心がとても弱い
子供の頃から心が弱く大人になってからもっと弱くなった気がします。よく笑うので明るい人だと言われるのですが何気ない一言で傷付くし頭から離れなくなります。
旦那がとてもポジティブなので相談したのですが気にしなきゃいいんだよーと。そんなことはわかってるけど頭から離れないし傷つくんだよとなります。
結構私自身嫌なことを言われるとシャットダウンしてしまい大体ずっとその人のことが嫌いになってしまいます。
例で言うと、義母にデリカシーのないことを会うたびに言われ何かしら傷付いてしまうのでもう会いたくないけど子供がいるので合わせて欲しいと言われとてつもなく嫌になります。
大体嫌なことを考えてしまうのとそれで動悸がして寝れないことが多いです。少しでも気楽に考えられる方法はありますでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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「心の弱さ」とは…
あなたの心は決して弱くありません。日本人はとかく「心が弱い」「メンタルが…」などと言いすぎる嫌いがあります。でもね、かたななさん。心に強いとか弱いとかあるものですか! そんなものがあるなら見せて欲しいですね。あなたの心は「弱い」のでなく「敏感」なのです。繊細なもの、細かなものにも気が付いて、感性がはたらき情動がうごくのです。そのような反応、すなわち心細くなったり不安になったり、悲しくなったり寂しくなったりしたときに、それを頭の中で「(心が)傷ついた」のだと脳がジャッジしているだけなのです。ジャッジしているのは脳です。意識ではありません。つまり、自分がやっているようには感じられますが、自分がやっているわけではありません。しかも脳のジャッジメント(意味づけ)は正解(真実)でもありません。ただそう感じられる(実感がある)ので、私たちはそれが正しいと思い込んでしまうだけです。したがって、心が傷ついたと思っても、心は1ミリも傷ついていません。ポジティブな意味で、暖簾に腕押し、糠に釘であります。心が傷ついたというのは、ある事象を脳が認識してネガティブに意味づけしたときに、心臓のまわりの筋肉がギュッと締まって、呼吸筋群の動きも制限され、呼吸が浅くなって、十分な酸素が吸い込めなくなって、苦しくなって、それを脳がまた認識して意味を付けて、「心が傷ついた」気がしているのです。つまり、脳から始まって脳が締めくくる一連の生理的反応というわけです。あなたの心は弱くありません。弱くないのです。ただ「感じている」だけなのです。ですから、どれほど嫌な目にあっても傷つきはしません。傷とは記憶です。実体はないくせに、何度も体に感覚を呼び起こす生理的反応です。ですから畢竟、「心の弱さ」とは錯覚です。ぜひ、そうした事実を見抜いてください。そして、「心が弱い」という思い込みからあなた自身(心)を解放してあげてください。もとより弱くないのですから強くなる必要もありません。それは、敏感で感度の良い感性を、鈍感で感度のわるい感性へとレベルダウンさせることです。無いものねだりではなく、今あるご自身の特性を深く理解し、それをうまく生かせるように創意工夫されてみてはいかがでしょうか? きっとその方が、明るく前向きに、この先の人生をご家族で楽しめるのではないかなと拙僧は思います。
あなたの未来に、幸いあれ。
そわか合掌
くすぐられるの絶対イヤ
かたななさんへ
拝読しました。
コチョコチョくすぐられるの、我慢できますか?
〜、ですよね。
揶揄われて、少し弱さを見せると面白がる人がいます。当に周りにいらっしゃる方。悪気はないのですが、ちょっとS入ってます。
慣れることはないので、言わせないこと。
明るく振る舞っているから、ちょっとのことを大した事だと結びつかないんですね。。
一度宣言すること。
ホント、勘弁してくれと。
お伝えください。
コチョコチョしないでくれと。
弄るときは、こちらか準備できているから見極めていじってくれと。
コミュニケーションのルールを意識してもらうように坊主に言われた。
とお伝えください。
明るい伝え方で、御主人と義母さんへ。
しっかり受け止めてくれると思いますよ。
拝
質問者からのお礼
ありがとうございます。
弱くないと聞いてハッとしました。
敏感なのも腑に落ちました。
全ては脳が決めてることですよね、、心がギュッとするせいでその時は難しいかもしれないですが少し時間が経ってからでも心は傷付いていない、脳がジャッジしてるだけと思えるようにしていきたいと思います。