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昔、母の最期に何も伝えられなかった後悔

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現在23歳です。17歳のときガンで母を亡くしました。

 親しい人がなくなるという経験は、物心ついてから初めてのことでした。また、もともと母とは性格的に合わない部分もあったし、当時の私は少し反抗期も残っていたように思います。それでもたくさん愛してもらったし、大好きな母でした。

 母が余命わずかで自宅療養をしはじめたころ、私は母がもうすぐ亡くなるという事実が受け入れがたく、ただこのままその日が来なければ良いのにとばかり考えて現実逃避していました。母が亡くなることなんてないと信じたかったんです。
 だから、母が病気でもなんでもないかのように振る舞ってしまいました。産んでくれて育ててくれてありがとうとも、大好きだとも伝えられませんでした。

 母は専業主婦でしたが、活動的で仕事ができるスキルや資格もある人でした。
 この年齢になって、私も将来の子育てとキャリアのことを悩んだりします。きっと母は働きたかったけど、その気持ちを犠牲にして私達を大事に育ててくれたこと、その重大さが今はよく分かります。

 それなのにあの時は何も言えなかった。今の私なら母が最期に幸せだと思ってもらえるようなことをたくさんできたし、悔いなく感謝を伝えられたと思います。母の話ももっと聞けばよかった。最期に、この人生を選んでよかったと心から思ってもらえるような送り出し方がしたかった。

 子どもが元気に生きているだけで親孝行、なのかもしれません。でも母はもう亡くなってしまって、最期にまったく親孝行できなかったという気持がずっと引っかかっています。

 今日、夢のなかで母が亡くなる直前の時期にいました。夢の中の私はやっぱり現実逃避して、大事なことを何も伝えられませんでした。
 もうどうしようもないと分かってるけど、叶うなら母が亡くなる前に戻ってもっとたくさん感謝を伝えたいし、母の人生の話を聞きたい。
 この後悔はどう整理していけば良いのでしょうか。

2024年2月8日 6:49

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

言わなかった、行動しなかった

としても、心に思わなかったわけではありません。
 言葉や行動はいろいろですが、いずれも、まず心が思って感じて、それから言葉や行動に出る、と仏教では見ます。言葉や行動に出さずに踏み止まっても、心に思ったことはすでに心で行った行為だとまで、仏教では見ています。
 心で悪いことを思ったり感じても、言葉や行動に出すときに修正しようともします。思っていることと逆のことを言ったりしたりもします。
 受け取る側は、なんとなく、相手の言葉や行動だけでなくその後ろにある心や感情まで推し量ったり、分かったりします。心が、言葉や行動に現れるから何となく分かるのです。言ったり行動したりしなくても、心で感じて思っていることは、何となく分かります。
 相手の困った状況に自分も混乱したので気のきいた言葉の一つも出てこなかった、などということがよくありますが、その、言葉も出せないほどのこちらの状態を、相手も何となく分かります。無関心で何も考えていなかったのではなく、とっても考えていたからこそ、何も言えなかった、何もできなかったのですから。そのあなたの気持ちが、お母さまにも通じていたと思います。
 しかも、自分が死にゆく最後の時です。これまでより余計に心を研ぎ澄ませて、自分と家族のことを思っていた時なのです。お母さまにあなたの気持ちが分からないわけがありません。
 あなたが心を落ち着けて、冷静に言葉や行動が出せたらより良かったのでしょうけど、十代の娘が母の死に直面するときでした。なかなかできることではありません。でも、心ではいっぱい思っていたのですから、その心は通じています。あなたが、お母さまの言葉や行動よりも気持ちを、たくさん受け取っているように。

2024年2月8日 8:43
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有り難し
おきもち

初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本仏教、浄土真宗ということで活動しております。 先祖供養とか功徳回向とか、みんなお釈迦様が最初からおっしゃっていたって、ご存知でしたか。私たちも謙虚に堂々と日本仏教しましょう。

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