鬱病になってしまいました
転職して2年が経ち、まもなく50歳になります。
昨年は父の死去に弟の癌発症等色々とあり心が弱りました。
また、仕事がうまく行かず、同僚からロジカルハラスメント(正論で追い詰める)を受け、1月ほど前より睡眠障害(眠れない、中途覚醒、早朝覚醒)、動悸、震え等が発症し、心療内科を受診、鬱病と診断され、3週間過ぎ、一月休むように診断書を書かれてしまいました。
妻、子供2人に住宅ローン、幸い妻も働いているのですが、妻の収入は私の半分以下…このまま鬱病が悪化し、無職となってしまった場合の事を考えるとどうしたらいいのか分かりません。
自己嫌悪に陥っています、鬱病を治すために心療内科には通っているのですが、このまま治らずに、退職となってしまったらどうしようかと思い悩んでおります。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分が自分の中で人間ルールを作って縛っていることに気づく
日本の伝統文化「道」というものに共通することは「わたくし・我・わがこと・おのれ・自己・自分ラブ・自分優先意識・自分ルール」を無くすことです。
鬱の原因の一つは無自覚ながらの自分ルール。マイルール、わたくしルール。
いつの間にかそれを他人から要求されたか、自分で無自覚ながら立ち上げてしてしまっている。
その自分ルール、自分の期待、自分の願う項目、自分の設定があればあるほど、現実はどうでしたでしょうか?どうだったんですか?現実は思い通りじゃない。期待通りにならない。思ったこととまるで違った。その都度、打ちひしがれるような気持が繰り返されてきた。負のリアクションが必然的に多くなった。
その痛々しい現実と、その時の苦しい負の反応が心にダメージを与えてしまう。
それが何度も何度も繰り返されれば、誰であっても心を病んでしまうのは当然のことでしょう。
だからこそ、道の文化はオノレ・我・自我・セルフ・マイルールを滅する。
すべての道は仏道へと通ずる。
剣道・書道・茶道・柔道・弓道・合気道…みな、自分の身心にあらわれる「自分意識」を優先させることなく、身心の天然の作用にまかせる。
すると書であればオレオレした字にはならん。
職務であれば好き嫌いを優先させず、やるべきことをやるようになる。なすべきことを淡々となすようになる。
ところが現代社会の仕事とはどんなものか。会社が。上司が。あの人が。これをしないと怒られる。失敗は許されない。みんなが悪く言う。結果を出しても報われない。どこもかしこも人間ルールにまみれてます。ひよこまみれぐらい人間ルールがぴょこぴょこと押し寄せてくる。🐣
カラを突き破って出てくるべきはこちら側。
どうせこうだ、きっとこうだ、またあれか、という惰性・慣習・自己防衛からの不安な意識も捨て去る。
目は今日の新鮮な新しい世界といつもともにある。
出会う事は昨日のものは何もない。
頭のデータは古いものを保持し続けていますが、眼耳鼻口身心が遭遇していることは出来立てほやほやフレッシュ。鮮度バツグン。
そこに俺という負のリアクションを持ち込む意識は介入されなくともよい。
仏道とは自己が自己というマイルールに縛られなくなれる道です。
鬱ならばこそ、鬱以前の安らかな心に変えるためにも、自分ルールからの脱却をやさしく求めるべきでしょう。
目は見ているのではない。映しているのです。
質問者からのお礼
お礼が遅くなり申し訳ありません。
あれから2か月経ち、薬の力は必要ではありますが、復職できました。
しかしながら、これから給料は下がっていく事でしょう。
仕方ないですね、これも運命だと思って、やるべきことをやっていこうと思います。
自分ルールからの脱却、肝に命じて生活してゆきます。