師弟関係でいつも同じような壁にぶち当たる
お世話になっております。
自分自身と習い事の先生との関係が昔から同じパターンを繰り返しており、少し苦しくなってきたので相談させていただきます。
私は4月から大学で教えるようになり、自分の未熟さ、ダメさを思い知らされると同時に、先生といえども完璧な人などいないし、皆、弱さを隠して生きてるんだな、だから誰に対しても完璧を求めるのはやめよう、と思えるようになりました。
私自身は、これまでピアノの個人レッスンで、芸術的には尊敬できるけどすごく癖の強い、モラハラとも言える先生に師事したことがあり、そのモラハラが嫌になってやめてしまったことがあります。ピアノそのものの技術的なことをほとんど教えてもらえず、人生教訓的な話や、愚痴や、私に対する否定発言が増え、辛くなってしまったからです。
そして今は、ピアノではないのですが、あるスクールに生徒として通ってます。その先生が、普段はすごく優しくてピュアな心の人で、レッスンも楽しいのですが、時々、私の性格や生き方をバッサリと否定する発言をしてくるようになりました。といっても、根拠なく言ってるのではなく、私のレッスンでの取り組みや発言から、私の弱さを見抜いているようで、全く的外れではないのですが、お説教のような、やや脅しのような発言が増えています。モラハラとまではいきませんが、なんだか以前のピアノの先生との体験を思い出し、息苦しさや威圧感を感じます。この先生は、教えるべきことはちゃんと教えてくれているので、前のモラハラ先生とは違います。でも似ているところとして、どちらの先生も、実は自分に自信がなく小心者なところ、そして、私が何気なく言ったことや質問に過剰に反応してムッとするところ、私が反論すると気を悪くしてその場からいなくなること、など。つまり、ちっちゃい奴らなんです。どちらも男性なのですが。
私はなぜいつも、ちっちゃい先生を引き当ててしまうのでしょうか。私は確かに質問が多いですが、先生というのは、質問されるのが嫌なのでしょうか。それでも、今の先生にはまだ教えてもらいたいことがたくさんあるので、今去ることは考えられません。完璧な人間などいないとわかってますが、こういう先生と、教わるべきことを教わりながら、どう関わっていけばいいか、ぜひアドバイスをお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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欲・怒り・怠け・プライドの煩悩
煩悩とは、悩み苦しみストレスの原因になる悪感情のことです。
私たちが日常生活でよく発生させる煩悩は、欲・怒り・怠け・プライドです。
欲は、好きなこと楽しいことにくっつこうとする煩悩。
怒りは、嫌いなことムカつくことを拒絶する煩悩。
怠けは、気を抜きたい手を抜きたい休みたい煩悩。
プライドは、自分を素晴らしいと思いたい、自分の価値や評価を気にする煩悩。
偉大な先生にも、欲・怒り・怠け・プライドはあります。
だから、何かの拍子に欲・怒り・怠け・プライドが生じます。
また、生徒にも同じように煩悩があります。
つまり、煩悩がある者同士、「お互いさま」だと思いましょう。
質問者からのお礼
願誉先生、いつも心に響くお答えありがとうございます。
考えてみればその先生は、私の欲や怠けを指摘してきており、逆に私は先生の怒りプライドを感じています。煩悩まみれの師弟ですね(^^)v
お互い様と大らかな気持ちを持ちたいと思います。
ありがとうございます。