死後の世界
私の知り合いのおばあさんが亡くなりかけたときにとてもきれいなお花畑を見たと言っておりました
そこには亡くなった両親もいたそうです
おばあさんはまだそちらにはいけないと両親に伝え意識を取り戻したそうですが
最近別の方の葬儀の際、49日までは真っ暗な場所をさまよっているとお聞きしました
おばあさんがいったことが本当なのか、それとも和尚さんがおっしゃることを信じたらいいのか分からなくなってきました
亡くなった方はどこにいらっしゃるのですか?
曹洞宗の家系です
よろしくお願いします
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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死後は見送る気持ち。
この世に
お花畑があれば暗闇もあるように。
死後の世界にもきっと
お花畑や暗闇があるのでしょう。
お花畑なら良さそうですが
死後、暗闇にさまようことだってあるかもしれません。
49日というのは、
そうして亡くなられたたいせつな方が
暗闇をさまようことがないようにと。
遺された方が追善供養をする、という習わしが定着したものです。
暗闇といっていいか試練といっていいかの違いはあれど
ともかく、
49日という長さについては諸説あるのです。
この長さについては
遺された方の心情の長さだと私は思っています。
今は旅に出た方がどこを歩いているか
GPSだ電話だSNSだと、すぐわかるのです。
昔は、旅人がどこを歩いているか
無事を祈りながら過ごしたことでしょう。
Red River Valleyのようなせつなさもあったかもしれません。
死後というのは旅であり、かつ
遺された人の気持ちそのものでもあると思うのです。
yosiさんの、見送る気持ちが問われているのではないかと
私は思います。
南無釈迦牟尼仏 合掌
何かを信じようとするよりも、信じるほかない実際をご覧ください
わたくしたちみんな、生きてる内でも実際には人それぞれ違う現実を見ているわけですから、死後の世界だっていろいろあってもよいのではないかなと個人的には思います。
きっと、これまでに何かしら生命のなかに根源的な“慈しみ”を感じられたことがあると思います。そうした慈しみしかない“まっさら”な世界、死後の世界とはそういうところのような気がいたします。
一目瞭然。一瞥必定。曹洞宗のご家系ということですから…ただ静かに坐って、体の内側の、心の奥底から、生命実際もとよりの世界をご覧くださいませ。
そわか合掌
旅の行き先は人それぞれ
スマナサーラ長老の『死後はどうなるの?』角川文庫が分かりやすいと思います。
だいたい、この宗教を信じていたら死後はここ、あの宗教を信じていたら死後はあそこ、なんて、宗教ごとに、あるいは同じ仏教でも宗派ごとに行き先が異なる、と考えるほうが、仏教から見れば的外れです。旅行するときも、山口県からも青森県からも、あるいは海が好きな人も山が好きな人も都会が好きな人も、みんな行先は岡山後楽園です、などと決まってないでしょう? 人はそれぞれ予算や日程に縛られながら、行きたいところ、あるいは行くべきところに行きます。
釈尊の初期仏教では、解脱するか輪廻するかで、輪廻する生き方も、天界から地獄まで大きく六種類、業によって人それぞれ次の生まれが異なる、と言います。六種類とはいわゆる六道輪廻で、上から天、人、阿修羅、餓鬼、畜生、地獄です。植物は含まれません。
死にそうなときに先にお花畑でご先祖が見えたら、幻覚の可能性もありますが、その人の来世はそういう世界かも。そしてご先祖も先にそういう世界に生まれていたのかも。次に本当に亡くなるときに同じその世界に行くかどうかは分かりませんが、良さそうな世界だったら行きたいと思うでしょうから、しかもご高齢でもう大変な悪業などしそうにないでしょうから、たぶん本当にそのようなところに行くだろうと推測できます。
中陰の思想は初期仏教にはなかったのですがやがて仏教に入りこみました。人間界の近くでウロウロしていたら、天界の最低レベルの地居天か餓鬼の最高レベルの人間に接触できるレベルかということだと思います。
質問者からのお礼
たくさんの回答ありがとうございます
新たな視点で見ることができましたので自分でも参究したいとおもいます