ひとりぼっちだと感じます
優しい親や兄がいて、多くはないですが友達もいて、職場の人もとてもいい人たちばかりです。でもなぜか自分はひとりぼっちだと感じます。悲しくて寂しくて涙が出てきます。この気持ちを和らげるにはどうしたらよいのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
突き抜けた「ぼっち」になる
(*'▽')人間はいつでも一人で呼吸してますよ?
人間はいつでも自分の景色だけ見ています。
人間はいつも自分の聞こえる音だけ聞いています。
人間は24時間いつでもおひとりさまです。
誰といても高貴なお独り様なのです。
それが天上天下唯我独尊というお独り様なのです。
さぁ、お独り様ライフを満喫しましょう。
集団同調性バイアスの暗示にかかって誰かといることが大事なのだという錯覚から脱却しましょう。
そうか、別に一人でいいのか。一人ではいけないんじゃないかなという心理に追い込まれていただけかもしれないという考察を深めてみてください。
まずは、お祝いでランチで牛丼屋、ラーメン屋、焼き肉屋、コーヒー店にお独り様してきてください。
対策其の二
あるいは、仏道を求める。
仏道とはこの世の真実、真理、本当のことを求める道。
自己の真実を明らかにする道です。
人間はちょっとやそっとのそこそこの程度の知れた内容の薄いものでは心底心のおなかがおなか一杯にはなりません。
仏教、仏道を求めるという事は、サブカルチャー仏教の方を求めることではなく、仏の教え、仏の教えのその内容に触れることです。
私も、仏教を学んでいろいろな人の話を聞きましたが、自分が心底納得できる人の話に出会えた時、初めてそこで学び、手ごたえ、満足がありました。
人は、情報やみせかけ、メイク、加工、作り事、偽物では真の安心は得られません。
本物を求める旅をしましょう。
この世の中には聡明な方もいます、病んだ方もいます。
どんな方でもガツンと来る真実の法味というものはちゃんとあります。
そういう教えを求めれば求めるセンサーが起動するのでそういうもの以外はどうでもよくなります。
今日も世界はその通りのことがたまたまそういう形であらわれています。
願っても願わなくてもそういうことがそこにたまたまちゃんとある。
元々何の問題もない。
問題を起こす人というのも、そのことに抗ったり、問題視をする、問題化させるものが内側にあるからともいえましょう。
本当に静かな人というものは、わたしというおしゃべりな意識を放っておける力を持った人なのです。
心底安心したければ、仏道、仏法を求めることです。
ぼっちではないですよ。
よるさん
拝読しました。
よるさんが書き込んだ時間帯。
私は草刈りをしていましたよ。
目の前に人が居るか、居ないか?
リアルでなくても、オンラインでも、バーチャルでも、実在でなくても空想の中でもたくさんの人、物が世界で動いています。
あるお子さんのお話。
小学生の男のですが、夜が怖い。
音が無くなり、静かになると、怪獣が地球に攻めてくると怖がっていました。
それは男の子の頭の中にある「世界」が、住まい周辺(広がっても日本)だったから。
そんな子に私が見せたのは、地球儀。
ライトを当てて、「今、日本は昼間」、回して回して、彼の怖がる夜になりました。でも、そのころに日が当たっているのはヨーロッパやアメリカ。
〇〇君が寝ている間に、アメリカではメジャーリーグで大谷翔平がホームランを打ってるよ。「カッキーン!」と。
○〇君だけの世界だったら、怪獣も攻めてくるけど、お友達や〇〇君の知らない人たちも、世の中にはたくさんいるから、心配することないんだよ。みんな地球のために社会活動をしているんだよ。
いつか大谷翔平の試合を生で見れたらいいね。
と野球の練習にまた力が入ったようでした。
みんな自分の時間を確保して、自分のことをやって、誰かに会うための準備をしています。よるさんも一人の時間は、誰かと会うための、自分のために自分しかできないことをする貴重な時間として〇〇活なさってはいかがですか?
一緒に腸活しましょう。
私はこの秋は、サツマイモをいただきます。
hasunoha の多くの方が、秋の味覚を、よるさんといただきます。
合掌
質問者からのお礼
ありがとうございます。
なかなか1人を楽しむって難しいです。