労働がすべての毒になっている
労働がただの苦役でしかないから虐待や虐めがなくならない。だから世を恨むことしかできない不幸な人間が量産され続ける。でもそういう不幸な人間を救いたいと思うような余裕のある人間はもうこの国にはいないし、不幸な人間が本当に救われるには「誰とも関わらなくていいくらいの金銭を労働なしに受け取る」しかないのである。不幸な人間にとって、自分以外の他者と関わることそれ自体が毒である。
普通に生きていられる人間だって労働に囚われている時点で不幸にしかならない。将来の安定もなく、ただただ自分以外の気持ち悪い人間に時間も労力も金銭も吸い取られる。不幸のエネルギーがこの世界を支配している。この世界の空気が猛毒。現実なんて毒でしかない。
労働が不幸の種でしかない。だから生きている人間はみーんな不幸。つぶやき欄にヒビ寄せられる呪詛、本当に見てます? 「この世界から去る権利」はどうして得られないのですか?
でもどうせ私はこの世界から「死ね」と言われるような無能で呪詛の塊なのでだーれも見向きしてくれない。結局は選民思想。綺麗な人間だけに生きてほしい、汚い人間には死んで欲しい市民感情が何よりも力を持っている世の中。自分よりも楽をしている人間はずるい。誰もがそう思ってるから足を引っ張る発想しかできない。あーやだやだ。人間って本当に気持ち悪い。生きているって本当に反吐が出る。
いいですか、世界がこんなことになってしまった以上、自殺できる人間のほうがずっと賢いんですよ。「生きることは害悪でしかない」という真実を実行できたのだから。働けなくなった人間に人権なんてない。働いている人間の人権すら保障されていないのだから。
こんな世界にポジティブな感情を持つ方が難しい。でもこの世界を美しいと讃え、生きていることを喜べと言う。生きていることを望まれた人間とそうでない人間には決して埋められない溝がある。自分じゃない、もっと綺麗で理想的な何かになることを強要され、辛い時にはいつも「あなたが悪い」で片付けられた。だから世界への恨みがいつまで経っても消えない。でもそういう人間は傍目から見ると気持ち悪いから誰もが遠ざかる。でもその人にとっては孤独な方がずっと楽。自分以外の人間は敵だから。
この世界に人権なんてない。そもそも、生まれた時点で争いに巻き込まれる。だから今の奇跡に感謝しろったって、将来がないのだからどうしようもない
苦しみが避けられない「生命」というシステムを心の底から憎悪し、「存在していたくない」としか思えない。 否定されるのが当たり前すぎて何もする気が起きず破滅思考気味。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
確かに、動物というのは生まれついたときから生存競争のただなかに放り込まれるものですから、『争いが苦手』な個体は自然の厳しさに死んでしまうでしょう。
人間も自然の中で生きるなら狩りや採集などの労働を好む個体しか生きられないでしょうね。
社会を作り、たくさんの人の労働をまとめてする人が現れ、他の個体の手が空く。
そうしてできた余裕により、自然では生存できなかった個体が生存できるようになっていったのは事実です。
もしかしたらあなたは自身を“自然の中では生存できない個体”と定義されているのかもしれません。
しかし、実のところ人間社会は複雑になり、誰も全貌を把握できていないのではないでしょうか?
だから、きっとあなたが気持ちよく命を全うできるところがありますよ。
例えば、あなたが自身の命に価値を感じなくとも、あなた方の存在のために時間を捧げ、虫や小動物の世話をすれば数十~数百の命を養うことができます。
世話をされる動物にとって、あなたの命の価値は世界と同等にまで跳ね上がるでしょう。
あやふやなんです。
社会なんて。価値なんて。
一見した現代社会の価値観にとらわれて、労働が悪だとか、死ぬ方が賢いとか、そんなことを言うのはやめましょうよ。
愛するもの一つ見つけるだけで、そんな価値観壊れますから。
何を受けとるでしょうか
拝読させて頂きました。
あなたがその様にこの世の中や社会や人間を思うお気持ちはわかる様には感じます。表面的な人権尊重を言うならばそれは薄っぺらなうそいつわりにしか聞こえないでしょう、この世の罪悪や愚かさを見れば吐き捨てたくなる様にも感じます。
あなたがその様に世の中を・世界を・人々を・我が身を思うことは自由かと思います。あなたはあなたらしく思い考え感じて生きることができるのです。
この世で生きている中で私達自らが害悪や毒を作り出して罪を重ねていることがあるでしょう。その様なこの世ではあります。
とはいえ、あなたの身の回りには様々なものごとがあるでしょう。
何気ない道端にはアスファルトの割れ目をかいくぐって伸びやかに咲く名も知らぬ美しい花があるでしょう。あなたにしっかりと美しいその存在を見せてくれるでしょう。
山に登れば多くの木々が天に向かって枝を伸ばし緑豊かな葉々を広げているでしょう、その中で多様な生きものを育んでいるでしょう。
田舎を訪れれば汗水流して一生懸命に稲を育てておられる農家の方々の姿を目にするでしょう。天地の恵みをいっぱいに吸収した黄金色の稲穂の波を目にすることでしょう。
南の海に行けば様々な色をした魚たちがマリンブルーの海を群れを成して泳ぎ、その豊かな海の幸を命を懸けて漁をする漁師さん達の姿を見ることができるでしょう。
そうした数多の生きる姿をご覧になった時にあなたはどうお感じなさるでしょうか、どう思われるでしょう、何を受けとるでしょうか。言葉では言い尽くすことのできない様々な現象が実情があなたの目の前に存在するのではないかと思います。
ゆっくりと心を落ち着けて穏やかにあなたの周りの大きな世界を眺めてみるとうそいつわりや毒や罪悪ではないものもあるのではないでしょうか。また違った世界も未来も垣間見えるのではないでしょうか。
もしも可能であるならばあなたの知らない多くの土地や世界を見に行ってみて下さい。きっとあなたをしっかりと受け止めて下さるところが人々がいらっしゃるでしょう。
そして神仏はあなたのことをいつも受け止めお見守りなさっていて下さいます。
あなたを心より応援させて頂きます。
世俗のルール
お坊さんも社会人の一因なので、世俗のルールに縛られます。
つまり、自殺を推奨する発言は立場上できないのです。
私から言えることは、あなたが普段から南無阿弥陀仏と念仏を称(とな)えていれば、仮に自殺しても極楽浄土に往生できますということです。
一切行苦。一切皆苦。
生き物から苦しみは無くなりません。
普通に死んでも来世がもっと酷い可能性もある。
だから私達は、阿弥陀仏の救い(極楽浄土)にすがりたくなるのですね。
なむあみだぶなむあみだぶ
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質問者からのお礼
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労働は毒。労働は毒。労働は毒。労働は毒。労働は毒。労働は毒。労働は毒。労働は毒。
どれだけ内心の自由や愛を持ったところで、容易く世間の価値観に潰されます。誰かの役に立ち、誰かの利益になり、金銭を得なければ生きる権利が与えられないからです。
世間一般の価値観が辛くて労働できなくなり、自分でも生きられる場所を一緒に探してくれることを期待して就労支援施設に関わると、「日本型企業にはあなたの居場所はない」と言われました。辛くて気持ち悪くてたまらない世間一般の価値観に合わせるよう言われました。だから、結局、この世界は私を歓迎してはいないのです。私に「死ね」と言っているのです。
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これがこの国の現実です。
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「あなたにも生きられる場所はあるだろうけど私の目の前にはいないで欲しい」というのが社会の本音。無能に人権はない。