愚かな過去
私は数年前、とある施設の女性トイレに私自身の携帯電話を置き、盗聴するという愚かな行動をしました。
警察に通報されたわけではなく、相手の方が気づいていたのか、気づいていないのかはわかりません。
お相手の方は、全くの他人であり現在何をしているのか知ることはできません、その時に私自身、法によって裁かれ直接相手の方に謝罪ができていればと悔やむ毎日です。
ネットなどで、盗聴や盗撮などに被害に遭われた方の事を見たり、聞いたりすると心から傷をつかれた方が沢山目に入ってきます。
私もお相手の方の心、そしてその周りにいる方々の心に大きな傷をつけてしまったと思っています。
お相手の方は今、生きて幸せになっているのだろうか、それとも私の愚かな行動で、心に傷をおって、自ら命を絶ってしまったのではないかと思ってはいけないことを思ってしまっています。
ならば、私も自らの命で、償うべきではないのかと思い、日々葛藤する毎日です。
私は現在、その方が幸せに生きていると願い祈り、そして謝罪をしながら日々生きて
おります。
そして自分勝手ながら、人の心を助けたいという夢も見つかりました。でも、誰かを傷つけた私なんかに人を助ける夢などという言葉があっては良いのかともおもっております。
もうお会いすることのできない方に、幸せに生きていてほしいという願いを届けるためには、私はどのような心を持ち、どう行動していけばいいのか教えていただけないでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
今は無理でも心に小さな灯火を
浄土宗では、どんな悪人罪人でも
南無阿弥陀仏
なむあみだぶなむあみだぶ
なむあみだぶなむあみだぶ
と、阿弥陀仏の名前を称(とな)える念仏を行えば、来世で極楽浄土の菩薩様に成れると言われます。
菩薩様とは、仏様の見習いです。
そして、極楽浄土の菩薩様は不退転の位という悟りの段階に達しており、いずれ必ず仏様に成れるのです。
仏様は、他者を悩み苦しみから救うスーパー師匠です。
つまりあなたは、今は他人を救うのが無理でも、
なむあみだぶなむあみだぶ
と念仏していれば、来世以降で生きとし生けるものを救う菩薩様、仏様に成れるのです。
今は、「いつか私も生きとし生けるものを救えたら良いのにな。全宇宙の生きとし生けるものがもれなく幸せになれたら良いのにな。」
という願いの灯火を、心の中に灯しておくだけでけっこうです。
阿弥陀仏という大きな大きな光明は、やがてあなたの小さくささやかなその灯火を、迎えに来てくれます。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
日々願いの灯火を心に祈り生きていきます。