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真言宗 三摩耶戒について

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真言宗の三摩耶戒についての質問です

私の手元にあります勤行次第(檀信徒常用経典)には三摩耶戒という項目があります。
密教ならではの戒律のようですが、私は結縁灌頂を受けていませんがお唱えしても大丈夫でしょうか。
(毎日、勤行次第の順番通りにお唱えしています)

ネットで調べたところ「心と仏と衆生は平等一如」みたいな教えのようですが、このへんも詳しく教えて頂けたらと思います。

それと素朴な疑問なのですが、どうして普賢菩薩さまと同じご真言なんでしょうか?

いつも質問ばかりですいません。
よろしくお願いいたします。

2024年3月6日 1:09

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

三摩耶戒

太陽さま

戒律は守ることによって、その利益、功徳を受けることができるものとなります。

そのため真言を唱えただけでは、本来は成り立たないものとなります。もちろん、意味のないことではなく、その真言によるお加持の力は受けれることにはなりますが、あくまでも、先でしっかりと守れるようにとの方向性、一種の約束事みたいなもので、習気(じっけ)的なものであって、唱えたからそれで利益、功徳になるというわけではありません。この点には注意が必要であるかと存じます。

灌頂や伝授等において、その解説を受けて、意義等も理解して、実践へと資せるようになることがやはり大切なことになります。

先で必ず正式な灌頂や伝授を受けたいとして、毎日勤行でお唱えするのはもちろん構わないことであるかと存じます。

普賢菩薩の真言と三摩耶戒真言が同じであるのは、普賢菩薩が悟りへと向けて誓願なさって守られていることと同様のものが、三摩耶戒であるとして、自分も普賢菩薩と同じように誓約して守り実践していきます、ということで、同じように菩薩の道、密教の道を歩む者同士として、共に頑張るという、そういう意があるから、と拙生は教えて頂いております。

ただ、三摩耶戒にも同じ密教でも内容が異なる場合があります。ですから、その都度においてお唱えする真言や灌頂、伝授の作法等も異なることがあります。

とにかく、守るべき事柄をよく理解して、実践することが最も大事になるというものであります。

合掌

2024年3月7日 13:51
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有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

Eishun Kawaguchiさま、
回答ありがとうございました。

密教という事でやはり解説、意義、作法は師匠から学ぶものなのですね。
師に関してですが、お寺のイベントに参加しながらご縁を待とうと思います。

また結縁灌頂の方ですが、私が住む地域では行ってないそうで、総本山まで行くか、何年かに一度私が住む地域でも行っているそうなのでそのご縁を待とうかと思います。

習気という言葉を教えて頂き、ありがとうございました。
師となって下さる方と出会えるまで戒律を守りコツコツ善い習慣を身に付けられるよう励もうと思います。

本日は沢山の事を教えて下さり、ありがとうございました。

師となる方が見つかるまで、仏教の事で解らない事がこれからも沢山あるとは思いますが、その時はhasunohaさんに尋ねると思いますが、よろしくお願い致します。

追記
普賢菩薩さまのご誓願も目を通してみますね。

「真言宗」問答一覧

愛染明王様のご真言を一般人が唱えて良いか

初めまして。 私は、実家の宗派が浄土真宗ですが、中学校と高校が真言宗の学校であり、真言宗のお寺によくお参りに行っております。 そのような中で、真言宗の僧侶の方がお書きになった本を拝読し、YouTubeを拝読する機会があり、愛染明王様のご真言が書かれておりました。 そこで、自分にとっての良縁が結ばれるようにと、自宅で白い紙にお願い事と自分の名前を書き、その紙を両手で挟んで 愛染明王様に語りかけ、ご真言を毎日何回か唱えております。 すると、私にとって良い意味で不思議な出来事がたくさん起こり始め、なんだか毎日が安定して楽しい未来を想像してワクワクしてまいりました。 しかし、ネットでより深く調べてみると、「ご真言を素人が唱えるのはよくない」「敬愛法は素人が安易に行ってはいけない。代償が起きることがある」と書かれており、少し不安になりました。 そこで私は、「確かに、自分はご利益の内容をきっかけにご真言を唱え始めたので、不純で恐縮だった。」と反省しつつ、 「愛染明王様のおかげさまで日々私は安心して楽しく暮らせるようになったのだから、その感謝と挨拶を、愛染明王様が祀られているお寺に伺ってお伝えしよう」と考えるようになりました。 そしてそのまま愛染明王様との繋がりを信じ、ネットの記事を気にせずご真言をお唱えしているのですが、良いのでしょうか?また、よくお参りする真言宗のお寺とは別に、愛染明王様が祀られているお寺やその他のお参りしたい神社仏閣に複数お参りに行くことは、良くないことなのでしょうか?

有り難し有り難し 9
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真言宗のお坊様

不躾なお話になりますが、お許しください 私は単身者もうすぐ40になります。 福祉の仕事で、専門職として働いておりました。 10数年勤めておりました。やりがいはもちろんあるのですが、お役所仕事と言いますか、毎日の大人同士の人間関係を大切にしてその日を過ごす。そのような雰囲気があります。 ここ最近は無気力な気持ちに苛む事が多くなりました。これについては私生活における大きな悩みも要因でした。少しメンタルの不調が続いています。 今はまたチャンスを頂き、同業他社で働く予定で仕事開始を控えております。 経済的な事もあり、求人を読み漁ってました。その中でこれがやりたいという気持ちも一切湧かず、前職と比べたら給与も安く肉体労働系の仕事など今より条件が悪くなるものばかりです。 働く事は生活のためであるのだから自分の考えでは甘いと思います。 物事を思い詰めてしまうところがあり、何事も見通しが持てないと不安が強くなる特性もあります。 今までの仕事での充足感や必要とされていた感覚を捨てて、異業種に行く怖さがとても強くあります。 そんな中ここ数年、YouTubeなどでお坊さんの話を聴く機会を多く持ってました。 そして生まれ育った環境の影響もあり、真言宗僧侶に興味関心を持っております。 なぜ興味を持ったのかというのも正直なところ、仏教の先人達の教えを学び、自分の人生をより豊かにしていきたい。というのが大きな理由になります。僧侶になれば自分の精神的な弱さも含めて救われるのではないか?と考えました。人のために役立つ事は苦にならないのですが、反面人付き合いが得意ではありません。人間関係の疲れ、俗世から脱出したいというのもあります。 僧侶といっても宿坊へ就職する感じになります。 お坊様からこのような考えについて何かご意見頂きたかった事。 男性社会であるお寺(宿坊)での実際の業務や修行の話を伺いたく相談いたしました 私の勝手な想像ですが、お寺(宿坊)が僧侶としての道を支援して頂ける。これは一生仕える気持ちでそのお寺に就職という事を相手様も希望している。生半可な気持ちでは来て頂きたくない。というのが本音ではないかと思っております 次の内定が決まった福祉の仕事を長く続ける事が、今自分にとっての最適解と考えてはおりますが、この次はお寺で働きたい。とやはり考えてしまいます 何か方向性を示して頂けましたら幸いです

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真言宗の僧侶になるには

僧侶になる人の心構えを教えてください。 自身を修行の場に身を置き、一切言い訳や弱音を吐けない場所で仏教を学びながら、自分や周りの人生を仏教を学んだうえで豊かにしていけるのでは?と考えてます。 高野山の宿坊では宿業務の傍ら、僧侶になれます。と求人が出ております。 このような場所に身を置いて学ぶ事の想像が出来ませんが、どんな人間でもそれなりの精神的成長は見込めるものでしょうか? 今は都会で暮らしており、少し人生に疲れているところはあります。何事にも中途半端になってしまうところもあります。 ですが、高野山の宿坊を調べてるうちに、ピンキリとあり、結局のところお金が神様と考える資本主義の世の中から断ち切れるか?修行の場にも俗世の欲望や煩悩から切っても切れない場であるのか? 全ては自分次第だとは思いますが、何かアドバイス頂けたらと思います。 真言宗にしたのは高野山含めて昔から馴染みがあります。 あと人との関係性を築くのがあまり得意ではなく、大体独り行動が多くここまで来ました。医療系の仕事で業務の会話のみで成り立つ、女性に囲まれた環境が長かったです。 男性社会の人間関係はどのようなものかも実情を教えて頂けたら幸いです。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 24
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ