生きている意味も価値も見出だせない
独り身です。この先もずっとそうだと思います。
だからこそ将来のためにお金を貯めないといけないと、頭ではわかっています。
でも私は仕事が上手くいきません。
若い頃は純粋にやりたいことが色々あり意図的に色々な仕事をしてきました。
転職回数2桁を超えた頃、流石にそろそろ転職を最後にしようと決意。
それでも、辞めたくなる理由が出来たりして、更に転職を繰り返しました。
転機となったのが郵便局。
仕事内容も自分に向いていると感じ、人間関係もよく、上司も同僚も全員を信頼できる職場で、パートだけどずっとここで働こうと、ついに終着点を見付けました。
数年後
コロナがまだ今ほど蔓延していなかった時、濃厚接触者に接触したことで2週間のお休みに。
休みがあけたら休んでいた分頑張ろう、と思っていた矢先、在籍の長い同僚からLINEが長文で送られてきました。
戻ってくるな、迷惑だ、みんなそう思っている。
という内容。
上司のフォローもあり出勤してみると、ほぼ全員からウイルス扱いされました。
一番信頼していた方も「風当たりが強いけど我慢してね。ここはチームワークだから」と。
ショックが大きすぎて、Twitterに事のいきさつを書いて、家族に死ぬことを連絡したのが昼休み。
夕方の休み時間、郵便局の屋上から投身するつもりでした。
そしてその時間、死ぬ前に遺書を…と思いスマホを開いたら、Twitterで寄り添うように言葉を書いてくださった方々がいて、大泣きしながら投身はやめました。
それからは短期の仕事を転々と。
郵便局で人間不信になりましたが、短期の仕事では人に恵まれたので、それも治っていきました。
母からは正社員になるようにとずっと言われ続け、漸く正社員の求人に応募。
採用前提という面接で、「職歴汚いのわかってる?汚いね」と笑われ、「真面目そうに思えない」など散々に罵られ、何故かそのまま採用されました。
辞退する勇気がなく入りましたが、仕事内容も人間関係もきつく、毎日苦しいです。
そして今になって郵便局の人達の夢を毎日のように見るようになりました。
しんどいです。
親は75歳。
姉は正社員で家庭もち。
私は散財家で貯金もなく、得意なこともなく、不細工で太っていて醜くて、何も持っていません。
生きている意味が全く見出だせません…。
あの時投身していればよかったとずっと考えてしまいます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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生きているのに意味なんて要らない。だって…
しろさん、こんにちは。あなたの切実なお悩みを伺い、少しでもお力添え出来ればと願いご回答申し上げます。
きっと郵便局時代の強烈な出来事がしろさんのなかでかなり強く体験的記憶として残り、心のなかで悪さをしているのでしょうね。大変なご苦労をなさったと思いますし、今も思い出される度お辛いでしょうね。心ばかりお察し致します。その傷が十分に癒えぬうちに、(頑張って)転職活動に踏み出されたのではなかったでしょうかね。だからこそ、面接で「職歴汚いのわかってる?汚いね」「真面目そうに思えない」などの言葉がダメージになったのだと思います。拙僧には少しばかり会社勤めの経験もございまして、実は転職活動をお手伝いする仕事をしていた事もありましてよく面接に同行していたのですが、たまにこういう「人の経歴をイジる方」いましたよ。でもたいていそれはなんというか、悪意はなく、打ち解けようという狙いであったり、あるいは虚を突かれた時にどう反応する人物かを見極めようとという事であったり。しろさんもその面接で採用になったということですから、どちらかだったのかもしれませんね。
私は長らく「生きる意味」というものを探し回ってきた口でして、若い頃には随分迷走したりもしたのですけれどもね。不惑の年を過ぎて思いますのは、(意外にも)本来そういうものは無いなってことなんです。しかし、それは決して生きる価値がないということではなく、むしろ“逆”なんでございますよ。これは仏教のよく言う所ですが、私らはどう見てもこれは「生かされている」んですね。ちょっと自分の体に目を向けてみますと、心臓が勝手に動いて呼吸も止むこと無く動いて、血液やらリンパやらも循環している。頭の中だって勝手に動いてますでしょ? ですから“煩悩”といって、考えたくもない余計なことまでも考えてしまったりするわけですが。でもそのすべてがあって、私たちは生きている。生かされて生きている。本来無一物、いのちの隙間に意味なんてものが入り込む余地は無い。苦しいことも沢山あるんだけれども、こうして生かされている。おかげでこうして生きていられる。存在出来ている。それは、それだけの“価値”があるからでしょう。拙僧はしろさんとご縁を頂けて嬉しいですよ。わずかでもしろさんの苦しみに触れられてお話しをさせて頂けて幸せですよ。それもあなた様の“おかげ”でございます。
そわか合掌