hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

たびたび希死念慮に襲われます。

回答数回答 2
有り難し有り難し 3

お世話になっております。
最近は生きていたいという気持ちがあるのに
たびたび自殺したいという気持ちに襲われて大変苦しくなります。
どうしたらいいでしょうか。

2023年12月17日 11:16

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「いのち」は尊いもの

はじめまして、ご質問読ませていただきました。また、過去の質問も読ませていただきました。希死念慮が止まらないのですね。でも最近は生きている気持ちがあるとお書きですね。以前より良い感じじゃないですか。あなたは、何故に希死念慮が出てしまうとお考えなのでしょう。最初は受験の悩みでしたよね。いまは何ですか。
なぜお伺いするかと言えば悩みや苦しみには原因、理由があるからだと思うからです。あなたの思いを具体的に伝えて欲しいと思います。仏教では、①苦しみの本質を見極める。②本質が判れば原因が判る。③原因が判れば解決方法が判る。④方法が判れば実践する。という考え方があります。これはお釈迦さまが説かれた方法です。2500年以上前に説かれたものですが現代でも通用します。
hasunohaでは単発的な質問と回答になってしまうので、もし継続的に希死念慮が収まらなのであれば「自死自殺に向き合う僧侶の会」と言うサイトで継続的な手紙相談も受け付けています。
あなたの質問を具体的にお聞きしたいです。
どうして生きていたいのにたびたび自殺したくなってしまうのでしょうか。
もちろんこのhasunohaでも良いのでもう少し詳しくお話ししてください、的確なアドバイスをするためにも必要かと思います。
あなたのお気持ちをを教えてください。
何故なら、あなたが楽になって欲しいと心から願うからです。
最後に「いのち」は尊いものです。会社の社長でなくても「偉い」人でなくても、存在するだけで尊いのです。
何故ならあなたの両親は2人ですよね、その両親は4人、更にその両親は16人、つまり1世代遡ると先祖は4倍になって行きます。10回遡るとあなたのご先祖は100万人超えです。その内の1人でも欠けたらあなたはこの世に生まれてません。数え切れない「いのち」にたった1人の「いのち」が支えられているのです。だからあなたの「いのち」はそのままで尊いのです。

2023年12月17日 22:18
{{count}}
有り難し
おきもち

仏教の目的は、抜苦与楽と成仏です。 生きている人の苦しみをどうしたら癒せ...
このお坊さんを応援する

あなたの思いを分かち合いましょう

拝読させて頂きました。
あなたは今生きていきたいという思いがある中でもたびたび自殺したいという気持ちにおそわれてくるのですね。詳細なあなたの心の中はわからないですが、あなたのその苦しい思いを受け止めさせて頂きます。

あなたがそう思ってしまうこともとてもあるでしょうし、私もそういう時がありました。日々その様な思いにおそわれてしまうことがありました。あなたは決して独りではありませんからね。

その思いはなかなか人には言えないでしょうから、ここであなたのその思いをおっしゃって下さいね。あなたが信頼できる方々にあなたのその思いをお話なさって下さい。そしてあなたの心の中からその思いを出していきましょう。
もし宜しければオンラインでもあなたの思いをお話下さい。

お話してみると少し気持ちが変わります、少し心が軽くなっていて少しスッキリします。そして生きる力が少しずつ湧いてきますし、周りの方々の存在が見えてきますからね。

あなたの思いをどうか多くの方々と共有していきましょう、私達と分かち合っていきましょう。全てのことはわからないですがそれぞれ部分部分はわかるでしょうし、あなたの気持ちに少しでも寄り添うことができると思います。
あなたを心よりお待ちしております。至心合掌

2023年12月17日 15:10
{{count}}
有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
このお坊さんを応援する

「希死念慮とのつきあい方どうしたらいい」問答一覧

なぜあんなに自分勝手だったのか

私には信頼できる友達がいて、家族との関係も良好であり、周りの人にとても恵まれていると思います。 私はおしゃべり好きではありますが、自分の意見を曲げずに押し通したり、思いやりのない行動はしないように気をつけてきたつもりでした。 しかし、以前付き合っていた方に対して、私はどうしようもなく自分勝手な言動をしていました。 当時は、相手が自分のことを好きでいてくれることに調子に乗り、自分の感情を優先していたのだと思います。 自分は相手に寄り添おうとしていなかったのに…です。 相手の性格や生活スタイルを考えずに連絡を強要したり、きちんと感謝していなかったり、自分勝手な言動を思い返せばきりがありません。 価値観の違いですれ違ったというより、私の身勝手で上から目線な言動に相手が耐えられなくなったのだと思います。 相手の気持ちや、そのときの状況を考えれば間違っていると誰にでも分かるようなことをしていましたし、相手には嫌な思いをたくさんさせてしまったと思います。 冷静になって振り返ると、自分で自分が信じられないです。 また、不安や寂しさといった感情をコントロールできなかったことも自分自身の弱さであり、そのような芯のない自分が情けないと思っています。 今は反省反省の日々なのですが、誰に対しても謙虚に思いやりをもって生活していれば、自分を変えることはできるでしょうか。 まとまりのない文章で申し訳ありません。 ご回答いただけますと幸いです。

有り難し有り難し 8
回答数回答 2

SNSでの誹謗中傷が長い間続いています。

あるSNSで複数人、グループのような形で仲良く交流をしてた人々がいました。(以下、ネッ友たちと記載させて頂きます。) そのネッ友たちとは約4年程交流していたのですが、ある日、ちょっとした事で喧嘩をしてしまい、いわゆる喧嘩別れをしました。 喧嘩の内容は、意識のすれ違いというか、 正直なところ、何故そこまで執着して責められないといけないのだろう…といった内容です。どちらに非があるのか、聞かれれば微妙な内容です。 喧嘩をした後は速攻アカウントを削除しネッ友たちから離れました。 それから2年後のある日、たまたまネッ友たちの内の1人のアカウントを発見してしまい、興味本位で覗いてしまいました。 悲しい事に、まだ私に関する悪口が沢山書かれていました。 過去の私の投稿や発言を転載し、揶揄する内容のものもありました。 会話のやりとりもあったため、察するに仲間内で盛り上がり、当時のメンバー全員で書いているのだと思います。 とても怖く、ショックであったため、もうそのアカウントは見ておりません。 お恥ずかしい話なのですが、当時、そのネッ友たちに自身の本名などの個人情報を伝えてしまったため、いつか個人情報をインターネットにバラまかれたりしないか?と心配で仕方ありません。 住所なども特定されてしまう、または既に特定されているのではないか?と余計な妄想までしてしまい悩んでいます。 自分の失態が招いた出来事であるのは勿論承知なのですが、デジタルタトゥーを残されることが特に心配なのです。 正直なところ、2年も誹謗中傷が続いているものですから、何をされていてもおかしくないと考えております。 現在進行形で悪口が書かれる事と、個人情報がインターネットにバラ撒かれないか、という不安で大変辛いです。 毎日、普通に生活していても、ふとした瞬間に書き込まれた悪口を思い出しては辛い気持ちになり、「今も悪口を言われているのだろう。」といった悪い思考に取り憑かれています。 どうしても病的に思い出してしまいます。 私は一生、この不安や憂鬱な気持ちと付き合っていく他ないのでしょうか。 どうすればSNSでの誹謗中傷を気にせずに居られるでしょうか? 何せ粘着されている期間が期間であるため、精神的に大変参っております。 どうすれば気にならなくなるか、または立ち直り方など、心の持ちようをお教えください。

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

かわいそうと思ってはいけないのか

障がいのある方、被災した方、いじめられたり虐待された子ども、性被害にあった女性、パワハラを受けた男性、重い病気の方、ペットをなくした方、多頭飼育崩壊の犬猫など、私が彼らのことを思う時に、私の心に浮かぶ感情に名前をつけるなら「かわいそう」だと思います。 細かく分類すればそれぞれ少しずつ違うと思いますが、それをうまく表現できないので、総じて「かわいそう」だと思います。 (暴力でしか自己表現できないような人を「かわいそうな人」と思うことがありますが、この「かわいそう」は先の人たちのとは違うという意識はあります) ですが、当事者の方には「かわいそうと思ってほしくない、そう思うのは見下しているからだ」という意見があります。 傷ついている相手に寄り添いたい、力になりたいという思いは「かわいそう」だからだと思っていたのですが、間違いだったのでしょうか。 私のこの感情は、正すべきなのでしょうか。 それともこの感情には違う名前があるのでしょうか。 「かわいそうというのは差別だ」という意見を見て、そしてその意見が支持を集めていて、自分の中に無意識の差別意識があったこと、かつてそう思い行動したことで相手を傷つけていたかもしれないこと、自分の感情を否定されたことにショックを受けたので、質問させていただきました。

有り難し有り難し 19
回答数回答 1

鬱になりそう

はじめまして。大学1年生、19歳。 みょんと申します。 私は物心ついた時から希死念慮を抱きながら生きてきました。 母に「私なんて生まれなければよかった。」と、泣き叫んだこともあります。 (その時は幼かったので、母に如何に大切に思っているかを伝えられて落ち着きました。) ここ数年落ち着きを見せていた鬱状態、希死念慮でしたが度重なる多忙、精神不安から再発しています。 ➀サークルの仕事 イベントサークルに所属しておりSNS運営や画像作りを担当しているのですが 大学祭のイベントの投稿2週間分を前例のない状態で作り上げたこと。 ミスコン団体のイベントのポスター、SNS投稿作り、リハーサルを同時並行で行ったこと。 ➁疎外感 サークルや友達と居ても疎外感を感じてしまい、寂しい思いをしていること。 ➂アルバイト アルバイトの仕事で仕事を教えてもらえない、お局様からのいやみなどで電車に乗れなくなり アルバイトに行けなくなって辞めてしまったこと。 バイトを変更して、新しいバイト先になったはいいもののよく体調を崩してしまうこと。 (理解のある職場で体調不良時も優しくしてくださいます) ➃ホームシック 田舎から出てきたホームシックで都会の喧騒に疲れてしまい、家に篭りきりな事。 同棲している彼氏にこのままでは壊れる、と言われてしまいました。 私もそう思います。 どうしたら心が保てるでしょうか。 来年度からはサークルが自分たちの代になること、 現状5人程度で運営するミスコン団体の幹部になりタスクが増えること、 彼とうまくいかなくなってしまったら など、不安要素が沢山で毎日苦しい、頭が痛い、希死念慮で溢れる日々です。 どうしたら前向きに過ごせるでしょうか。 長文失礼いたしました。

有り難し有り難し 1
回答数回答 1

希死観念が消えない

希死観念が消えずに困っています。 受験期に鬱になって以降自分のこれからの未来に、過去の選択に自信が持てず、いつも死ぬ事ばかり考えてしまいます。というより、死ぬメリットのほうが大きいように感じてしまいます。 だって自分が死んでしまった方が面倒くさいことや自分のコンプレックス、世界の悲惨さから目がそらせる事ができるでしょう。家族の死や友人の死だって見ることも。 自分は自分の容姿も磨かないくせに妬んでばかり。自分の努力不足を家族や周りの環境のせいにして、被害者づら。lgbtqに理解があると謳いながら、自分は心の奥底で嫌っているから自分が当事者であると言えずに取り繕って、自分に嘘をつき、周りにばれないように生きている。 こんな矛盾したゴミのように甘えた自分に嫌気がさして、死にたくなるのです。 過去に戻りたい。もっと真面目に努力すれば良かった。 ただただ何かに打ち込み、輝いていたあの頃に戻りたいです。 とにかく今の自分が嫌いです。もっともっと何かに熱中して、命を使い切るかのように生きていきたいのです。 しかし、それと同時に死んでしまいたいという思いが頭いっぱいに広がってしまい、情熱が消え失せてしまうのです。 自分の中にあるモヤモヤを書き殴っただけなので、意味不明な文章になってしまいまい申し訳ありません。しかし、自分のなかの願いはただ一つ。希死念慮を消してほしいのです。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ