亡き父の年忌法要をあげたくありません
年少のときに母が精神疾患を発病。
父は、大して面倒も診ずに放置。
母は医師の力でなんとか病気がおさまりました。
しかし私が小学生の時に再発。
その後20年間父は、精神疾患を抱えた母を自宅に放置しながら、
自分の給料をギャンブルと風俗につぎ込み、家にはお金を入れない状態が続きました。
私が成人したあと精神疾患について調べ上げ、入院と適切な治療が不可欠と判断し、きちんと面倒を見てくださる病院に入院。先生方のご尽力もあり、母は快方に向かいました。
その後、平穏な暮らしが戻りましたが、数年後に母は末期癌を発病。
母が他界するまで、積極的に治療にかかわろうとはしませんでした。
父は母の遺産をギャンブルで使い果たしました。
そんな父も数年前に他界。
家族を苦しめ続けた父を供養する気持ちなど、まったくありません。
墓石に戒名を刻みましたが、消したいくらいです。
骨も適当に海洋散骨したい気分です。
そんな父ですから、親戚の墓参はまるでありません。
墓は父方の墓です。母も入っています。
父方の先祖はあったこともありません。
相談です。
父の供養をしたくありません。父の先祖なんで知ったことではありません。
寺から知らない先祖の50回忌あげさせられて、怒り心頭です。
なぜ、知らない先祖の供養のために高い金払わされて、会社休んで読経聞かなければならないのか。
父方の先祖代々の墓を適当に処分して、愛する母だけきちんと年忌法要したいのです。
お知恵を拝借ください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
墓終いを。法事は功徳につながる。
供養するしないは自由です。
墓終いを検討されてはどうでしょうか。
ただ、会ったことがなくても親戚なので、古い故人の供養をすることは良いことだと思います。
また、法事の際に親戚と会食するのが楽しみだという家もあります。
(宴会をやりたくて法事をする家もある)
親戚に食事を振る舞うのも供養(おもてなし)・布施(ほどこし)の修行の一種であり、功徳(心に良い癖がついて悩み苦しみを感じにくい性格になる効果)があります。
お経を聞いたりして仏教に親しむことも、お釈迦様が説いた悩み苦しみ軽減テクニックを学ぶことにつながり、功徳になります。
法事等の機会に仏教に触れることで、お釈迦様の智慧と慈悲を学ぶきっかけになれば幸いです。