hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

偽善的な自分に嫌気がさす

回答数回答 3
有り難し有り難し 17

こんばんは、初めて質問させていただきます。

私は日々、誠実でありたい、優しくありたい、善く生きたいと願って目の前の人と接することを心がけていますが、よく何が本当の「誠実」なのか分からなくなって、たびたび自信を失ってしまいます。

たとえば、私はひとの悪口を言うのが苦手です。友人と誰かの悪口で盛り上がり、たとえその場では楽しかったとしても、のちのち悪口を言ってしまったことを深く後悔してしまいます。
「自分のことを棚に上げてひとを悪く言えるほど、自分はできた人間でもないのに。」といった具合です。

私の価値観に則るなら、ひとの悪口に関わる話題には安易に同調せず受け流したり、宥めたりするべきでしょう。

しかし、こういったときの話し相手が自分の大切な友人となると、私はすっかり困ってしまいます。
「人の悪口を言わない」という私の選択は、「相手の話に乗らない」「同じ土俵に立たない」「大切な相手と同じだけ"悪い人"にならない」ことを意味します。
それは、大切な友人を突き放して自分が上に立とうとする行為でもあります。

ひとの悪口を言わない、という選択をすることで、「私」という人間の一貫性を獲得することはできても、同調してくれることを期待していた相手にとってそれは裏切りで、偉そうで、友人関係として不誠実な対応だと受け取られるかもしれません。

実際、私が友人の愚痴を聞くとき、友人の疲れた心に寄り添うことを心がけつつも、誰かをひどくこき下ろす言葉をなだめたり、つい相手がたを庇ったりなんかすると、友人はきまって悲しそうな顔をするというか、ばつの悪そうな顔をさせてしまい、そういうときはとても心が痛みます。
会話が誰かを悪く言うフェーズに入った途端、私は、その話し相手にとって「居心地の良い人」ではいられなくなります。

「いつでも正しくある」ということは、「いつでも優しくある」ということと同義ではないのだと、つくづく思います。

結局私は、善人ぶりたいだけの浅はかな人間で、他者に嫌われるのが怖いだけの偽善者なのでしょうか。
しかし、大切な相手を傷つけ、悲しそうな顔をさせてしまうようなふるまいは、果たして誠実といえるのでしょうか。

仏様の教えになにかヒントがあれば、ご教示願いたいです。

2024年2月25日 0:14

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「Aちゃんはそう思うんだね」と自他をしっかり別ける

人の心を理解したくて大学まで行かれ、さらに仏教にも興味を持たれたことを大変嬉しく思います。

kousyu.azuma先生の回答に少しだけ付け加えさせてください。

講義でも「自己一致」を学ばれたかと思いますが難しいですよね!

親しい間柄の人も人間ですから、誰かに悩みや愚痴を聴いて欲しいですね。

ただそれは、聴いているだけであなたも陰口や悪口を言ったということにはならないと思います。

「Aちゃんはそう思うんだねー(私はこう思うよ)」と主語をハッキリさせるだけなんです。

会話の内容を正しく理解すること、
話し手の言葉を正確に聞くことで何が真意か把握すること、
話が分かりにくい時は分かりにくいことを伝え、真意を確認すること。

これだけでも十分、自己一致です。ネットで検索をしてもイマイチわかりにくく書いていたりします。
「透明で、純粋であること」のように…。

決まりや法律、
「絶対にこうしなければならない!」なんてありませんから、
心の中で「ああ、私はこの話題が好きじゃないんだな」と気づくだけで◎なんです。
そしてお相手に「Aちゃんは〇〇で悩んでいて辛いんだね。どうなりたいのかな?」と言えたら誠実なんじゃないかなと思います。
受容、共感、自己一致。
良い機会ですから悩んで学んでたくさん経験してみてくださいね!
またいつでもhasunohaにお越しください。

2024年2月25日 10:05
{{count}}
有り難し
おきもち

これまでhasunohaでベストな回答ができて満足だと思ったことは一度もあ...
このお坊さんを応援する

偽善もなく善きこと心がけて下さいね

拝読させて頂きました。
あなたがそのようにお感じなさるお気持ちとてもわかる様に感じます。そんな自分のことを偽善的ではないかと思ってしまったり、上から目線の正義を振りかざす嫌な奴ではないかと思い悩んでしまうことはありますよね。大切な友達のことも見下して嫌な気持ちにさせてしまって本当に嫌な奴ではないかとさえ思ってしまいます。あなたのその思い心からお察しします。
そんな姿を見て人の悪口や悪言を言う姿を見て仏様や神様やご先祖様はどう思われるでしょうか。仏様や神様やご先祖様はどう私達のことをご覧になるでしょうか。
岬のことだけではなくて生きることとは、どう生きることが善いのか、どう生きていくことが幸せなのかを仏様や神様やご先祖様は見守りながらきっとあたたかくおさとしなさって下さいます。
そうした仏様や神様やご先祖様の慈愛のお心に偽善も善もありません。偏に善き心や善き言葉や善き行いを心がけなさいとお教えなさって下さいます。
人はなかなか自分のことを優先しますから人から注意を促されてもなかなか受け入れることができないです。とはいえだからといって悪に流されてしまっては本来の善き生き方を見失ってしまいます。本人が自らを本当に見つめ直して我が身の程を心から反省してからしかなかなか受け入れることはできませんからね。
悪しきことを正しながらお互いに非難や誹謗中傷合戦になってしまっては元も子もないです。
心穏やかに冷静に見守りながら善き方へと導かれていく様に見守っていくこと、そして受け入れていくことができればしっかりとお伝えなさることができれば宜しいのではないでしょうか。言うほどそんな簡単ではありませんが、先ずは自ら悪しきことを思わず悪しき言葉を使わず悪しき行いをなさらず、善き考えや善き言葉や善き行いを日々心掛けていきましょう。
あなたがこれからも善き考えや言葉や行いを日々心掛けながら健やかにご成長なさっていきます様に、周りの方々とのご縁を大切になさりお互いを心から大切に尊重し思いやりながら豊かな人生を歩んでいかれます様に心から仏様や神様やご先祖様に祈っています。そしてあなたを心より応援しています。至心合掌

2024年2月25日 9:24
{{count}}
有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
このお坊さんを応援する

悩みすぎないでください

なるべく簡潔に答えたいと思います。

ご質問の内容を読んでみて、とてもよく考えて誠実なお方だなあ、という印象を持ちました。私は浄土真宗の僧侶ですので、「善」と「悪」について考えることが多いです。浄土真宗では完全な善なるもの、真の心(誠実さ)を持っているのは仏のみであると考えます。人間は不完全で、善なるものを求める心があってもそれを完徹することはとても難しいことだとされます。

モフ犬さんは十分に考え、周りの人とどう関わるべきかかなりの努力をされていると思います。ただ、色々と考えすぎて疲れきってしまわないかが心配ですね。
(単なる感想みたいな内容でなんだかすみません)

2024年2月25日 9:58
{{count}}
有り難し
おきもち

井上 芳正(Inoue Hosyo)
ようこそようこそ。 福島県在住の浄土真宗本願寺派(いわゆる西本願寺)...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

Kousyo Kuuyo Azuma 様
ご回答ありがとうございます。

>偏に善き心や善き言葉や善き行いを心がけなさい
>悪しきことを正しながらお互いに非難や誹謗中傷合戦になってしまっては元も子もないです。
>心穏やかに冷静に見守りながら善き方へと導かれていく様に見守っていくこと、そして受け入れていくことができればしっかりとお伝えなさることができれば宜しいのではないでしょうか。

本当におっしゃる通りです。
自分が悪いことをしたくないからといって他者の悪い部分を責めるのではなく、悪行を慎む心を自分自身に統合し、広い気持でこの世の様々なことを受け容れ、許せるようになりたいと考えております。
改めて、丁寧なご回答ありがとうございました。

井上 芳正 様
ご回答ありがとうございます。

>浄土真宗では完全な善なるもの、真の心(誠実さ)を持っているのは仏のみであると考えます。人間は不完全で、善なるものを求める心があってもそれを完徹することはとても難しいことだとされます。

こちらのお言葉いただき、浄土真宗の考えかたに興味が湧きました。
私自身の不完全さも、友人の不完全さも受け入れ、許し、自分なりに正しくあろうといられたらそれがよいのかもしれませんね。
感想のような内容、とおっしゃられますがとんでもないです。私の悩みに親身に寄り添っていただきとても心が癒されました。お気遣い痛み入ります。ありがとうございました。

薫衣きみこ 様
ご回答ありがとうございます。

>聴いているだけであなたも陰口や悪口を言ったということにはならないと思います。

はっとしました。幼い頃の親密な友人関係の延長線上のように、相手といつもおなじ気持ちであることこそが親しいコミュニケーションであると錯覚しているところがありましたが、ある程度年齢を重ねてくるとそうでもなくなってくるなと最近実感しております。
ロジャースの傾聴の三原則ですね。やはり、三つの要素のなかでも、薫衣きみこ様のおっしゃる自己一致が、自分にとって一番の課題である気がします。
自分の気持ちに嘘をつかずに生きるだけのことでも本当に難しいですが、いつも誠実でありたいという意志をどうか手放さずにいたいです。
これからも精進します。ありがとうございました。

「自分が嫌い・自己嫌悪・好きになれない」問答一覧

他人に心を開けずひとりぼっちです

人に妬まれることに不安を感じます。 それゆえに他人との会話でどこまで自分を出せばいいかわからずいつも聞き手になってしまい、自分のことがわからなくなりました。 私はある分野で能力があると認められ周りから褒められる機会が沢山ありました。 元々自信がないタイプなため自分が褒められているのを第3者視点で見て他人から妬まれていると思ってしまい、自分を出すことに引け目を感じます。 他人と会話する時自分のことを話すと自慢と捉えられるかも、と思ったりナルシストだと思われたくなくて自分のことを話すのが極端に苦手です。 そのため自分のやっている分野、活動に自信が持てません。 他人が自分を攻撃する人のように見えてしまったり自分の殻に篭りがちになり、自己開示できなかったり対人関係をどのように築けばいいかわからなくなってしまったみたいです。 これから1人で生きていく時に誰とも関われずひとりぼっちになってしまう予感がしています。それがとても怖いけれど他人との関わりも怖く堂々巡りです。挑戦も怖いです。最近はもうこんな人生辞めたいとまで思ってしまっています…もっと自信があればもっと活動的になれて友達もできるんだと思います。 本当は自分の能力を正しく認めたいのですが、注目されるとものすごく怖くなってしまい、謙虚なのか卑下なのかわからない状態になり、自己アピールも難しいです。 会話の時はひたすら聞き手になっています。 聞き続けるのが辛いと思う時もあり、自分を出せたら違うのかなと思う時もあります。 長々と申し訳ございません。 このような質問はお坊様から見るととてもくだらないものかと思いますが、お坊様が考える正しい人間関係はどのようなものでしょうか? そしてこれは疑問なのですが妬まれることが怖いのは傲慢なのでしょうか。 またこのような私が自分をどの程度出せば良いと思いますか?

有り難し有り難し 4
回答数回答 3

私のせいで姉が嫌な思いを

今月から大学生になる女子です。 私にはもうすぐ社会人になる3歳年上の姉がいます。 私には軽度のADHD(注意欠陥多動性障害)の傾向があり、昔から忘れっぽい癖や怠け癖があります。 一方姉はしっかり者でとても努力家な性格で、私とはまるで正反対と言えました。 私が障害を持っているという事もあり、両親は私の世話にとても手を焼いていたし、迷惑をかけてしまう事もたくさんありました。 そんな私の事で両親が姉を蔑ろにしたような事はよくあった気がするし、私は甘やかされているんだなという事は昔から薄々感じ始めていました。 私も姉も勉強はあまり得意な方ではありませんでした。しかし姉は血の滲むような努力の末にテストで高得点を取ろうが、学年で1桁の順位になろうが親にはそうなんだと適当にあしらわれ。 私の成績が少しでも上がれば、親はひたすら褒めました。障害というハンデがある分、きっと私は特別扱いされていたんでしょう。 姉はとある美容の会社に内定が決まっており、メイクが上手でファッションセンスもある、とてもおしゃれで可愛い人です。 一方私は生まれてこの方アニメとゲーム一筋で、メイクやおしゃれに全く興味がありませんでした。 しかし高校に入る頃に姉にメイクやおしゃれの事を教えられ、「可愛くなっていくのは楽しい事なんだ」と気付かされました。 私がメイクをするようになると、親は可愛いね、上手になったねと褒めるようになりました。姉のメイクは派手でキラキラしていて、まさに私の憧れそのものです。しかし親は「派手すぎて可愛くない」「不細工」と言います。 親には私ばかり可愛いね、○○(女優さん)に似てるねと言われ、親戚の集まりの場でも私ばかりが持て囃され。 姉のSNSのアカウントを偶然見つけた事があり、姉はそんな事をつらつらと愚痴っていました。 一発ガツンと言ってやればよかった。 「自分の子供なら平等に可愛がれよ」と。 「姉がどんな思いでいるか一度でも考えた事はあるか」と。 姉は今でもしっかり者ですが、親に可愛がられなかった寂しさからか自己肯定感が低く、恋愛依存の気があります。 親に甘やかされていると分かっていながら、何もしなかった私のせいです。 私が生まれていなかったら、きっと姉はそんな思いをせずに済んだでしょう。 姉に償いたいです。今からでも私に出来る事はあるのでしょうか?

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

自己嫌悪の日々

職場で気になっていた女性が異動しました。 私はすぐ人を好きになってしまい、思い込みや勘違い、片想いで勝手に辛くなる事が多くありました。 そうした経験から『好きにならないように』と自制していましたが、一緒に働いていく中で、年齢も近く共通の趣味もあったりと気になる存在となっていました。 しかし相手は社員で私はフリーター。身分が異なりますし、そもそも恋愛をしていい立場ではないと行動する勇気がありませんでした。 仕事終わり二人きりで帰る際、連絡先を聞く機会があったのに『断られたらどうしよう』と肝心な場面で行動に移せず今でも後悔しています。 どうせ勘違いだったと行動しなかった事を正当化し、強引に納得させようとしている事が情けなく自己嫌悪です。 また今回の片想いに限った事ではないのですが好きだった人、これまでお世話になった方々の顔や思い出を忘れていく事への悲しさ、怖さのようなものを30歳を過ぎて強く感じるようになってきました。 写真が無ければ私の記憶だけが頼りであり記憶が薄れ、やがて思い出す事もできないと思うと不安が大きくなっていきます。 今、忘れないよう心に留めておきたい出来事を簡単な日記として残しています。 一方で私は過去に囚われすぎているのではとも感じています。忘れたくないから書いているのに過去ばかりを振り返り、固執し前に進もうとしない矛盾している私が嫌になってきます。 4月、環境が変化していく新年度というこの季節がよりそうさせていると思うのですが、自己嫌悪の日々が続いており辛いです。

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

自分が大嫌い

小さい頃から私の周りの男性は私に暴力を振るう人しかいなかった。 父親も兄も弟も、道場の師範もクラスメイトも恋人も。 体が大きかったから絶対にやり返してはいけないと洗脳するように4歳から柔道を習わされ、泣きわめいても辞めれなかった。 小3の時両親が離婚して父親に引き取られたけど、学校が終わって道場に行き、「女だから」と家事全部押し付けられていた幼少期。 小中学校では柔道を習っているなんてクラスメイトには言ってなかったから、ただの大人しいデブとしてイジメのいい的だった。 石ころやハサミが飛んできて怪我しても、養護教諭から「この程度のキズで保健室に来るなんてだらしない」と嫌われてた。 高校に上がって母親と暮らすも、母親は金にだらしなく男に依存する生き方しか出来ない女だった。 男と別れる度に「お前みたいな可愛げのないブスのコブがついてるから男が逃げるんだから次の男を捕まえる為の飲み代を稼いでこい」とアルバイトをさせられ、お給料を自分で持ったことが無い学生時代を過ごし。 大人になっても母親の浪費癖と搾取依存されてたせいでお金なんかある訳なくて。 母が亡くなり、一人暮らしをするようになったら途端にうつ病、パニック障害、適応障害が出てきて、治療の為休職中。 国の支援で生きてるけど、こんな金額じゃ到底生きて行けなくて。 死なれちゃ困るから国から仕方なしに生かされてて、 まるで真綿で首を絞められてる様で、 推しを推すのが生きる意味だと頭で分かってても、推しを見て高まる気持ちはほんの一瞬で。 三つ子の魂じゃないけど、30年縛られた親の呪縛はそう簡単に消えなくて。 眠剤と精神安定剤を飲んで強制的にリラックスしないと眠れなくて、寝た気がしなくて、気分が塞いで、歯を食いしばって生きてる。 幸せってなんでしょうか。 男から暴力を受けた経験しか無いから男性とお付き合いする事=暴力に耐える事だと思ってる。 私の世界には暴力男しか居ないから、外野から「そんな男ばかりじゃない」と言われてもピンと来ない。 お金も無さすぎて、親友の結婚もお祝いを渡せなかった。 いい大人なのにこんなにみすぼらしいなら生きる価値なんてないと思う。 死ぬのが正しいとは思わないけど、生きたくない。 5年も治療してるのに社会復帰出来る所が想像出来ない。 普通が欲しい。普通に生きたい…

有り難し有り難し 14
回答数回答 2

過去を恥だと考えてしまいます。

はじめまして。 大学四年生の女性です。 私には中学生からの夢があります。 それは音楽を支えること、音響監督になることです。 その夢はずっと私を支えてくれていて、私にとって何よりも大事なものです。 ですが、今遠回りしている自分を、逃げている情けない自分と思ってしまいます。 私は高校時代、過剰な減量をして摂食障害になりました。 自分で栄養管理をしっかりとして、運動は毎日二時間して、一年半必死に努力して得たものは醜い自分でした。 食べることを好きだったのに食べることが怖い、普通の外見になりたいだけだったのに、そう毎日思っていました。 もう好きなものを何も嫌いになりたくなくて、夢を諦めて、どれだけ嫌いになっても離れるのことができない食を学ぶために大学に入りました。 自分を苦しめたものを学ぶのは地獄でした。 でも、得たものはたくさんあります。 趣味も自分らしさも、大学に入ってから気付けたのです。 そして、音響監督になると、もう諦めないと決めたのは、嫌いなものに必死になれたからです。 後悔はしていません。 今では就職して自分でお金をためて、専門学校に入って勉強し、音楽に携わろうと決めて計画を立てています。 この選択は恥ずべきものではないと思っています。 でも、夢があると他人に伝えたとき、「それは何?なぜ叶えずにいるの?」と聞かれたとき、私は自分が情けなくてどうしようもなくなります。 夢を一度でも諦めた自分をさらけ出し、摂食障害の経験から大学に入ったことを伝えようとしたとき、「過去のことは言い訳に過ぎない。弱かった自分をさらけ出して、何になるんだろう。」と、そう思って口に出せません。 昔こういうことがあったから仕方ないと自分や他人に言い訳をしているみたいで、情けなくて悔しくて泣きたくなります。 最近はそうやって夢を濁し続け、好きなものを誤魔化し続けて、大切な人をひとり失ってしまいました。 相手は受け止めてくれる人だと知っていたのに伝えるのが怖くて、自分は弱い人間なのにそうは思われたくなくて、強がって突き放し、距離をとって傷付けました。 もう二度とそんなことはしたくありません。 素直になってこうなりたいと前向きに語りたいです。 弱くてもそれが私なのだと、後悔がないように人に向き合いたいです。 でも、それが怖いのです。 どうすれば良いのでしょうか。

有り難し有り難し 1
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ