得度に関して
私は、海外在住50代の女です。真言宗にて得度をうけたいと考えています。尼僧になるのが、目標ではなく これから仏道の道を歩み、学んで行きたいという決意です。自分でできる限り調べておりますが、女の得度については情報がなかなか見つからずにいます。師となって頂きたい方がおります。お遍路の大雨の中避難先ののご住職です。もし受け入れていただけるのであれば、年に一ヶ月くらい 住み込みで勉強させていいただきいと思っています。お手紙にて思いの丈をお伝えしたと思っているのですが、このように突然見ず知らずの一度お会いしただけの私のようなものが、このようなお願いを送って失礼はないのだろうかと一歩踏み出せずにおります。私の住む街の寺院名を仮にAとBとさせていただきます。
寺院Aには、ご住職にお願いしまして、お掃除をさせていただいております
週末外庭とお掃除、その後依頼されて納骨堂(期間限定)のお磨きをさせていただいており、2年が経過しています
特に感謝の言葉をお声がけいただくこともなく、自分自身の修行であり感謝の言葉を期待すべきでないと言い聞かせています。一度、ご住職に仏道に進みたいと相談したものの、写経に参加しなさいという回答のみでした。
寺院Bの先生は、私が得度を受けたいと思っている師の元で、修行をされています。それがわかったのは、その寺院にて避難させていただいていた同じ時に、いらっしゃいました。
この先生は、少しずつですがこの寺院にて学んで行ってはいかがでしょうと行ってくださいました。実際、専修学校にいくお金を今工面できないために、日本に行けない間は、こちらで学ばせていただこうと思っています
ただ私は、どちらの檀家でもありません。同宗派とはいえ自分の寺院を一つにするべきとと思うのですが、いかがでしょうか?寺院AもBもご住職は、日本語でないため、日本本語の話す師のもとで得度し、前進していきたいと思います。
師を日本にもち、寺院Bの先生に学び 寺院Aにてお磨きさせていただいたいと思うのは、欲張りなのでしょうか?また、現実的な金銭的なお話ですが、得度をお願いする際に、どれくらい用意しておくべきかアドバイスいただけますでしょうか?、またその師には、毎月、または毎年お礼として上納するのでしょうか?
まとまりのない文章で失礼いたします。
ご意見をお聞かせいたけましたら幸いです。ありがとうございます
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
手続き的なことは宗派の事務機関に問い合わせた方が近道です
私は真言宗の宗侶ではないので、一般的なお話しになります。申し訳ありません。
得度は、「この人に」と思える師匠を見つけてお願いするのが本来の姿かと思いますが、実際には各宗派の制度上の手続きの問題でもありますので、やみくもに個別のお寺に尋ねるよりも、地域のお寺を所管する事務機関(宗務所とか教務所と呼ばれることが多いようです)に問い合わせた方が良いように思います。特に海外では日常の事務の他に布教教化の拠点となっている場合も多いでしょうから、過去に同じようなケースを取り扱ったこともあるかもしれません。
個別のお寺、お坊さんには個別の事情があり、かならずしもご希望通りに行くとは限りません。お坊さんの側から見れば、得度させるということは弟子にするということですから、ある程度その将来に責任が生じます。真面目に対応してくださる方ほど、どのような人物がどのような理由で得度を希望しているのか納得してから得度の可否を考えたいと思われると思います。そのためには得度を希望する側が、よくよく意志を説明して説得することが必要です。得度はクレジットカードの入会とは違いますから、申込書を送って審査が通れば、はいOKということにはならないと思います。
お坊さんの集まりである宗門といえども生身の人間が集まっているところですから、中に入ってしまえば世俗と同じ人間関係のしがらみもあります。仏道修行といっても、今現在想像されているものとはずいぶん違うところが多いと思います。
実際に私の知り合いのお坊さんにも、熱心に頼まれ善かれと思って一般の方を弟子に取り一切の支度を整えてあげて修行に送り出したのに、ある日突然、「こんなの私の思っていたのと違う。騙された」と罵倒されて、それきり音信不通というケースもありました。
お互いにがっかりしないように、よく実情を観察した方が良いように思います。
現実に、仏教の勉強と精進は得度しなければできないということもありません。真言宗には一般の方でも仏様と正式に佛縁を結んで下さる結縁灌頂という法式もあると伺っています。ご希望ならばそうした法要にも参加しながら、もうしばらく自由に複数のお寺とご縁を頂いて、より良い時期が来るのを待たれることをおすすめします。
質問者からのお礼
ありがとうございます。私が思っていなかった角度でのお言葉でした。仰るように、今は焦ることなく時期をまってみたいと思いました。お時間をありがとうございます。