化していきます。

まだ現在はとらわれている心境ですが、もっと前に前に経験を積んでいくことで、思い出に変わる日が必ず到来すると信じてください。
他人の前で、「わたしは幼少期によくイジメられていた。」と笑って話せる人が多く存在します。
それは今、自信のついた自身があるから、過去に囚われないのであり、成長した証であり、過去の苦い思いを経験値として取り入れる心を構築されています。

悩んだ分だけ、知恵と努力の力が付くことを信じてください。

仏教の立場では過去の思いを振り返らない方法は。
・かたよらない心
・こだわらない心
・とらわれない心
の習慣を付けていくことであり、自身に執着をしないために、利他を推進するのです。しかし安易に心の環境を変えるのは出来ないのも事実です。
そのため仏教では精進という努力を取り入れます。

ご質問の内容から察しできますのは、前向きであり、努力家であり、まだまだ成長する気持ちが熱く伝わってきます。
今、心の休憩をあまりしていないのでないでしょうか。一日一回、寝る前にでも「今日も自分よく頑張った」と自分を褒めてください。

2023年8月25日 22:37
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