執着心の苦悩がひどく疲れました
友人の変化を感じてとても寂しい気持ちになっています。
いつも私の側に来てくれていたのですが、最近顔を見せてくれなくなりました。
ケンカをしたわけではありません。
行動する時は、ほとんど一緒にいたため側にいないのがとても悲しいのです。
子供が親元から離れていくような気持ちと似ているのかもしれません。
ただ友人ですので、本来であれば頻繁に会ったり、会話したりする必要はありませんし、もっとお互い気楽に遊んで楽しい時間を共有できればそれでいいのだと思っています。
束縛などせずにいままでと同じように自由気ままに振る舞うのが一番だと思います。
でもいつも側にいてくれていたので、いなくなってしまうのではという恐怖に苛まれ、大切な友人を束縛してしまいそうで怖いのです。
友情を壊したくありません。
お互い自由であるのが一番です。
ただ、お互いの友人関係が安定しただけとも思ってます。
私が依存気味で、離脱症状みたいになってきたため執着を断ち切るにはどうすればよいでしょう。
友人とは共同で行なっている作業もあり、それはこれからも続くようなので縁を切るということも現実的ではありません。
知り合いから顔が冴えない、憑き物が憑いているようなひどい表情になっていると言われてしまいました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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それでいい
ご相談拝読しました。
ずっと同じ様なことで悩まれているようですが、お相手の友人とはオンラインゲーム?SNS上?のご友人でしょうか?
リアルでもネット上でも、友人関係が上手くいかないというのは誰でも不安になるもの。気持ちが沈むのも致し方ないと思います。
大事なことは、その気持ちの不安定さの原因はあなた自身の執着心であると、あなたがきちんとわきまえているところです。そこを今後も忘れないようにしましょう。
それを仏教では智慧(ちえ)といいます。しかし智慧よりも感情を優先したらどうなるでしょう?
すなわち執着心に飲み込まれて実際の行動としても相手に粘着してしまうと、余計に上手くいくはずはありません。
だから気持ちは不安定なままでもいいので、このまま行動は冷静に慎んでいきましょうね。
これから先の課題はけしてその不安定な気持ちを強固な揺るぎないものにすることではありません。人間そんなに強くないものです。人間は弱いのです。
だから依存しないのではなくて、依存先を複数もつのも方法です。
頼れる相手を複数持つ。オンラインゲーム以外でも楽しみや発散の場所を持つ。
すると一つがダメでも別のものが救ってくれます。
そうしている内にまた感情も後から付いてきて回復できるでしょう。それが智慧です。
不確かな自分の心を拠り所にするのでなく、執着心は苦しみの原因だという教えを拠り所にする。その拠り所があなたの心を外から守ってくれるでしょう。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
感情というのはなぜ勝手に浮かぶのでしょうね。
困ったものです。