大切な愛鳥の命を奪ってしまいました。
一昨日、大切な家族である文鳥のピノを殺めてしまいました。
まだ生後7ヶ月でした。人生で初めてお迎えした家族でした。挿し餌から育てた子で我が子同然でした。
ピノは私にもったいないくらい可愛くて良い子でした。そんな子を、私は側にいて欲しいというエゴで殺してしまったのです。
きっかけはピノを自分のかけていた毛布の中に入れてしまったことです。
もともと寒いだろう、温めてあげようという気持ちからよく毛布に入れていました。
しかし、その日はピノを毛布の中に入れた後、腕で押さえつけて、疲れからか意識を失いうたた寝をしてしまいました。
そしておぼろげな意識の中で、私はピノを力をかけて押さえつけていました。
殺意はありませんが、本当にどうして死なせてしまったのかわかりません。
心の底から愛していたピノを苦しめてしまいました。なぜそんなことをしてしまったのか、自分が恐ろしいです。
意識が戻り、ピノの声がしないことに気づいて、遺体を見つけたことで死なせてしまったのだと気づきました。
ピノはまるで眠っているかのようで、また目を覚ましてくれるのではないかと考えてしまいました。
何度も目を覚まして欲しい、ごめんね、愛してると呼びかけましたが目を覚ましてはくれませんでした。
本当に可愛想なことをしました。こんなひどい最後を迎えさせてしまい胸が苦しいです。ピノはもっと苦しかったと思います。
最低な飼い主でした。
償うことも代わりになることもできず、自分が許せません。
ピノが亡くなった日は家から出れず一日中泣いていました。
ずっとピノのことを考えてしまい、辛くて眠ることが出来ません。
また、火葬して頂いた際に骨に傷はなく、腎臓など内臓系が悪かったみたいだと聞きました。
そんな体で私のために一生懸命生きてくれていたのに、追い討ちをかけて死なせてしまったことが辛いです。
窒息死であれ、ショック死であれ自分の手で殺めたことに変わりはありません。
叶うならピノに本当にごめんね、愛していたのは事実だ、大好きだと伝えたいです。
家族や周りはピノは凄く愛されてて幸せだったと言ってくれます。
私はピノに毎日幸せを貰っていました。
だけどピノは本当に幸せだったのだろうか…
永遠に出ない答えを探してしまいます。
今後、ピノがいない日々を過ごすことが辛いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
拝
私達は何も知り尽くすということはありません
命がどうして絶え
命がどうして生まれ
何故生きるのか
結局何一つ知りません
肉を食べる私達は毎日命を殺してます
悪い事とは思ってません
どう思いますか?
私はたまにね
命の学校というのを開いてます
生きている鶏さんの命を頂戴し
解体して調理して参加者の親子さんと
ありがたく頂きます
大事に飼っていた鶏さんです
自分で命を頂戴した時はとても強く
そこに申し訳ないとか
「この命の分もちゃんと生きよう」と強く思います
いえそう思わずにはいられないのです
私は子供の時酪農家の家に生まれたので
家族同然に沢山の動物と暮らしていました
そしてかわいいこもいれば
悪い子もいたし
新しい出会いもあり
悲しい別れもたくさん有りました
何度も経験すると生死に対する自分の無力さを知ります
どんなに気をつけていても
自然から離れた環境で動物を飼うというのは
長生きする事もありますが
人は仕方がないほど無知で無力で勝手な生き物なので
殺してしまう事があるのです
仕方がないのですよ
しかしね
それでも愛情をやり取りし
一緒に暮らした時間には確かな関わり合いが存在していたのです
良い悪いで判断すべき事ではありません
悲しんでも命は報われません
ただその事実だけを背負って強く生きるのです
可愛いと思える
身体に備わった愛おしい感情が
貴女に芽生えた事
その喜びを教えてくれた
貴女な鳥さんはそれを教えてくれた
小さくても偉大な生き物です
絶望に溺れるなら
貴女はその時間すら悲しくしてしまう
強くなるのです
命と向き合うというのは残酷なのです
鳥さんから受け取るべき学びがあるはずですこの命を無駄にしてはいけない
この経験を超えて鳥さんの分まで強く生きるのです
合掌
ピノとあなたのこれから、について。
初めに心ばかりではございますが、ピノさんのご冥福をお祈り致します…合掌
りんさんのお悩み拝読致しました。悲しいときにはどうか悲しんでください。悲しみを抑え込もうとしたり、悲しみを打ち消そうとすることなく、あるがまま心ゆくまでそうして悲しんで、ピノを想うことが、いずれあなたの心を救ってくれるはずで、きっとピノもそれを望んでいると思います。
お悩みを拝読して1つ気になったことがあります。それはもしかすると、りんさん、あなたがご自身に対して「自分は、(身近な)人を傷つけてしまう人間」「(身近な)人を不幸にしてしまう人間」なのだというような思い込みをしてしまっているのではないかということです。わたくしの杞憂にすぎなければ聞き流して頂きたいのですが、もしも少なからず言い得ているところがあるとしたら、どうか今一度落ち着いて考え直してみて頂きたいのでございます。
ピノの死にこれほど心を悼められる人が、どうして「(身近な)人を傷つけてしまう人間」「(身近な)人を不幸にしてしまう人間」であるはずがありましょうか。人間、どうにもならぬ悲しみや理不尽に正面から向き合うことは辛く、苦しいものです。だから私たちの脳はとりあえずの結論を出してそれ以上考えないようにして、心を救おうとしてくれるのですね。でも、その結論の出し方次第ではその後の生き方が難しくなる、逆に生きづらくなったりもするのです。もちろんそれは、自分と関わるすべての人、存在にも影響を与えます。「自分と関わるすべての人、存在」というのは、今関わりがある人や存在だけでなく、これから関わるであろう人や存在、そしてこれまでに関わった人や存在も含まれます。つまり、りんさんにとってはピノというかけがえのない存在も含まれるわけです。たしかにピノの天寿は思っていたよりも短いものだったかもしれません。でもその命は力強く、与えられた天寿を全うしたはずなのです。だからこそ「今のあなた」がいるのです。ピノのおかげで今の「あなた」が在る。そういうことを忘れずに、あなたがこれからの日々をより良く生きていく、幸せに生きていくことができたら、きっとピノも嬉しいのではないでしょうか。ピノが命がけで伝えようとしてくれたことを、どうか見逃さないでくださいませ。
ピノとあなたのこれからが、幸い多きものとなりますように、、、重ねて、心よりお祈りいたします。
そわか合掌
質問者からのお礼
御回答くださりありがとうございます。あたたかいお言葉にとても救われました。
ピノは私に他者を愛する気持ちと命の大切さを教えてくれたのだと思います。出会っていなければ気づけなかったことです。
これからはピノの分も、毎日を大切に強く生きていこうと思います。
改めて、この度は御回答下さり、ピノのために合掌してくださって本当にありがとうございました。
文章さま御回答下さりありがとうございます。
悲しいときは悲しんでも良いというお話がとても心に刺さりました。
私のピノを大切に思っていた気持ちをもっと信じてあげようと思います。
そして、ピノのためにも少しずつ前に進んでいこうと思います。
改めて、この度はあたたかいご回答を下さり、ピノのために合掌してくださって本当にありがとうございました。