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殺すべきはわが身に非ず。わが身のオレオレオラオラした我の心。
はい、では殺してみましょう。
殺してくれとか言っておられますが、そこまでの覚悟がおありでしたら、その死にたい、殺してくれという叫んでいる本体・主体をサーチしてみるとよいでしょう。すると大体、自分の、俺の!オレ流の!マイルール、マイワールド、俺が俺の俺的な!自己中心的な暑苦しい我の心だということが見えてくると思います。
そこまで見抜けば本物になれますよ。
ただし自分の身心は傷つけちゃぁいけませんよ。
よって、殺してくれぇなんていう言葉も自分を傷つける作用になっているから言わんほうがイイ。我だもの。
心の中で自分が発した言葉が心の中でどういう作用をしているかを見つめてみましょう。
すると、無自覚ながら発している言葉のおおよそ大半が自分を傷つける内容になってしまっている。
そういうことを無自覚ながら繰り返しているからあなたの本心、仏と昔の人が名づけたあなたの本当のこころ、命の尊厳が苦しくなっていき場がなくなる。だから、死にたい、殺してくれぇ、と言いたくなる。
生きてる中で何があったかは知りませんが、過去を思い返して取り上げては問題にしてどうにもならないことをいまさらネチョコチョかき混ぜてはああ、失敗したぁ意識にまみれる。そのどろどろしたダーク品質の思いにチョコまみれぐらいにまみれる。ひよこまみれぐらいにまみれている。
そういうダークでネガティブで暗く、悪い、元気にならない「思いのアクションの玉」を無数に自分が!作り出している。そういう自覚を持つ。
オムライスの卵だって、目玉焼きだって、卵焼きだって下手にかき混ぜすぎればうまくいかんのですよ。🍳
心の中だってそう。
心が身心脱落、仏、成仏状態になりたければ、そういう分析マインドの箸であちこち心の鍋をつつきまわさないことです。かき混ぜれば濁る。
ああ、おれが自分で変なかき混ぜ方をしていたのかぁ!と自覚する。
そして、自分をいじめない思いを念ず。ダメージにならないアクションにつとめる。
人はなかなかそういうことを教えちゃぁくれないし、救っちゃぁくれない。
自分の歯も自分で磨かなきゃ、誰もきれいにしちゃくんねぇ。
我を殺してほしけりゃ、その自分の我の浅ましさ、エロさ、アホさ、だらしなさ、我の自分ラブラブした気持ち悪さを見抜いて、恥じて距離を置く。
自分は殺さんでいい。わが内なる我の心から離れれば貴方の本来の仏の働きが開かれます。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
今日会社を、休んでしまいました。
苦しくて半休してしまいました。
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