神も仏もないと言う旦那
旦那は、子供の頃から虐待を受けたり、成人しても親の借金を背負うことになったりと、とにかく苦労人で「この世に神も仏もいないよ。だって、本当にいるならこんなに苦しむことになるはずない。死後の世界もない。死んだらおしまい」といつも言っています。
私は、神も仏も見たことはないけれど、目に見えない大きな何か、死後も輪廻転生もあるんじゃないかと思ってます。というか、あって欲しいと思ってます。
私は、旦那と死の先も一緒にいたいと思ってます。でも、旦那とは考えが違うので一緒にいることは出来ないのかな…?と不安になります。
藁にもすがる思いで神社仏閣に参拝する度に「旦那とずっと、死後も一緒にいられますように」と願ったり、棺桶に入れるための御朱印を二人分集めたりしてますが、旦那は手も合わせず、御朱印も「そんなもの要らないよ」と言われる始末です。
信じる人と信じない人、やっぱり逝く先は別れてしまうのでしょうか?
私の行為は、ただの自己満足の無駄な足掻きなのでしょうか?
死が怖い、1人がいや、憎いやつがいる
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
わかばさんが感じている不安や葛藤について、深く共感いたします。
人それぞれ信じるものや考え方が違うのは、私たちが独自の経験をもっているからです。わかばさんの旦那さんが経験してきた困難は、彼の世界観を作る上で大きく影響しているでしょう。神や仏を信じないのは、その経験から来る素直な反応かもしれません。
仏教では、すべての存在はつながりあい、お互いを支え合って生きていると説きます。わかばさんと旦那さんもそうでしょう。しかし、これは死後も今と同じように永遠に続くということではありません。現実には、愛するものとは、必ず別れる日がきます。私たちは必ず死を迎えるからです。大切なことは、その事実を受け入れ、今、この瞬間にお互いをどのように大事にするかとです。
わかばさんが藁をもすがる思いで、神社仏閣で祈り、旦那様との永遠の絆を求められることは、わかばさんの愛と願いを示しています。それは決して自己満足で無駄なことではありません。若葉さんの心の中の愛と希望を表現しているのだと思います。
これだけ愛する人に出会えたこと、そのことが奇跡です。
パートナーと考え方が違うことは、二人の絆をさらに深めることを後押しするでしょう。むしろ、お互いの違いを受け入れることで、より深い理解と絆が生まれることもあります。
最終的に、信じるものによって行く先が分かれるのではなく、お互いの心と行動が今この瞬間にどのように繋がっているかが大切です。互いの違いを受け入れ、今を大切に生きること。それが、お互いの絆を深める道だと私は考えます。
死後の世界は、あるでしょう。それは、私たちは「いのちの世界」に還っていくからです。そういう意味では、永遠に二人は一緒ともいえるかもしれません。
安心なさって下さいね
拝読させて頂きました。
あなたは亡くなった後旦那さんといずれ別れてしまうのではないかと思ってご心配なさっておられるのですね。あなたのその様なお気持ちわかる様に感じます。お気持ち心よりお察しします。
どうか安心なさって下さいね。
仏様も神様もいらっしゃいます。今まで皆さんのご先祖様方も仏様や神様に導かれ救われてきているのです。普段は何も感じなくてもあなたや旦那さんはいつでもどこでもどんな状況の中であったとしても仏様や神様そしてご先祖様に見守られているのです。そして今までもこれからも生きることできるのです。
旦那さんにとって今までとても辛い思いをなさっていらしたのかもしれません。その辛いお気持ちはご本人でなければわからないかもしれませんが、仏様や神様やご先祖様が守って下さっているのです。
そしてあなたも旦那さんもその与えられた天寿を全うなさる時には必ず仏様や神様がお導きなさって下さり、先に逝かれた親しい方々やご先祖様が優しくお迎えなさって下さいます。そして再会を喜び合い分かち合うことできるのです。仏様や神様のもとで一切の迷いや苦しみからも救われて何の憂いもなく円満に成仏なさっていくことできるのです。
ですからどうか安心なさって下さいね、あなたと旦那さんとのご縁は切れません、これからもずっと永遠に続くのです。そして沢山の方々とのつながりながら生きていくのですし、亡くなられた後もずっと続いていくのです。
あなたや旦那さんがこれからもお互いを思いやり仲良く素晴らしい人生を歩んでいかれます様に、そして天寿を全うなさった後も共に導かれていきます様に切に仏様や神様や皆さんのご先祖様にお祈りさせて頂きます。至心合掌 南無阿弥陀仏なむあみだぶつ