罪を憎んで人を憎まずについて
罪を憎んで人を憎まずと言う言葉がありますが、この言葉の意味は分かります。
自分も普段から心がけてる事の一つでもあります。
ですが、一つ疑問が残ります。
もし、人類を滅ぼす存在が現れた場合です。
だいぶオーバーだと思いますが、人類を滅ぼす存在が居たとして、その存在が人類を絶滅させようとしたとしても、その存在を憎まずに愛で包み込んで人類はそのまま絶滅しました。←これで良いんでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
愛と慈悲
罪を憎んで人を悪まずは
「人が犯した罪は憎むべきであるが、その罪を犯した人を憎んではいけない」
「犯した罪は憎むべきだが、その人が罪を犯すまでには何か事情があったのだろうから、
罪を犯した人そのものまで憎んではいけない」
また、他者への思いやりや
配慮、思慮分別、寛容性の大切さを説いているとも評価できる、とネットに書いてありました。
また、愛を検索したら親兄弟の慈しみあう心。広く人間や生物への思いやり、とありました。
ところで、人類を滅ぼす存在というのは、地球外生命体か何かでしょうか?
またはウィルスとか…。
私はコロナ禍、人類は新型コロナウイルスと闘ったと思いますし、愛で包み込むほどの人はほぼいなかったのではないかな?と思います。
新型コロナウイルスを憎んだ人が圧倒的多数だった。
そんな衆生であるけれども、佛、菩薩は人々や生命あるものの苦しみや苦悩を除きそこから救い、楽、幸福を与える心をお持ちだった。 慈悲を易しく言いますとあたたかな心です。
宇宙人が限りなく人間に近かったとして、地球人を襲ってきたら、罪を憎んで人を憎まず云々よりも、子孫のために戦うのではないでしょうか?地球が滅びるから。
愛で包み込むのは想像しにくいです。
答えになっていなかったらごめんなさい。
追記/人類を滅ぼす存在と人間は戦い、憎み合う。
そんなことがあったとしても、阿弥陀如来様は救ってくださる。
なぜなら、愛より深いのが如来の慈悲だからと伝えたかったです。
こうだったら?とばかり考え始めると頭が痛くなるので、なるようになるさ!と私はすべておまかせしています。🙏
質問者からのお礼
ありがとうございました