余裕の無い自分が嫌になります。
はじめまして。
今年息子が生まれ、慌ただしい日々を送っております。
先日息子のお宮参りへ行きました。
安産祈願の時にもお世話になった大きな神社で、無事に産まれたご報告と感謝の気持ちを、と思ったのですが、
神社で働いている方の対応があまり良くなかったのです。
いつもであれば気にしないのですが
終始心ここに在らずといったような感じで無愛想、こちらから質問しないと沈黙…やり方や勝手も分からないですし、
育児の疲れと子どもの一大イベントで気が張っており、私自身もイライラしてしまい顔と態度に出してしまいました。
帰ってからこのような神聖な場所で、しかも息子の大事なイベントで嫌な態度を取ってしまった罪悪感と、すぐに心の余裕が無くなる自分に嫌悪感が沸きました。
相手にしっかりした対応を期待して求め過ぎて…バイトの巫女さんだったろうに怒ったような態度をしてしまって申し訳ないな、とも思いました。
そして何より、お世話になった神様もお怒りではないか気がかりです。
とても反省して神社の方向へ向かって謝罪の言葉を念じました。
神様は許していただけるでしょうか?
毎日念じたほうが良いのでしょうか
引き続き息子の健康を願い、見守っていただけるのでしょうか?
なんとも自己中な悩みなのですが、ご回答いただければ幸いです…
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
神様と仏様 同じ?違う?
ご相談拝読しました。
お子様の御誕生誠におめでとうございます。日々の健やかなる成長を念じ申し上げます。
さて、育児というのは本当に大変なものです。大人相手ではないので自分のペースでできるものではなく、気力体力の消費も大きいもの。そのような中では余裕がなくなりイライラすることもあることでしょう。あまり自分を責めすぎませんように。
ここはお坊さんに質問するところですから、神職の立場からの回答は異なるかもしれません。気になりましたらまた神社でお尋ねになっても良いかと思います。
仏教的には意思をもって罰や救いをもたらして人々の運命を支配するような絶対者の存在を認めません。いわゆる神はいないということですね。
なのでガッカリするかもしれませんが、お子様が無事生まれたのは神様に祈願したからではないし、これからの健康を見守るようなこともありません。
仏教は業・縁起の教えを説きます。
縁起というのは物事は縁(条件・環境)によって起こるということです。ですからお子様は無事生まれるご縁によって生まれてきたのです。遺伝とか、あなたの健康意識とか、ご家族のサポートとか、気候とか数え切れない条件がととのって一つの物事が起こる。
その中で人間は苦楽を感じるわけですが、これは業(行為)によるというのが仏教の考えです。業には口業(何を語るか)・身業(何を為すか)・意業(何を思考するか)があり、自らの行為によって自らが苦楽を感じるから自業自得ということになります。
仏様というのはその法則に目覚めた人であり、世界を作った人でも運命を支配できる人でもありません。ですから神様を想定する宗教なら仏教とは考え方が大きく異なるでしょう。
今、あなたがお感じの不安や後悔という苦は、あなた自身の行動によって生じたものです。ですからそれらの解消は神に祈るのではなく、お相手に謝罪したり、あるいはこれからの生活を健やかにすごすことで実現されうるというのが仏教的な視点です。
お子様のこれからの健康は縁(条件・環境)によるでしょう。縁は思うとおりになるものではありません。しかしなるべくできることはして良き縁を整えたいというのが親心ですよね。そのために神仏に祈り、自らの行為を良き方向に意識づけるというのは一つの手段であると思います。
ご相談読ませていただきました。
まず、お子様の誕生、お宮参り、そして神社での出来事について、お気持ちをお聞きしました。おっしゃる通り、育児や大切なイベントでのストレスや感情の起伏は皆さんが経験することです。神社での体験が気に掛かっているのもご自身の心の持ちようが敏感になっているからかもしれません。
まず大切なことは、自己を責めすぎないことです。我々は皆が感情を抱く人間です。そのような状況下での行動や感情は誰にでも起こり得るものです。神様は人間の気持ちや状況を理解される存在であり、「許す」という概念も含めて受け止めてくださると信じることもできるでしょう。
お心を清らかにして、謙虚な気持ちで神様にお詫びすることは、必要な姿勢だと思います。心を込めて、深く反省し、謝罪の言葉を神様に捧げることで、自らの成長や清めが進むかもしれません。
神社やお参りの効果は心の持ちようや祈りの誠実さにも関わってきます。毎日念じることは大きな意味がありますが、日々の心がけや行いによっても同じく神様は見守ってくださると信じられます。
このような悩みは、何かしらの気づきや成長の機会ともなり得ます。自分を受け入れつつ、謙虚な心で清めの意志を示すことが重要です。神様はあなたの側にいてくださるはずです。どうぞお心を穏やかにして、次なる一歩を踏み出すことで、自らを成長させる機会に変えていくことも大切かと思います。
質問者からのお礼
ありがたいお言葉をありがとうございます。次、自分のやるべき事が鮮明に分かりました。
宮本龍太様
優しいお言葉、ありがとうございます。涙が出ました…
確かに環境や身体がガラリと変わり、かなり神経質になっている状態でして
こんな私はダメな親だ、と自分を責め思い悩み過ぎていました。心が軽くなりました。
神様の存在は心の拠り所として日々感謝しつつ、今回の出来事も自分自身反省しつつ、息子の為にもこれから心の成長に繋げていきたいなと思います!
吉武文法様
お言葉ありがとうございます。
仏教の教え、これから自分自身の行いをしっかりせねばならないなと気付かされました。
今回の事はしっかりと反省し、これからの行いを見直す良い気づきの機会だったとポジティブに受け取ることが出来ました。
これからたくさんのこのような場面に出くわすことだろうと思います。
息子の健やかな成長の為にも、共に親である自分も成長して行きたいと思います。