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自分がどんどん嫌いになってしまいます

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有り難し有り難し 24

大人になるにつれて、短気になり、神経質になり、小さいことが許せなくなってしまいました。そんな自分がとても嫌です。

高校生の頃までは、おおらかで怒ったところを見たことがないと言われるほど、のほほんと生きてきました。今では嘘のようですが、素直で天真爛漫と言われてました。大学では一部恋愛関係で荒れたこと以外は大体そうでした。

社会人になり、都会に出てきて、色々な人に出会うようになり、理不尽な思いをすることが増えました。会社に勤めることもその1つです。

のほほんと生きていたら自分だけが嫌な思いをしてしまう、という思いが根付いてしまったのでしょうか、最初は身を守るためにピリピリしていたと思います。

それがもう10年弱続き、私の性格となってしまったようで、理不尽なことや思い通りにならないことに遭遇したらムカムカして声を上げないと気が済まなくなり、穏便に済ませることができなくなりました。後から後悔します。ことを大きくしたことで自分の後悔も大きくなるのです。

高校生の頃ならば、誰かを傷つけるよりは自分が傷つく方が楽だ〜という気持ちで適当に流せていました。自分が傷つくことよりも、人を傷つける罪悪感の方が大きかったのです。でも今は逆になってしまい、あとあとそのような自分が嫌になり、どんどん嫌いになります。なぜ私は変わってしまったのでしょうか。

どうしたらこんな嫌な自分を変えられますか?元に戻せますか?
嫌なことがあった時、行動する前に一旦立ち止まればいいこともわかっています。でもそうすると、一旦は流せたように思えても、心の中でそれが増幅してどこかで弾けてしまうのです。自分の中だけで収められればいいのですが、他人にものを申したり、夫に小言を言ったり、子供の前でうまく笑えなくなったりしてしまいます。特に子供の前ではいつも笑っていたいので、それができない日は心がとても苦しいです。

長々と書き連ねてしまいましたが、ここまで読んでいただきありがとうございます。
私の心はどうしたら救われますか?行動を変える、捉え方を変える、いろいろな方法があると思いますが、どんな方法も難しく感じてしまいます。アドバイスをお願いします。

2024年1月19日 22:37

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

無常を知り、虚無感を避ける。

拝読させていただきました。

学生時代と変わり社会に出ると自由が増える気がしているものの、現実は社会のほうが不自由であり、世の中の見えないルール(倫理観)に縛られているのが現代の人々の心でもありますよね。

人はどこまでいっても求めるものは「自由」です。その自由がいつしか無くなってしまうのです。世間や他人と比較することで自己の在り方を考えてしまうことにも原因があるものです。

いろいろと試行錯誤に行動を移しても思うようにいかないのが現実かも知れません。そんなときは、すこしだけ自己のハードルを下げてしまうこともコツとなります。

完璧というものはありそうでないことも知っていると思いますが、ある程度の位置で「まあ、これでいいか」という習慣、癖を付けていくことのほうがはやいかも知れません。

過敏になり過ぎて、他人が意識していないことまで見えてしまうことは、プロ目線で物事や事象を把捉している傾向が強いこともあると思います。

すべては諸行無常です。変化し続けていく人生において、捨てたいものは心にとって重たい荷物となります。
釈迦は、「汝が、水を汲み出したならば、舟は軽やかに進むであろう。」と真理を説きます。

わるい習慣を治すよりも、ハードルを下げていくことに習慣付けていくことが早いかも知れません。

楽観的にはすぐにはなれないですが、何事も習慣づけていくために、「これでいいや」を自分の口癖のように言い聞かせてみてください。数ヶ月もすれば、そのようになっています。

合掌

2024年1月20日 18:23
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有り難し
おきもち

祈るこころに佛心が宿る。 変化多き時代を生きる私たちにできること、それは...
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環境を変えるのが有効ですが、真理を突き詰めるのも有り?

ご相談拝読しました。

小さい頃の時のあなたが好きで、大人になった今のあなたが嫌いなのですね。変わってしまったと思っているのですね。そして元に戻りたいと願っているのですね。

仏教は諸行無常を説きますからあらゆるものが変わるというのは確かです。

でもそれは、はじめに何か元があってそれが段々変わっていくということではないのです。はじめから何もないのです。何もそこに実体がないからこそ、一瞬一瞬その時の要素によって違うものが成立するということです。

だからあなたが思うようなあなたもないのです。若い頃のあなたが本当で、今のあなたが間違っているとかそんなことはありません。あなたはあなたの思いを超えて、その時の要素で成立しているだけです。

だからまず「あなた」という「核」とか「実体」があって、そこに付いた汚れを落とさなきゃみたいになっているのだとしたらそれは違います。

「あなた」それ自体が無常なのです。会社という人間関係を除いて今のあなたはない。だから分りやすい例なら、会社が変わればあなたの構成要素も変わりますからあなたも変わるでしょう。

でも「会社に勤めることもその1つ」とおっしゃる様に、けしてそれだけが原因でないことにもあなたは気づいている様子。
そう、会社にだって実体はない。会社の中の様々な要素。もっと言えばその要素について自分がどう思い、どう語り、どう行動するかということが最も根源的なあなたの要素です。会社だけじゃない、あらゆる外的な要因にあなたが何を思い、何をり、どう行動するか・・・その集合体が「あなた」です。

けして、あなたが悪く変わってしまったわけではないのでしょう。ただ、あなたがあなたを構成する要素に疲れてしまっている。そこの構成要素を見直す必要があるかなと感じます。

2024年1月21日 6:08
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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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質問者からのお礼

お二人ともありがとうございます。
諸行無常、というのを思い出して、変わってゆくことを受け入れて行こうと思います。

合点のいく回答ありがとうございました。迷いが消えました…!

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ