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どうしていいか分からなくなった

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有り難し有り難し 4

仕事できない自分が惨めでしんどいです。

今年28歳でキャリアアップでプログラミングの仕事に転職しました。
未経験の分野もあるが頑張っていきたい旨を伝えて受け入れてくれた会社なので頑張りたいのですが、分からないことだらけで他の人に質問して回る毎日で成果を全く出せていないです。前職での経験を活かせると思っていたのですが、全く活かせていないです。

また、資料に対するレビューを3人からもらう形で進めているのですが、2人目まではOKをもらった内容も3人目に0からやり直しになるようなレビューを出されてしまってすごく無力感を感じます。

それを作るまでの時間も無駄になってしまうし、私の実力ではレビューをもらった内容を実現できない、それを相手に伝えなくてはいけない、ということが重なったり、別の資料もダメ出しが入って…という流ればかりで、もう何をどうして良いか分からなくなりました。

「この仕事は私の実力では納期に間に合わせられないので、今の形でやらせて欲しい」と言っても熟練の先輩なのでできない理由が理解できない、というような感じです。私も知識不足で教えてもらったことが理解しきれず実現できず、歯痒いばかりです。

仕事ができないお荷物なのがすごく惨めな上に、それを人に言わなきゃいけないのがすごく辛くて。

私にはできないというのを伝えなきゃいけない、伝えてもわかってもらえない、修正しても後から後からやっぱりコレが足りないアレが足りないと言われて修正が終わらず、納期ばかりが迫ってきて作業が進まない…そんな状態でもう頭が全く働かなくてボーとしてしまうしで、分からないことしかなくて何を聞いたら良いかもわからなくて…仕事ない時に勉強しても追いつかなくて。

もう仕事があってないのかな、でも転職してまだ1年も経っていないのに辞めるは抵抗があって。
私が頑張れば良い話だと思うのですが、どう気持ちの整理をつけるべきなのか、何からすべきなのか、もうどうして良いかわからなくてここに吐き出させていただきました。

読みづらい文章となって申し訳ありませんが、ご回答いただければ幸いです。

2023年12月12日 19:02

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

合理的に活路を見い出す これなら私にもできる方法を選ぶ

正直向いていない仕事をやるのは苦痛ですよね。(;´Д`)
続けられるかどうかはご自身が一番わかっておられると思います。
資料に関するレビューも完全に打ち消されたというよりは、98点だからここの2点を治せばいいんだよと言われていると思うようにすることです。
ほかの二人がOKなのですから、その二人を頼ってダメ出しをした人に掛け合ってもらうことも大事でしょう。デザインや内容も好みも違いますでしょうし、感性もみな異なるものです。ひょっとしたら意地悪をされているのかもしれませんし、本当にダメならばあなたも納得がいくはずでしょう。
問題は超具体化することが大事です。
別に生存そのものを否定されたわけでもないのですから、どこの何がどういう状況においておペケちゃんなのかをちゃんとあなたも追及することです。
混同しない。
混同視しないことは大切です。
物事は抽象的なまま、曖昧なままであるとどこの何がどういけなかったのかがぼやけて全部がいけないかのように思ってしまうでしょう。
あなたは人から何かを言われると自分が否定されているかのように誤解するところがあるのではないでしょうか。別にダメ出しではないはずです。ダメ出しだったとしてもでは、そこをどうすればその人にとってはOKなのか。
そもそも自然界、雑木林、ジャングルにダメだしする人はいませんし、されたところで雑草は生え続け繁茂しているものです。あなたも叢林、草むらの中の元気な草木なのですから、本来はもっとのびのびと自分らしく生きればいいだけですから、その自分らしくのびのびするためにはこの環境はちょっと(*'▽')?違くねぇか?という疑問も持った方がいい。なぜなら、仕事というものはそんなにあれがわからないこれがわからないあの人にこうしなければ、あの人にこうしなければなんてもんは要らないことですし、あればあるほど会社にとってもいい仕事にならないでしょう。
もしこういう環境だったら私はもっとのびのびと仕事ができたはずだろうという環境に恵まれた職場はちゃんとあるものです。プライドや見栄や要らぬ条件付けを優先して自分が幸せにもなれない職場に固執する必要もないと思います。そもそもあなたの同級生たちだってもっとのびのび仕事をされているはずです。
仕事も修行も苦労苦行は不要です。あなたの中の本心=仏様はあなたが楽しく仕事ができることを望んでいるはずです。

2023年12月12日 23:34
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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

話の中で規模が大きい例えが急に出てきたので、理解ができていない部分もありますが、少し冷静になりました。
回答ありがとうございました。

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