世の中に役に立つこと
こんにちは。
私は軽い発達障害で、あまり仕事がうまくできません、なので家事手伝いをしています。
私は脳がうまく動かなくて休んだりじっとしたり、ゆっくり動かないと活動できません。
そのことがたまに理不尽というか窮屈に思えて、何のために生きているんだろうと考えることもあります。
それで、私はどういう形で世の中に役に立てるのだろうと思って聞きたくて質問しました。
仏教には徳を積むという考えがあって、役に立つことをすると良い魂になって来世でより良い人間に生まれ変わると聞きました。
それは本当なのでしょうか?
私はまた苦しむことになるのなら生まれ変わりたくないなとかも思います。
私が今できるより良い行いとは何なのでしょうか。
お坊様は、良い魂になるということを信じていらっしゃいますか?
不自由に生きる私にもできることを良かったら教えて下さい。
よろしくお願いします。
人と比べる 時々感情が吹き出してきても、我慢して平静を装い続ける、見栄を張ってしまう 人を信用できない 後ろ向きになってしまう
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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あなたは生きているだけで世の中の役にたっている
ハル様、おはようございます。ご質問をありがとうございます。
今日はどんなご気分ですか?
今から少し問題を整理して考えてみましょうね。
私は思いました。
ハル様が真面目に世の中の役に立ちたいと心から思っているだけでもとても素晴らしいな、と。
そんな聡明な方はなかなかいないですよ。
哲学的に考える才能もおありだから、たくさん悩んだり考えるのだと思いますよ。
悩むって辛いけれど、乗り越えたら成長を感じられるし人間らしいことだと思います。
ハルさんは自分としっかり向き合っているからこその、生まれる悩みに感じます。
家事をスキルアップするだけでもプロになれますよ?
整理収納アドバイザーなど色々あります。
お料理、お洗濯も極めればマッチングアプリで結婚してください、なんてアプローチされるかもです笑家事が苦手な人いますから。
生活を楽しむことが充実なんだと思います!
何か特に楽しめそうなことはありますか?
就労移行支援は利用したことはありますか?
ボランティアもいいですよね。そこから仕事に繋がっり、友達ができるかも?
これだけでもすれば、十分役に立っていますよ。
なぜなら家事でご両親を支えている、ご両親は社会と繋がっていますからね。
お花に水を上げるだけでもお花の役に立っている。
何だか、SNSとかを見ると
「ニートは駄目」みたいな傷つける言葉があります。
ですが、好きでニートをしているのではなくて、立ち直れないことが重なり、偶々今ニートを引き受けざるを得ないだけですよね。
「一生ニートで開き直ってやる、ニートは楽だぜ、アハハ!」という人の方が少ないと思いますよ。
それにハル様が質問をされたから、私はこれを書いているので、言い換えればたくさんのひとの役にたっていると言えますね。
「仏教には徳を積むという考えがあって、役に立つことをすると良い魂になって来世でより良い人間に生まれ変わると聞きました」
色んな考え方がありますが。少なくとも私はこんな風に考えたことはありません。
ハルさんはこれから色んなことにチャレンジするだけで、自分軸で生きられるようになってきますよ。
他人の原動に振り回されているから辛いのかも知れませんね。
簡単な資格、カルチャースクール、ボランティア、何でも負担のない範囲で始めてみてくださいね。
心が決め手なので、
自分が人や世のためにどれだけしてあげられるかだけで徳が決まるものでもありません。人が自分のためにしてくれることをどれだけ心清らかに一緒に喜べるか、そして普段の自分がどのような心で生きているかによっても、徳が変わります。
病院や介護施設などで、あるいは近所でも、困っている人を助けてあげたいけど、なんだか助けてよかったと思われる人とそうでない人がいます。
心が穏やかで、誰かと接するときいつも相手の幸せを願っているような人に対して何かをしてあげると、してあげたこちらのほうが嬉しくなるほどです。やってもらって当然という態度や逆に文句などを言われたりすると、やってあげてもがっかりします。
言葉や行動より先に心が影響し合うので、心清らかでいると、助けてもらうときも「申し訳ない」ではなく感謝の気持ちでいると、どちらも徳が積めます。
仏教では普段の心の木をつけよ、と教えます。何かを言ったり行ったりするよりも何も言動しないときのほうが多いので、その普段の心を、いつも清らかになるように気をつけていれば、心の行いで徳が積めると見ています。
だいたい三段階で、私が幸せでありますように、私の周りの生命が幸せでありますように、それから、生きとし生けるものがみんな幸せでありますように、という気持ちをいつも心に作っていれば、大丈夫です。
生きる意味とか価値とか徳とかいうものは、各人のスキルの違いに依るのではなく、そういう心のあり方による、と仏教では見ています。
質問者からのお礼
丁寧な回答をありがとうございました