ありのまま、あるがままって…危なくない?
いつもお世話になっております。
今回は、スマホからです。
こちらの問答を拝読したり、
オンライン法話などを聴いて
いても、
「ありのまま、あるがままを
受け入れなさい」
というお言葉を散見します。
しかし、これは少々危険な
解釈もできてしまうのでは?と
思いました。
例えば、
・ガンになった
→放っておけ。治療を受けるな
・統合失調症等で、暴力行為が
激しい家族がいる
→甘んじて受け入れろ
・発達障害等で、誤解を招く
行動が目立つ
→障害なんだから仕方ない
というものが思い付きます。
しかし、私は、仏教はそんな
怠惰で放逸な教えではないと
思いたいです。
明らかに自分や周囲が困って
いる状況も放っておけ、という
解釈もできてしまうと思う一方、
「ああ、今はこう言う状態
なんだな」
と目の前の、あるいは自分の状況
を淡々と受け止め、それに合った
対応(応病与薬的な)していく
のが、仏様の教えだと思いたい
と思っています。
ありのまま、あるがままを
受け止める、とは、どういった
意味なのでしょうか?
上述したような、危険な意味
ではないと思いたいです。
発達障害持ちつつ、他の 障害者の人が怖い… でもその考えは今や時代遅れ。 若い人たちは優しい。 私も変わらないといけない。 がんばる。
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
受け入れることから始めなさい。
理系仏教徒ロータス様
拝読しました。
甘んじろとは申しておらず、まずは受け入れることを避けてしまうと、何も始まらない。始まらないから終われない。
とのこと。
「まず」受け入れて受け止めて
「まず」です。
スタートを切らないと、良いことも始まらないし、悪いことも終わらない。ここに囚われてしまいます。
受け入れたり受け止めなかったことが、宙ぶらりんで気になって荷物にならないように、多少嫌なことや気が重たいことでも、目の前の事実を正しく見ること。
自己責任で一人で見よとは申しません。一番受け止め安い状況やタイミングで、間違えないように見なさい。受け止めなさい。です。
そこから何をすべきか。
それが我々に課せられた事なのでしょう。
合掌
恨まない、嘆かない、後悔しない
たとえば、ガンの治療をするなということではなく、医療技術やお金の許す範囲で、できる範囲の治療に挑戦し、その結果完治しなかった場合には、その結果をあるがままに受け入れましょうということではないでしょうか。
つまり、恨まない、嘆かない、後悔しないということでしょう。
たとえば、泥棒がいたら通報するし、警察官は泥棒を逮捕する。
ただし、盗まれたお金が返って来ない(泥棒がすでに使ってしまい、返済能力がない)場合には、その結果をあるがままに受け入れる。
返って来ないものは返って来ないのだから、怒ってもストレスになるだけ。
返済請求はするけど、結果については「まぁ、いいか」「それもまた人生」。
「ガンが治っても治らなくても念仏すれば往生できる」
「発達障害でも健常者でも念仏すれば往生できる」
できることをできる範囲でやれば良い。
最後はハッピーエンド(往生極楽)の合格人生だ、と思いましょう。
質問者からのお礼
【願誉浄史 先生】
お返事いただき、ありがとう
ございます。
ベストを尽くしたあと、
その結果を素直に受け入れる。
辛い状況下に立たされても、
悲嘆に暮れないで、できる事、
なすべき事をする、という意味
ですね。
やるべき事、できる事を淡々
とやる。安心しました。
【剛 士 先生】
お返事いただき、ありがとうございます。
「まず」受け止めて、そこから「何をすべきか」を
考える、という意味なのですね。
きょう、私は、いつも通っている精神病院とは別の
大学病院に行きます。膠原病と間質性肺炎の疑いが浮上し、
それを明らかにするためです。
たとえば、息が苦しい→放っておいたら、重大な疾患で
手遅れ…ということになりかねませんよね。そこを受け入れ、
検査を受ける。検査結果がわかったら、どう転んでもそれに
あった対処をする。病気だったら、薬を飲む。酸素吸入を
受ける。そういうことでしょうか。
正直、不安です。だからと言って検査から逃げたら、
重大な病気を見落としてしまうかもしれません。
というか、最近嫌なこと続いて
破れかぶれでお寺行ってお坊さん
に愚痴ったら、まんま剛 士先生
と同じこと言われました。
ガンの例えを出されて。
ガンもまず、「できてる」って
受け入れないと、治らない
ですから。