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一塔両尊の前にいる釈迦如来について

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初めて質問させていただきます。
日蓮宗の本尊形式についての質問です。
 
日蓮宗の本尊では一塔両尊(多宝塔の隣に釈迦如来と多宝如来がいる)と言われる形式に四菩薩や四天が加わり、その前に日蓮さんが配されていることが多く、また地域によって曼荼羅の位置が異なったり、曼荼羅の前に地域で信仰されている諸天が配されている場合が見受けられます。
 
ところが先日京都で拝観させていただいたお寺では、一塔両尊の前に釈迦如来が配されている(つまり釈迦如来の前に釈迦如来がいる)本尊を見かけました。
これは本仏に対する応身を強調するためなのか、それとも日蓮さんに法華経を伝える迹門の釈迦如来を重視する意図なのでしょうか。
 
そのお寺では聞きそびれてしまったので、もしご存じの方がいましたら考えられることでも構いませんのでご教示頂けると助かります。
 
以上、よろしくお願いいたします。

2024年2月4日 23:32

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

たけかわ 様

投稿されてから、しばらくたちますが誰も回答なされないので
とりあえず述べさせていただきます。

私は日蓮宗の僧侶ですが、京都のそのお寺のことは存じ上げません。
そこのお寺の何か歴史が関係があるのか、住職の信仰上の思い入れがあるのか、
もし尋ねられそうでしたら、尋ねてみてください。
お手紙でもいいと思います。

日蓮宗のご本尊の形は、基本はたけかわ様のおっしゃる通りです。
日蓮さんといわずに、日蓮聖人と表記していただければ、ありがたく思います。
回答にならずに失礼いたしました。

2024年2月8日 20:50
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