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小学校のいじめに未だに囚われています

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有り難し有り難し 13

 私は小学5.6年の時に軽度のいじめを受けました。具体的には「馬鹿」「ブス」などの悪口、腕をつねられる、よく分からない言いがかりをつけられる等の行為をされました。
 いじめっ子たちのことを見返すために必死に勉強、容姿を磨き、現在は大学生になりやりたいことも出来てあの頃に比べると幸せです。
 しかし、いじめっ子たちは10年経った今でも許せないし、とてつもなく憎悪を感じます。今も彼ら彼女らが平然と生きていることすら許せません。
 ここ最近、過去のいじめっ子たちに対する憎悪で心身の不調が続き、周囲の人たちにも迷惑をかけて良くないと思っています。
 いま恵まれた人間関係を構築出来ている分、過去のいじめっ子たちへの憎悪も酷くなり辛いです。
 どうすればこの苦しみから解放され、人生を楽しく生きれるでしょうか。

2023年8月25日 0:49

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

今、あなたはその人たちより十分に優っている自覚を。

拝読させていただきました。

過去に起きた苦い出来事は、誰もが執着心を生み出します。
しかし、現在は大学も行かれていることは少なからず過去の悔しさからも「アイツらより優れてやる!」と、そんなお気持ちもあったのではないでしょうか?

成長過程の理由は人それぞれですが、大半は「悔しい」と思うことから自身の種に火が点火していくものです。
探究していくと、誰とも競い合っておらず、人は自分自身に打ち勝つ「克己心」に帰着していきます。

これだけは確かといえることがあります。
人の悩み事は尽きないと説くのが仏教の立場です。しかし、悩み事が無くなれば安心という報酬が訪れます。しかし生きているということは悩み事は尽きないほうが良いと説くのも仏教なのです。
それは、悩み事という事象を「問題」と捉えると、「解決」を探究し始めます。
それは、ありとあらゆるすべての分野においてもです。
ですから、このようにまとまります。
「悩み事は面倒だが、悩み事の無い人はつまらない。悩み事があるから人は知恵を生み出すのです。」

成長過程には悩み事となる種があり、過去にもどることはできないからこそ、過去に囚われないために学びを取り入れていく力が、過去を見ない自信と変化していきます。

まだ現在はとらわれている心境ですが、もっと前に前に経験を積んでいくことで、思い出に変わる日が必ず到来すると信じてください。
他人の前で、「わたしは幼少期によくイジメられていた。」と笑って話せる人が多く存在します。
それは今、自信のついた自身があるから、過去に囚われないのであり、成長した証であり、過去の苦い思いを経験値として取り入れる心を構築されています。

悩んだ分だけ、知恵と努力の力が付くことを信じてください。

仏教の立場では過去の思いを振り返らない方法は。
・かたよらない心
・こだわらない心
・とらわれない心
の習慣を付けていくことであり、自身に執着をしないために、利他を推進するのです。しかし安易に心の環境を変えるのは出来ないのも事実です。
そのため仏教では精進という努力を取り入れます。

ご質問の内容から察しできますのは、前向きであり、努力家であり、まだまだ成長する気持ちが熱く伝わってきます。
今、心の休憩をあまりしていないのでないでしょうか。一日一回、寝る前にでも「今日も自分よく頑張った」と自分を褒めてください。

2023年8月25日 22:37
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有り難し
おきもち

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「変わりたい・自分を変えたい」問答一覧

自分は変われるのか、変わっていいのか

お世話になっております。先日はお忙しい中、相談にご返答いただきありがとうございました。 回答を受け自分を変えたいと奮起し日記や積極的に読書をするなど現在様々な挑戦をしています。が、ふと元の自分に戻ってしまうことがあります。そして以前のことを思い出し思うのです。 私は良く変われるのか?変わっていいのか?と。 前回の相談内容の出来事に至る少し前、数年前に一度大きく自分を変えようと試みたことがありました。 あるきっかけからそれまでの自分を省みて、内省と自問自答を繰り返した結果極度に自責思考になり自尊心を失いました。 なにかがあったらまず自分に原因がなかったか考える、責めない、すぐに怒らない、自分の感情だけで動かない、なるべくノーと言わない、できない約束はしない、気持ちははっきり言う、ということを徹底し 起きる物事には必ず自分に原因がある、自己責任と変換することでなにかのせいにしない生き方を心がけました。 そうしているうちにだめな自分を許したり認めてはいけないと思うようになったのです。 過剰な遠慮やネガティブで無用な気遣いをさせ、熟慮が過ぎて先方への不安や不満が募り一時はしなくなっていた愚痴が復活しました。そうして起きたのが前回の相談の出来事です。 幸いと言っていいものかこのような形で縁が切れたのはこの一件だけで、これではだめだと再度思い直すきっかけとして冒頭のような取り組みを始めた次第です。 しかし…会話で肯定や相づちを増やしつとめて明るく話していてもふとした瞬間ドジを踏んで相手の手を煩わせてしまったり、 愚痴を聞かせてごめんねと終わらせようとしたつもりが会話の流れで同じ愚痴に戻ってきてしまうことがあります。 こんなことがちょこちょことあり自分は自分のまま結局変われないのではないかという漠然とした不安があります。 自己啓発本やコミュニケーション本を読んでこれいいなと思ったことをやってみても数%しか実行できていない気もします。 たとえ1%でもできたなら前進なのでしょうか。私は少しずつでも変われているのでしょうか。変われているとしても前の変化のようにその過程で誰かを傷つけてしまわないでしょうか。それなら変わろうとなどしない方がいいのでしょうか。 とりとめのない内容で申し訳ない限りですが、よろしければお言葉をいただけましたら嬉しいです。何卒よろしくお願いいたします。

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心が狭い自分を変えたい

会社での昼食を一人で会議室で食べています。それが寂しいというわけではなく、誰にも気を使わず、ほっと一息つける時間だったのです。それを知った女性から一緒に食べてもいいか?と聞かれ、会議室が私の専用スペースというわけでもないので、一緒に食べていたのですが、その女性が私の同意を得る事なく、どんどん新しい人を招き入れるのです。皆んなで雑談などして和気藹々とはしていますが、誰にも気を使わず、ほっと一息できる空間が奪われた気がしています。 人が増えればそれなりに会話に気も使うわけですし、合わないと思う人とお昼まで一緒にいるというストレスも少なからず感じます。何より、その会議室に私の同意を得る事なく、勝手に人を誘っていることにモヤモヤしている気がします。一人になりたければ、私が違う場所に移ればいいわけですが、会議室を使っていたのは私で、彼女に悪気はないのかもしれませんが、マナー違反だと感じます。 私自身は普段、周りには割と社交的に振る舞っていますが、実はこのような心の狭い考えをしているのです。 でも、もしも彼女が誘う人たちから直接、ここで食べてもいいか?と聞かれたとしたら、断れないだろうなとも思います。 心では嫌だと思っても、少し配慮があれば受け入れられたかもしれません。 本来息抜きになるはずのお昼の時間が、気が重い時間になってしまいました。何とか前向きに考えを切り替えることができたらと思っています。

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変わるためには

お世話になっております。 私は現在フリーターとして働いています。 以前は公務員にあたる職業も経験しましたが、大きなストレスや将来への不安から辞してしまいました。 今の仕事の内容は性に合ったもので、勤務時間もそれほど長くないので続けることができています。しかし、その場所での正社員となると業務内容は変わり、働き続けられる自信がありません。 社会的地位の無さや、将来的な不安もあって、他の場所で正社員などを目指すべきだと常々感じています。 その上で、怠惰で傲慢な自分を変えねばそうはなれないと思われます。 それなりの大学を出ましたので、同期や友人などは大手企業や役所などで、立派な仕事をしています。 その為か、プライドが高く、自分が納得できる職業に就こうとずっともがき続けています。 最早自分の経歴では、同期のようにはなれないし、自分が一度目指した場所はとてもストレスの大きい場所で、戻る気にはなれません。 自分がしたいことを職にできるならば、自分を許せる気がします。ですが、自分のしたいことさえ最近はよくわからず、考えても考えても答えが出ません。 勿論、この考えが傲慢であることは理解しています。一度逃げ出した奴が何を今更、と客観的には思います。 ですが、そんな自分を変えることができないのです。無理に変えることも考えましたが、それは自分を捨てることになる気がします。 私はおそらく変わらねばならないのでしょう。けれど、現状はだらだらと同じ場所に居続けてしまっています。 どうしたら私は変わることができるのでしょう。

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自分を変える力が欲しいです。

はじめまして。 文章をまとめることや伝えたいことを相手にお伝えすることが苦手なのですが、頭のなかで考えていること、普段の苦しみを変えたいという気持ちで文章にしてみました。 お忙しいところ恐縮ですが、読んでいただけるだけでも嬉しいです。 毎日なにげなく過ごしているなかで良いことも悪いことも感じ、学んでいます。そのようなことをこれからの人生に取り入れたい、そのように変わりたいと思う気持ちはいくらでも考えることや人には指摘できるのに自分ではこのようにやってみようと思い試してみますがなぜか不安になります。不安を感じやすく、イライラしてしまい、ときには攻撃的になってしまい後悔の毎日です。 私自身に余裕を作る方法も見つからないです。誰かに話すことも嫌われていると常に不安なので悩みを聞いて貰うことにも勇気がでないです。いじめにあっていたことや私の性格、精神疾患のことなどで前向きに考えることができないです。 誰かの訃報を知り、その方の人生から感じることや学ぶことがたくさんあり取り入れたい、旅立つときに私自身は後悔が少ないような、残された方々にも涙を流すよりは笑って貰えるような人生にしたいと考えることはできますが、どのようにしたらそのような過ごし方ができるのか見つけることを諦めそうなときがあります。 生きている今も地獄のように苦しですが、亡くなったあとのことを考えることが増え生きている今も死後も地獄と考えてしまいます。 毎日が暗いので自分の人生に過ごし方に光が差すような過ごし方ができるようアドバイスをいただきたいです。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ