生きる意味がなく、絶望の連続です。
こんにちは。
私は、今年で24歳の女性です。
今年4月から、新卒で入社した会社にて、介護業務に努めていましたが、4月末に適応障害となり退職しました。
その2ヶ月後には実家に戻り、安静に過ごしていましたが、常に頭がぼーっと動かないという状態に襲われ、現在まで休養を中心に転職活動をしていました。原因不明で、現在も心療内科に通院しています。
転職活動をしなければならない、という
気持ちはあるのですが、「どこにいっても自分はだめな人間だ」「新しく人と関わることが怖い」「自分には価値がない」「前の会社を辞めなければ良かった」などという思想が巡り、「死にたい」と思います。
ですが、私が死んだ後、親が死亡届を書く
様子や、友人が自分を責める様子、などが
予見され、自死を自制しています。
付加的な出来事ですが、つい最近、好きだった人とも上手くいきませんでした。不幸の連続で、本心では死にたいです。どうしようもなく死にたいです。
この先、私に幸福が舞い降りるとは思えません。既に絶望の数々を目の当たりにしているので、自然死するのに何十年もかかるかと思うと、まるで生ける屍のような気持ちになります。
このような鉛のような気持ちをぶつけてしまい、本当に申し訳ございません。この苦しみは、どこにも行き場所がなく、私の内側で日に日に増幅していってしまいます。
一体どう生きていけばいいのでしょうか。
他者比較 過去の自分への自己嫌悪 夢や希望がない 好きなことがない、趣味がない 生きがいがない 特技や能力のない自分を愛せない 欲の多さ
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
生きる意味って、必要でしょうか?
こんにちは。ふるたにこうだいと申します。
ご相談、拝見させていただきました。
絶望の数々を目の当たりにし、この先の未来に幸せは訪れないと、そう思って苦しんでいらっしゃる。
こういう時、私はすごくもどかしいんです。
きっと私とあなたには今見えている景色も違うでしょうし、私にはあなたの苦しみを代わってやることもできません。
いくら「まだ若いんだから」と言葉をかけても、そら寒い無責任な発言に聞こえてしまいますよね。
なので、事実をまずはお伝えしますね。
ある程度長く生きると、得をすることが多いんです。
嘘だと思うかもしれません。周囲にいる人に聞いてみてください。
60代になって「20代で死んでおけばよかった」なんていう人、私は会ったことがありません。
同じ日は二度と訪れないのだから、毎日違ったチャンスも巡りますし、違う景色も訪れます。
生きる意味なんてなくても、その流れに身を任せてみることで
案外びっくりするほどの幸福が手元に降ってくることだってあるんですよね。
もちろんそれは長く生きてみないとわからないことですし、こんなふうに幸せになれますよ、なんてことはわかりません。
何もしなくたって、目的がなくたって、生きていること自体に価値があるのだということです。
焦ったり「転職しなきゃ」と躍起になる気持ちも、今はそっとどこかにしまっておいてください。
ガソリンのない車にエンジンがかからないように、身体にエラーが出ている時は頑張る時ではないですよね。
よく寝て、綺麗な水をたくさん飲んで、しっかり寝て、興味を持ったことに没頭する。
その時間を作ってみるのもいいじゃありませんか。
流れに任せるのも、濁流に飲ませるのも、一度立ち止まるのも人生です。
「こうでなきゃいけない」は手放して、
あなたがあなた自身を大切になさってください。
絶望はあなたのせいではありません
いくみ 様 相談ありがとうございます。
適応障害になったのは、そこに居ては、もっと辛い苦しい症状になるよ!という心のサインです。ですからそこを離れて休職や転職の方法は良いと思いますし、自宅で静養、ぼーっとしていてOKです。
さらに、適応障害になったのは、他人はどうあれ、あなたにとって嫌な体験で、それを脅威に感じて、心が気持ちが順応しなくなったのです。この脅威の感情から、心が順応しなくなるのは、人間本来の反応です。脅威感情に入ると脳が本能的に防衛反応を起こしますの順応しなくなるのです。
つまり、適応障害で動けない、ぼーっとしているのは、あなたのせいではありませんし、あなたに責任はありません。自分をダメな人間とか、価値がないとかで自分をせめたり貶めたりする必要はありません。まずそのように思うことです。
そして、心を安らかにする必要があります。ゆっとりとした自分のリズムの呼吸をして、吸う息と吐く息に集中して心と体をリラックスさせてください。瞑想のように、ゆったり座って心と体を落ち着かせましょう。
そこから、今度は自分に思いやりや優しさを向けていきましょう。例えば、心が安らかで温かさを感じた時を思い出したり、親友や恩師など最も信頼できる人が今、傍にいるとしたら、その人に包まれているようなイメージをもって、その人があなたにどんな優しい言葉をかけてくれるのか、想像してみましょう。
ゆったりとした自分のリズムの深い呼吸のままで体をリラックスさせて、心を安らかにしてイメージした最も信頼できる人、その人の言葉を受け取ってみましょう。
こうして、日々自分に思いやりを向けることで、段々と自分のペースで物事を考えられるようになり、転職活動などをポジティブにこなせるようになってくるでしょう。やがて絶望感から解放されて、生きる意味が自分なりに納得いくようになっていくと思います。「自分への思いやり」参考にしてください。一礼
追伸:お礼メッセージありがとうございました。思いやりを育むサポートををしておりますので、絶望や辛い気持ちが続くようでしたら、どうぞ遠慮なくご利用ください。この度のご縁に感謝申し上げます。再礼
質問者からのお礼
ふるたにこうだい 様
この度は、質問にご回答下さりまして、誠にありがとうございました。
ふるたに様の温かいお言葉の数々のおかげで、一度立ち止まることを選択する自分を肯定することができました。きっと、誰かにこのようにして、「大丈夫」と声をかけて欲しかったのだと思います。
水のように美しい心で私の悩みを受け止めてくださり、私自身の心も洗われたように思います。本当にありがとうございました。
釋 孝修 様
この度は、質問にご回答くださり、誠にありがとうございました。
「自分への思いやり」、これは今の私に1番欠けているものであり、なおかつ補うべきものだと気付かされました。
思うに、自分に優しくできない人は、人にも優しくできないのではないかと。社会的で世間的な価値観に決して溺れることなく、自分自身の心を優しく育てていきたいと思います。
素敵なお考えを共有してくださりまして、本当にありがとうございました。