位牌無し遺骨のみ自宅に安置供養の仕方
亡き夫は永代供養を選択し夫婦で契約もしました。残された私自身はこの日が来ることは分かってはおりましたが、納骨する気持ちになれません。一年忌、三年忌をめどにと考えてはいますが私自身が元気な間は一緒にいたいともおもいます。このまま納骨しない場合。
①位牌もなく遺骨のみの場合の供養の仕方を教えて下さい。また、これから来るお盆は主人は帰って来る場所がないということになるのですか?一年忌や三年忌はどのように供養したらいいのか?
②遺骨は学修机の本棚の高いところに安置してますが大丈夫ですか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
まず、あなたが信仰する宗教がどんなものかを知らないとなかなかお答えするのは難しいとお伝えした上で、仏教と言う視点にたってお答えします。
私は遺骨はその方の形見と考えています。まさにその方限定の形見ですからお墓に埋葬して永く安置してお祀りすると言う考え方です。そして亡くなった方は成仏して「浄土」と言う世界に帰られます。ですから魂がお骨の中にあると言うことではありません。そう考えるとお手元にお骨を安置されている事には何の問題もありません。
ウチのお寺の檀家さんの中にはご主人のお骨をずっと手元に置いてご自分が亡くなったら一緒に納骨して欲しいとおっしゃる方もいます。つまり納骨するしないは自由です。ですからあなたが納骨したいと思う気持ちになったらすれば良いのです。また、位牌は宗派によって考え方が違うのですが浄土真宗では特に無くても良いと考えます。先程申しあげた通り魂はお浄土に帰られていますから、小さな位牌に閉じ込められている訳ではないからです。
それからご遺骨の置き場も決まりはありません。本棚の高いところでも大丈夫です。
下の方に置くより良いと思います。
そして、供養についてですが、1番大切なことはあなたがご主人を想い、お偲びして、感謝の気持ちで手を合わせることです。
もちろん仏教ならお坊さんに拝んでもらうこともあると思いますが大切なのはあなたが供養しようと思う気持ちです。ご遺骨は形見ですが、あなたがご遺骨に手を合わせるのをお浄土からご主人は見ていてお詣りしてくれた事をよろこぶのです。それが供養ということだと思います。あなたがご遺骨に話しかければご主人はお浄土からそのお話を聞いてくれます。だからあなたは1人ではないのです。私たちと仏様は決して一方通行の関係ではないのです。
その証拠にあなたがご主人に手を合わせると、何故か心が落ち着くとかホットするお気持ちになりませんか。それはご主人がお浄土から「慈悲心」をあなたにたむけてくださるからなのです。これからもご主人に手を合わせ下さい。合掌
写真と一緒に
遺骨を飾る場所は学習机でも良いです。
位牌はなくても良いですが、命日や戒名(をもらっているなら)は、どこかに記録しておきましょう。
遺骨と遺影(写真)を一緒に飾る家が多いです。
位牌やお墓や卒塔婆や遺影は、故人に想いを馳せるための道具にすぎません。
記念碑ですね。
法事をなさる場合は、法事のたびにお坊さんが卒塔婆を書いてくださると思いますので、それが即席の位牌、即席のお墓となります。
法事を依頼されるときに、仏壇も位牌もない旨をお坊さんに伝えておけば、お坊さんの判断で対応してくださると思います。
法事のときにご飯や御膳をお供えするのは一般的です。
また、お花、ろうそく、お線香を三具足(みつぐそく、3つのアイテム)と呼び、仏壇がなくてもそれらを飾っている場合もあります。
私個人的には、お線香の薫りが好きなので、たまにお線香を焚いてあげるのも良いかなぁと思います。
お花は、普段は造花でも良いです。
ろうそくは、最近は色んな形状の可愛いものがありますので、故人が好きだったものの形をしたろうそくを選んでいる人もいます。
法事を省略する場合でも、法事の年のお盆に、お坊さんに卒塔婆を書いてもらってお寺での施餓鬼供養を依頼したりする場合もあります。
また、浄土宗では、総本山知恩院で修行する新米お坊さんのために袈裟の費用を寄付(お布施)でき、故人のために寄付することができ、新米僧侶の袈裟には寄付された家の故人の戒名が何人分も書かれます。
法事の年に、そのような寄付(お布施)をするのも良いと思います。
質問者からのお礼
去年の11月から3ヶ月お仕事は介護休業で休み在宅生活に向けての様々な支援のもと主人と自宅にて過ごす事が出来ました。
これまでは、私は仕事ばかりで家にいる時間も短く、休みの日は実家の両親の世話をする為家にいることは殆どありませんでした。口うるさい主人から逃げていただけだと思います。
なのでこの3ヶ月間は、一緒にいてあげられなかった事への罪滅ぼしの気持ちもありました。
最後を迎えて、もう少し優しくしてあげればと、後悔ばかりです。葬儀を終えて淋しくて淋しくて、もう戻って来ないのは分かってはいますが、頭では分かってはいますが涙がとなりません。
つい、主人の遺骨に話しかけたり手で触れてみたり、夜はベットの横に移動してもらい、一緒に寝たりしていました。一方通行ではなく、私の話を聞いてくれていると思えたら、違う涙が(ほっとするような)溢れてきました。私は1人ではないんですね。この言葉を胸に明日から仕事に行けそうです。
本当に有り難う御座いました。合掌