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家族の死に目に会えない

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ここ数年でたくさんの家族を失いました。
どの家族も死に目に会えませんでした。
私のこれまでの行いが良くなかったのでしょうか。

1.祖父
祖父が病気で入院し、遠方だったためお見舞いに行くために飛行機を予約していました。
私たちがお見舞いに行く前日、急に容体が悪くなり亡くなりました。

2.祖母
急に体調が悪くなり入院、危篤状態と連絡があった時に私は運悪くコロナワクチンの影響で発熱。祖父と同じく遠方で、這ってでも行くつもりでした。コロナ真っ只中で発熱している人が面会させて貰えるわけもなく、そのまま会えませんでした。

3.愛犬
私は実家を出て暮らしています。
実家の愛犬の体調は良くないが、数日はもつだろうとお医者さんに言われており、連絡があった日は夜遅くすぐ行ける状態ではなかったので翌日行くことにしました。
その連絡があった日に亡くなりました。

4.父
両親は離婚して父とは離れて暮らしていましたが、頻繁に連絡を取ったり会いに行ったり来たりしていました。
私の結婚が決まり、婚約者を紹介しに11月、父に会いに行く予定でした。
9月の終わりに父と楽しみだねって話をした後の10月頭に父が緊急入院しました。
かなり遠方でしたが連絡があってすぐに飛んで行き少し話すことができました。
コロナの影響で1人しか付き添えないと言われ、私が付き添うことになりました。
父と少しも離れたくなかったのでずっと何も食べず付き添いました。
見かねた祖父が少しの間だけ交代するから何か食べてこいと言ってくれました。
私が部屋を出た3分後に父が亡くなりました。

私は本当にバカだったと思います。
どうしてその場を離れてしまったのか、本当にどんなに後悔しても足りないくらいです。

死に目に会えないのはこれまでの私の行いが原因なのでしょうか。
思い当たることがたくさんあります。
今後の行動を正すことで報われることはあるのでしょうか。

2024年2月7日 12:14

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

先祖は見てくれています。

立ち会えなかったことは残念、お悔やみを申し上げることでし言葉は見つかりませんが、これから同じ境遇や境地に立たされることもあるかもしれませんよね。

故人さまの命日には手を合わしてあげ、供養の環境をしっかりと作ってあげることが、相互ともに救いとなっていきます。

なぜなら、人の死には2回あるとお伝えしてます。

一度目の死は、寿命を終えたとき。
二度目の死は、故人が忘れられたとき。

一度目も二度目もどちらも重く悲しい死です。しかし、先祖となった故人の立場からすれば、「忘れられた死」ほど悲しい死はありません。

これから、わたしたちも日常で準備などをしているにも関わらず、間に合わないときもあるかもしれません。
また、故人さまも人生にしっかり足跡を残され、多くの人々限らず生きとし生けるものへ報恩された人生だったと思います。

供養の環境(法要)では、ご遺族様の心の中に生前の「まなざし、声」などが、胸をざわめつかせ、懐かしさ、命の音などを感じる方々が多いものです。

先祖があって、今わたしたちは誕生し、生かされている。この命をどのように今から生かしていけば、先立たれた先祖たちは安心してくれるなどを考える時間も命日の供養となります。

命の生かし方により先祖は喜び、当人も意思が強くなったり、生き方に変化や、良い方向へいくことが多くなります。

合掌

2024年2月8日 1:36
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質問者からのお礼

ご回答いただきありがとうございました。
これからどう生きていくか、自分がどう在るべきかよく考えて生きていこうと思います。

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