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余裕の無い自分が嫌になります。

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有り難し有り難し 28

はじめまして。

今年息子が生まれ、慌ただしい日々を送っております。

先日息子のお宮参りへ行きました。
安産祈願の時にもお世話になった大きな神社で、無事に産まれたご報告と感謝の気持ちを、と思ったのですが、
神社で働いている方の対応があまり良くなかったのです。
いつもであれば気にしないのですが
終始心ここに在らずといったような感じで無愛想、こちらから質問しないと沈黙…やり方や勝手も分からないですし、
育児の疲れと子どもの一大イベントで気が張っており、私自身もイライラしてしまい顔と態度に出してしまいました。

帰ってからこのような神聖な場所で、しかも息子の大事なイベントで嫌な態度を取ってしまった罪悪感と、すぐに心の余裕が無くなる自分に嫌悪感が沸きました。
相手にしっかりした対応を期待して求め過ぎて…バイトの巫女さんだったろうに怒ったような態度をしてしまって申し訳ないな、とも思いました。

そして何より、お世話になった神様もお怒りではないか気がかりです。
とても反省して神社の方向へ向かって謝罪の言葉を念じました。

神様は許していただけるでしょうか?
毎日念じたほうが良いのでしょうか
引き続き息子の健康を願い、見守っていただけるのでしょうか?
なんとも自己中な悩みなのですが、ご回答いただければ幸いです…

2024年3月22日 13:28

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

神様と仏様 同じ?違う?

ご相談拝読しました。
お子様の御誕生誠におめでとうございます。日々の健やかなる成長を念じ申し上げます。

さて、育児というのは本当に大変なものです。大人相手ではないので自分のペースでできるものではなく、気力体力の消費も大きいもの。そのような中では余裕がなくなりイライラすることもあることでしょう。あまり自分を責めすぎませんように。

ここはお坊さんに質問するところですから、神職の立場からの回答は異なるかもしれません。気になりましたらまた神社でお尋ねになっても良いかと思います。

仏教的には意思をもって罰や救いをもたらして人々の運命を支配するような絶対者の存在を認めません。いわゆる神はいないということですね。

なのでガッカリするかもしれませんが、お子様が無事生まれたのは神様に祈願したからではないし、これからの健康を見守るようなこともありません。

仏教は業・縁起の教えを説きます。

縁起というのは物事は縁(条件・環境)によって起こるということです。ですからお子様は無事生まれるご縁によって生まれてきたのです。遺伝とか、あなたの健康意識とか、ご家族のサポートとか、気候とか数え切れない条件がととのって一つの物事が起こる。

その中で人間は苦楽を感じるわけですが、これは業(行為)によるというのが仏教の考えです。業には口業(何を語るか)・身業(何を為すか)・意業(何を思考するか)があり、自らの行為によって自らが苦楽を感じるから自業自得ということになります。

仏様というのはその法則に目覚めた人であり、世界を作った人でも運命を支配できる人でもありません。ですから神様を想定する宗教なら仏教とは考え方が大きく異なるでしょう。

今、あなたがお感じの不安や後悔という苦は、あなた自身の行動によって生じたものです。ですからそれらの解消は神に祈るのではなく、お相手に謝罪したり、あるいはこれからの生活を健やかにすごすことで実現されうるというのが仏教的な視点です。

お子様のこれからの健康は縁(条件・環境)によるでしょう。縁は思うとおりになるものではありません。しかしなるべくできることはして良き縁を整えたいというのが親心ですよね。そのために神仏に祈り、自らの行為を良き方向に意識づけるというのは一つの手段であると思います。

2024年3月22日 14:33
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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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ご相談読ませていただきました。
まず、お子様の誕生、お宮参り、そして神社での出来事について、お気持ちをお聞きしました。おっしゃる通り、育児や大切なイベントでのストレスや感情の起伏は皆さんが経験することです。神社での体験が気に掛かっているのもご自身の心の持ちようが敏感になっているからかもしれません。
まず大切なことは、自己を責めすぎないことです。我々は皆が感情を抱く人間です。そのような状況下での行動や感情は誰にでも起こり得るものです。神様は人間の気持ちや状況を理解される存在であり、「許す」という概念も含めて受け止めてくださると信じることもできるでしょう。
お心を清らかにして、謙虚な気持ちで神様にお詫びすることは、必要な姿勢だと思います。心を込めて、深く反省し、謝罪の言葉を神様に捧げることで、自らの成長や清めが進むかもしれません。
神社やお参りの効果は心の持ちようや祈りの誠実さにも関わってきます。毎日念じることは大きな意味がありますが、日々の心がけや行いによっても同じく神様は見守ってくださると信じられます。
このような悩みは、何かしらの気づきや成長の機会ともなり得ます。自分を受け入れつつ、謙虚な心で清めの意志を示すことが重要です。神様はあなたの側にいてくださるはずです。どうぞお心を穏やかにして、次なる一歩を踏み出すことで、自らを成長させる機会に変えていくことも大切かと思います。

2024年3月22日 14:30
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有り難し
おきもち

仏教の目的は、抜苦与楽と成仏です。 生きている人の苦しみをどうしたら癒せ...
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質問者からのお礼

ありがたいお言葉をありがとうございます。次、自分のやるべき事が鮮明に分かりました。

宮本龍太様
優しいお言葉、ありがとうございます。涙が出ました…
確かに環境や身体がガラリと変わり、かなり神経質になっている状態でして
こんな私はダメな親だ、と自分を責め思い悩み過ぎていました。心が軽くなりました。
神様の存在は心の拠り所として日々感謝しつつ、今回の出来事も自分自身反省しつつ、息子の為にもこれから心の成長に繋げていきたいなと思います!

吉武文法様
お言葉ありがとうございます。
仏教の教え、これから自分自身の行いをしっかりせねばならないなと気付かされました。
今回の事はしっかりと反省し、これからの行いを見直す良い気づきの機会だったとポジティブに受け取ることが出来ました。
これからたくさんのこのような場面に出くわすことだろうと思います。
息子の健やかな成長の為にも、共に親である自分も成長して行きたいと思います。

「認められたい・承認欲求」問答一覧

成功したい・褒められたいという慢心と焦り

ご相談があります。私は、昔から褒められて育ち、自分は優れた素質があると思っていました。人より褒めて欲しい、認められたい、褒められたいというような欲求が強いと自覚しています。 大人になっていく過程で自分はそれほど大した人間ではないことを自覚していきました。しかし一方では理想が高く、自分はもっと優れた人間であるはずなのにとかあるべきだとか、そんな思考が頭の中を不安な状態で埋め尽くしています。 最近は成功した若い人をよく見かけるので、自分の年齢と比較したり何歳までにはこれを成し遂げなくちゃいけないとかそれがこんな悩みに繋がっているんだと思います。 自分もそんな才能が欲しい、もっと言えばあるはずなのにとか思ってしまう自分の慢心に嫌になり、自分が何も結果を出せなかったら嫌だと思ってしまいます。 最近、心に余裕が無くて殺伐としています。 成功するためのこと以外のことに興味が持てなかったり、人のことを何か成し遂げてるかそうでないかで見たりします。 考え方が短絡的になっていて長いスパンで物事を考える余裕も無く、 こんな自分を魅力がなく強欲で人として一番良くない例だと思います。こんなループにハマっているからなのか自分以外の出来事に興味関心を抱くことが難しく、好きなことや趣味もなく、日々をひたすら自己啓発や不安の和らげ方に費やすようになりました。 こんな状態では生きていけないと思います。 平穏な心の状態で焦らず過ごすためには、何を心がけると良いのでしょうか。 先日カッターで手を切るような自傷行為をしてしまいました。軽くでしたが、自分がやるとは思わなかったのでショックでした。お坊様の成功への価値観や、心の折り合いの付け方もあれば、教えて下さらないでしょうか。長々と申し訳ありません。

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

父や祖母への攻撃的な気持ちがぶり返します

以前ご相談した父とその母の件です。 前回は主に実母に対する彼らの言動について書きましたが、実は同時期、私自身もその無神経な言動を受けて怒り、疲弊していました。その時のストレスで彼らを受け付けなくなり、今も攻撃的な負の感情から逃れられません。 私は昨年、里帰り出産をしたのですが 父は私の出産からひと月が経つころ、体調不良を理由に休職しました。その後は全く家事等もせず(もとからしませんが)、何か些細なことでも頼むと不機嫌になり、身体が辛いなどと文句を言って一向に用事になりませんでした。その癖に孫である私の息子を構ったり、趣味のリモート飲みをしたりするときはすこぶる元気で上機嫌といった調子でした。 その頃頻繁に訪ねてくるようになった父方の祖母に、父をいたわってやれと言われ、この状態で私もストレスが限界だから無理だと答えると、祖母は「そんなこと言わないであげて」と哀願し、「いまは産後で気が立ってるだけよ」と言い、挙句に「それは〇〇さん(母)がそう言ってるんじゃないの?」などと返されてこちらにももう関わりたくなくなりました。 彼らへの気持ちは前回のお坊様のアドバイスで少し落ち着いていたのですが、来月帰省することになり、この頃また負の感情がぶり返します。昨夜は夢で彼らに攻撃的な言葉を散々ぶつけ、その後目が冴えてほとんど眠れませんでした。 帰省しなければ関わらずに済むのですが、母や母方の親族など私と息子を心から大切にしてくれる人がいる以上、やはり帰って顔を見せたいのです。 でも、実家であの父と過ごすのか、祖母がまたやってきはしないかと思うとたまりません。 それこそ刃物を研ぐように、攻撃の言葉を考えてしまいます。その言葉の刃物を、「使わずに済め」と思います。でももしかしたら本当は、滅茶苦茶にぶつけたいと望んでいるのかもしれません。 帰省にあたり、父には実質的な祖母への絶縁宣言をしました。私が帰ることを父が連絡さえしなければ、祖母には伝わらない、実家に来ることもないからです。 しかし、いっそもう本当に絶縁してこの悩みから解放されたいという思いも確かにあるのです。絶縁状の文章も考えてあります。 私の本音はどこにあるのか迷っているのですが、ひとまずこの負の感情を収め、言葉の攻撃をせずに済むにはどうしたらよいでしょうか。 お知恵をおかりできましたら幸いです。

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

兄を殺したいほど嫌いです。

私は22歳の大学生で、4月から社会人です。6歳上の28歳の兄が大嫌いです。お互い実家に住んでいながら、もう3年くらい口を利いていません。 兄は小中高大すべて公立・国立の学校でしたが、私は、兄が通っていた中学校は治安が悪かったという理由で母に強制的に私立の中高一貫校に入れさせられました。私は本当は公立の中学校に行きたかった、ということは兄も知っています。 兄はそんな私が憎いようです。お金をかけてもらっている、自分は公立で我慢したのに、と思っているようです。しかし私から見れば兄は塾に通わせてもらっていたし、部活動の送り迎えなども母に全てやってもらっていました(ちなみに父は私が3歳のときに家出しており、別居中です)し、地頭はいいですし、羨ましいことも多いです。 しかし兄は私を表面的な部分でしか考えてくれません。「あいつは苦労していない」と言いますが、私は兄がしていない苦労をしました。電車では痴漢に何回も遭いました。中学校では友達から無視されて一人ぼっちになりました。大きな声で悪口を言われたこともありました。高校では厳しい部活と勉強を頑張って、推薦ではありますが国立大学に入りました。 でもそれを伝えても兄は理解を示してくれません。ずっと、自分の方が辛かった、大変だった、お前は楽をしている、と繰り返します。よく、母にも「あなたが甘やかしたからだ」「俺にばかり苦労させた」と28歳にもなって未だに叱責しています。 私はどうしたらいいか分かりません。もうこんな兄の相手をするのも嫌になり、段々嫌いになってしまい、口を利かないのは私にとって好都合となりました。 しかし母は私と兄が仲直りしてほしいと思っているようです。ですが、私はもう兄と仲良くするつもりはありません。兄の人間性が、もう大嫌いなのです。怒って大声で怒鳴ったり、ドアを勢いよくバターンと閉めたりする兄のどこを評価して仲良くしたいと思うのか、理解できません。 この春から社会人なので一人暮らしを始めるのがいいとは分かっていますが、正直赴任地は田舎なので今の実家を離れたくないです。兄が出ていくのが一番なのに私が出ていくのも腹が立ちます。母だって、たまに叱責されると兄にうんざりするくせに、共依存のようにお互いに依存してて気持ち悪いです。 私は兄に対してどんな気持ちでいればいいでしょうか。許すべきでしょうか。

有り難し有り難し 7
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ