宗教心って?
いつもお世話になっております。最近、「宗教心とは何か」と
いう事を考えています。
私が考える宗教心は、
「目に見えないものに縋ったり拝んだりするだけじゃない。
人に慈しみと感謝を持って行動する心が主」
「どんなトラブルが起こっても、不確かな情報に惑わされたり
うろたえて間違った行動をとらないよう、冷静に対処できる
心を養うための心の拠り所」
だと思います。それが、仏教含め、世界中の宗教の共通項だと
思っています。
なので私は、毎日科学関係の本や記事とにらめっこをしています。
不確かな健康情報に惑わされないようにするため、また、自分が
どのような状態かを知るためです。これも仏道修行と思っています。
世界にはさまざまな宗教問題があります。仏教では、スリランカ
での仏教僧団による、ムスリム弾圧。身近なものだと、霊感商法・
開運商法。
アインシュタイン先生のお言葉に、
「宗教なき科学は不具、科学なき宗教は盲目」
というものがあります。アインシュタイン先生は、ルーズベルト
大統領に送った手紙をきっかけに原子爆弾を発明してしまった
ことを、大変お悔やみになったそうです。
私が尊敬する科学の先生で、とても破天荒な方がいらっしゃい
ます。その先生のお話を断片的に聞いていると、なんて滅茶苦茶な
人だ、と思う人もいるかもしれません。
しかし、よくよく聞いてみると、
「世の中にはびこる、人を惑わしめ苦しめる偽科学をなくしたい」
「自分の儲けは二の次にしても、みんなに本当の事を伝えたい」
というお心を、確かにお持ちと感じます。
また別の先生は、
「科学的にメンタルを強くする方法を教えてほしい」
という質問に、
「そのような方法は、存在しません」
とお答えになりました。
科学と宗教は棲み分けが大事だとも思います。
宗教は、「心の拠り所」。なので、宗教は科学に干渉しない。
科学も、宗教に依存しない。
私の捉え方は、間違っていますか?ちなみに、私の精神科の
先生のお友達のお医者さんは、プロテスタントのキリスト教徒
さんだそうです。先生に、
「ガンモドキみたいな事してませんよね」
と聞いたら、
「若いのによくその人知ってるね(笑)彼はそんなトンデモは
しません」
と言っていました。
発達障害があるが、他の患者が苦手、健常者さんに負担を強いる障害者が許せない、 医師の悪口を言う僧侶が許せない、選挙で体調崩す、医師を顎で使ったり「薬減らせ」とごねる患者に辟易 #薬は悪くない
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
仏教=宗教
宗教とは、仏教とか、キリスト教とか、イスラム教とかそういうくくりのはなしではなく、人間に共通する真理のことです。つまり、宗教=仏教=当たり前のこと。
頭で考えるようなことではなく、目を開けたらものが見えるとか、オナラをしたら香るとか、そういう理屈抜きの当たり前のことです。
科学はそうした当たり前に理屈で説明を付け加えることでしょう。自我というものがあると思うから迷う。迷わないようにリアルを大切にする。それが仏法。理屈抜きで人を助けたら良い気分になる。人のためだと思ってしたことは自分のためになる。慈悲という言葉で表現されるが、これを忘れがちですので、手を変え品を変えつたえているのですね。
質問者からのお礼
【邦元 先生】
お返事いただき、ありがとうございます。
当たり前の事、ですか。
「どうしてこうなった!?」
「こうだからだよ」
ということですね。つまり、これが因果。
しかし、
「どうしてこうなった!?」
「いやわからん!」
という事もあります。その、新しい「こうだからだよ」を
解き明かしてくれるのが科学でもあるでしょう。
(例:昔は理解されなかったうつ病など精神障害の仕組み。
今は、神経伝達物質の不良と解明され、「こうだからだよ」
とわかるようになった)
そして、トラブルに見舞われ、
「どうしてこうなった!?」→「なるほどこうだからか」
と正しい知識(正見)で冷静に対処していくのが、宗教心…
なのかな?
慈悲は、人の荷物を持ってあげるとか、子どもさん連れに
道を譲ってあげるとか、確かに理屈抜きにできますね。