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人を褒めたくありません。

回答数回答 2
有り難し有り難し 15

いつも為になる回答とお言葉いただきありがとうございます。

また生きる智慧をいただきたいです。
私は親に褒められた事はありません。
正確に言うと、良い部分を指摘される事がありませんでした。
その逆に悪い部分のみを指摘されて育ちました。
それが為になると信じてやっていた事ですので、
愛情なく育てられたわけではないです。

そんな環境の育ちでしたので、他人には同じ思いは
させたくないので自身で反省し、
常に相手の良い部分に目を向けて、褒める、指摘するなどを
人生でやってきました。人に感謝され人脈も拡がりました。

が。全く幸せになれません。
結局『欲しい言葉』を求める【だけ】の人間しか現れません。
親でさえそうです。
私は褒めても“私”が褒められる事無いんですよ。
自分が飢えている状態ではストレスでしかなさ過ぎて辛いです。
意味も無く突然切れてしまった事もあります。
親に話しても「それまでやってこれたのだからいいじゃないの。」
と論点をずらされます。
他人は私が“よく人を褒めるそういう性格”なのだという部分のみで
これだけ精神的に辛いと訴えると“面倒くさい”と言われます。
欲しい言葉のみを貰って気分良くなりたいだけの時に
常に利用されてるだけなんだな。と気が付いて辛くなりました。

『昔は明るくて良い子だったのにね。』と言われて
全力でキレてしまいました。

前向きに考えた結果とった行動なのに
全く現在は幸せになれておりません。
後ろ向きの考え方を元にした前向きさでは
人生限界があると思いました。

教えをいただきたいです。どうぞよろしくお願い致します。

※補足
何故褒めてくれないのかを親に聴いた事があります。
『身内を褒めても金にならない。』からだそうです。
生活の為に共働きだった親を否定するつもりもないし
感謝していないわけはないので
このことはもう親とは話し合う気は無いです。

長文お読みいただきありがとうございました。

2024年2月11日 11:27

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

プライドの煩悩は誰にでもある

欲・怒り・怠け・プライド等の煩悩は誰にでもあり、それら煩悩が悩み苦しみストレスの根本原因なのです。
プライドの煩悩は、自分を素晴らしいと思いたい気持ちです。自分と他人を比較するなど、自分の評価を気にするのがプライドの煩悩です。
褒められたい、批判されたくない。
これもプライドの煩悩。
親にもプライドがあるので、「子供を褒めなかった(子育てが下手くそだった)」ことを指摘さると反論したくなる(プライドから怒りの煩悩につながる)のです。
なので、親の言い訳(褒めなかった理由)を言葉通りに受け止めないでください。
令和の時代では、子育てにおいて児童の自己肯定感を育むことの大切さや、「愛着障害」という概念も広まりつつありますが、それでも、教育や保育の専門家でないかぎり、そのような知識はないでしょう。
仮に、あなたの親が昔、たまたま心理学の本を読んで「あ、子供を褒めるのは大事なんだな」と、他の親が知らない知識を得ていたら、おなたの親はプライドの煩悩が刺激され、「私は他の親と違って、ちゃんと子供を褒めてやろう。これが最新の心理学に基づく子育てなのだからな!私は他の親とは違う素晴らし親なのだ!」と、あなたを褒めて育てたかもしれません。
つまり、単に(褒めることの大切さを)知っていたか知らなかったかだけの違いです。
しかし、知らなかった過去を今責めても、親は自分のプライドを守るために必死で反撃してきますから、喧嘩になるだけ。
いずれにせよ、誰にでもプライドの煩悩があり、あなたも親も友人知人も、みんな自己評価を気にするあまりストレスに苦しみもがいている、だから「お互いさま」だと思って、慈悲の心で大目に見てあげましょう。
「こんな親でもよく見たら可愛いところもある」と、仏様のような慈悲の眼差しを意識しましょう。
慈悲にはあなたの怒りの煩悩を和らげ、日常生活のストレスを減らす効果があります。
他人を許すなんてプライドが許さないかもですが、その煩悩に気付くことが大切。
要は、心は原因と結果で動く機械。心の乗り物である個人に罪は無いのです。

2024年2月12日 13:55
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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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拝読させて頂きました。
あなたは人から褒めてもらいたいと心から願っておられるのに褒めてもらうことできずにとても辛い思いをなさってきたのですね。そしてあなたは人に対しては一生懸命に人のいいところを見て褒めていらしたのですね。あなたのその辛いお気持ちを心よりお察しします。
世の中にいると人を褒める人というのはなかなかいない様にも感じます。この人とても素晴らしいなあ、とっても良い人だと思ってもなかなか直接その人に向かって褒めてたり感謝の気持ちを表したりすることは以外にないものかと感じます。
もしかしたら恥ずかしさもあるのかもしれません、或いは皆さん自分が生きているのに精一杯で全く余裕がないのかもしれません。ニュースやSNS上を見ていても人に対して非難したり誹謗中傷しておとしめるような言葉を沢山毎日目にします。
それだけ世の中がすさんでいるのかもしれません、或いは世の中が物質的に豊かになったとしても精神的には貧しいのかとも思います。
何でもあって当たり前で「有難う」のとってもありがたいかけがのないという感謝の気持ちを私達がついつい世の中の感性に流されて忘れているのかもしれません。
ですから人やものに感謝する、人を褒める尊ぶという感情を忘れているのですね。「忙しい」という文字は心が亡くなると書きます。私達は生きながら心は亡くなっているのかもしれませんよね。
あなたはご自分のことを誇りに思って頂いて善いと思いますし、ご自分のことを子心から褒めてあげて下さいね。あなたは今まで人の善いところを見ようと努力なさっていらして実際に人を褒めてきたのでしょうから。それはとても尊い大切なことです。
そんなあなたのことをきっと仏様や神様やご先祖様はいつも優しくお見守りなさっていて下さいますし、あなたを心から褒めて下さいます、そしてあなたを善き方へとお導きなさって下さいます。どうか仏様や神様やご先祖様手を合わせて今までの感謝の心を持ちながらこれからも健やかに生きて下さい。

あなたが周りの方々やものごとに心から感謝なさり、皆さんとお互いを心から尊重し合い、これからの未来を心から豊かに健やかに生きていかれます様に切に仏様や神様や仏様や神様やご先祖様に心からお祈りさせて頂きます。そしてあなたを心より応援しています。至心合掌

2024年2月12日 17:47
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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

願誉浄史様

ゆっくり考えて書きたいと考えて
少し返信が遅くなり申し訳ございません。

的確なご回答ありがとうございます。
全くその通りなのだと、知人と親と自分に対して感じます。
知人に正直に褒めている時の気持ちを信頼して話しました。
プライドを害したらしく、「下心で人を褒めているのか。」
と怒られました。他人はそれで仕方ないと思います。

親の場合は褒めなかった事を問い詰めた際に上記の言葉を
言っておりました。
私の気持ちを考えるよりも、自分(親)のプライドを
選択する場面を何度も目の当たりにして失望するのが辛いので
話し合うなり考えるのはもうやめようと思っています。

いただいた御言葉を思い出す様に致します。
誠にありがとうございました。

Kousyo Kuuyo Azuma様

少し返信が遅くなり申し訳ございません。
温かいお言葉をありがとうございます。
読んでいて沢山考えました。

あまりにも褒める人はいない為に
いつの間にか自分が褒める人になっておりました。
最初は喜んで貰えるのは嬉しいのですが、次第に
延々と『善人』を求められ、そこに疲労を感じる事を告白すれば
『偽善者』であるといわれてしまう。負のループでした。

ただ実践してみて良かった事は、誠実さと打算を
素早く判断出来る様になった事です。
この事に関しては打算のみで利用してくるだけの人間にも
感謝出来るようにもなりました。

視野を拡げる事が出来ました。誠にありがとうございます。

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