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死後の世界

回答数回答 3
有り難し有り難し 14

私の知り合いのおばあさんが亡くなりかけたときにとてもきれいなお花畑を見たと言っておりました
そこには亡くなった両親もいたそうです
おばあさんはまだそちらにはいけないと両親に伝え意識を取り戻したそうですが
最近別の方の葬儀の際、49日までは真っ暗な場所をさまよっているとお聞きしました

おばあさんがいったことが本当なのか、それとも和尚さんがおっしゃることを信じたらいいのか分からなくなってきました
亡くなった方はどこにいらっしゃるのですか?
曹洞宗の家系です
よろしくお願いします

2023年10月31日 13:42

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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

死後は見送る気持ち。

この世に
お花畑があれば暗闇もあるように。

死後の世界にもきっと
お花畑や暗闇があるのでしょう。

お花畑なら良さそうですが
死後、暗闇にさまようことだってあるかもしれません。

49日というのは、
そうして亡くなられたたいせつな方が
暗闇をさまようことがないようにと。
遺された方が追善供養をする、という習わしが定着したものです。
暗闇といっていいか試練といっていいかの違いはあれど
ともかく、
49日という長さについては諸説あるのです。
この長さについては
遺された方の心情の長さだと私は思っています。

今は旅に出た方がどこを歩いているか
GPSだ電話だSNSだと、すぐわかるのです。

昔は、旅人がどこを歩いているか
無事を祈りながら過ごしたことでしょう。
Red River Valleyのようなせつなさもあったかもしれません。

死後というのは旅であり、かつ
遺された人の気持ちそのものでもあると思うのです。

yosiさんの、見送る気持ちが問われているのではないかと
私は思います。

南無釈迦牟尼仏 合掌

2023年10月31日 16:28
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吉井浩文
Buddhism. knowing what it actually i...
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何かを信じようとするよりも、信じるほかない実際をご覧ください

わたくしたちみんな、生きてる内でも実際には人それぞれ違う現実を見ているわけですから、死後の世界だっていろいろあってもよいのではないかなと個人的には思います。
きっと、これまでに何かしら生命のなかに根源的な“慈しみ”を感じられたことがあると思います。そうした慈しみしかない“まっさら”な世界、死後の世界とはそういうところのような気がいたします。
一目瞭然。一瞥必定。曹洞宗のご家系ということですから…ただ静かに坐って、体の内側の、心の奥底から、生命実際もとよりの世界をご覧くださいませ。

そわか合掌

2023年11月1日 8:50
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入山文章(Bunshō)
苦しみに負けず、安心して前を向いて力を出して頂けるよう、微力ながら誠心誠意...
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旅の行き先は人それぞれ

スマナサーラ長老の『死後はどうなるの?』角川文庫が分かりやすいと思います。
 だいたい、この宗教を信じていたら死後はここ、あの宗教を信じていたら死後はあそこ、なんて、宗教ごとに、あるいは同じ仏教でも宗派ごとに行き先が異なる、と考えるほうが、仏教から見れば的外れです。旅行するときも、山口県からも青森県からも、あるいは海が好きな人も山が好きな人も都会が好きな人も、みんな行先は岡山後楽園です、などと決まってないでしょう? 人はそれぞれ予算や日程に縛られながら、行きたいところ、あるいは行くべきところに行きます。
 釈尊の初期仏教では、解脱するか輪廻するかで、輪廻する生き方も、天界から地獄まで大きく六種類、業によって人それぞれ次の生まれが異なる、と言います。六種類とはいわゆる六道輪廻で、上から天、人、阿修羅、餓鬼、畜生、地獄です。植物は含まれません。
 死にそうなときに先にお花畑でご先祖が見えたら、幻覚の可能性もありますが、その人の来世はそういう世界かも。そしてご先祖も先にそういう世界に生まれていたのかも。次に本当に亡くなるときに同じその世界に行くかどうかは分かりませんが、良さそうな世界だったら行きたいと思うでしょうから、しかもご高齢でもう大変な悪業などしそうにないでしょうから、たぶん本当にそのようなところに行くだろうと推測できます。
 中陰の思想は初期仏教にはなかったのですがやがて仏教に入りこみました。人間界の近くでウロウロしていたら、天界の最低レベルの地居天か餓鬼の最高レベルの人間に接触できるレベルかということだと思います。

 

2023年11月1日 8:10
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おきもち

初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本...
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質問者からのお礼

たくさんの回答ありがとうございます
新たな視点で見ることができましたので自分でも参究したいとおもいます

「死後の世界・死んだらどうなる」問答一覧

虫の知らせ

こんにちは、お世話になっております。 今回は私が過去に経験した不思議な体験について、お坊様方から見るとどのように感じるのか知りたく、投稿させていただきます。 1年ほど前の話となります。 私の家には父方の祖父母が買ってくれた、鮮やかな森の中を夫婦が寄り添って歩いている素敵な絵が飾ってあります。 ある日の夜、その絵が気になってみたところ、何となく男性が薄く見えました。 元よりほんの少し霊感のようなものがある私は、そのことを母に伝えようか迷ったのですが、気のせい。 気にし過ぎだと思ってその日は寝てしまいました。 ところが次の日、父に大事な話があると言われ聞いてみると、昨日の夜祖父が家で倒れ救急車で運ばれたとの事でした。 病院での検査の結果、祖父はガンにかかっていました。 前日の夜、夫婦の絵に違和感を感じたのは虫の知らせのようなものだったのでしょうか。 ちなみにその後祖父は約1年の闘病の末亡くなりました。 その間に一緒に散歩したり、旅行したりと沢山思い出を作ることが出来ました。 偶然と言われてしまえば、それまでではありますがこのような虫の知らせというものは、本当にあるのでしょうか。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

死について考えすぎる

昔から死や、明確でない死後の世界に対する恐怖心、不安感に襲われ日常生活でも情緒不安定な生活を度々してきました。 最近昔よりも少し大人になったためもっと複雑に考えてしまい苦しくなっています。 また私は小さな命を3度産む選択が出来なかった時があり 自分自身軽率な行動を取ってしまったために命を産むことが出来なかった。 その命は幸せに過ごして欲しい。 今一緒にいる3人の子ども達も幸せに過ごして欲しい。 死についての恐怖を抱いたまま大人になってほしくない。 でも私は死んだ後も地獄にいって苦しむかもしれない。 でも苦しいのや痛いのは嫌だ。と考えてしまいます。 今とても幸せなんだと感じながら生活しながらそれよりも死に対する恐怖心、不安感の方が強く楽しく日常生活を送ることが難しいです。 来世も人間になりたいと欲がありながら そんなことじゃ生まれ変われないかもしれないと思ってしまったりして 心が苦しいです。 この先死について考えることは無くならないと思いますが 今生きているこの瞬間をどうやったら恐怖心よりも楽しく幸せに過ごせるか、前向きに生きていくためにどうしたらいいか教えていただきたいです。

有り難し有り難し 2
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ