お世話になっております。
いつも回答と優しいお言葉をありがとうございます。
皆様お忙しい時に恐縮ですがまた質問させてください。
質問はタイトルの通りです。
他人の罪は許せないのに自分の罪は許して欲しいという
都合のいいことは叶うのでしょうか。
これまで皆様から頂いた回答のお陰で色々と考えが良い方向へと変わってきました。
それで自分自身やこれまでの出来事
加害者達のことを見つめ直している内に
ふと、自分も意識しないままに
他者を傷つけていたかもしれない
自分も誰かへの加害者かもしれない
ということに気付きました。
もしそうならその被害者達にとても申し訳なくて
馬鹿な自分が恥ずかしくて
憎まれ恨まれていることが怖くて
ごめんなさい後悔しています、と
それらの出来事を思う度に懺悔しています。
けれどそうやって自分は許して欲しいと思うのに
自分は加害者が許せません。
これから先はわかりませんが
今はまだ許せません。
他人の罪は許せないのに自分の罪は許して欲しい
そんな都合のいいことが叶うのか
叶うべきではないことだ、と考える自分と
叶ってほしい、と考える自分との間で揺れていて
自己嫌悪、後悔、恐怖、羞恥、憎悪でぐちゃぐちゃで苦しくて堪りません。
お手隙の際で構いませんので
何かお言葉を頂けたら嬉しいです。
どうぞよろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
プロフィールや今までの質問も読ませてもらいました。
傷ついてきた経験があるから、こんな事を言われたら悲しい、こんな事をされたら悔しい、こんな出来事が起きれば、ずっと傷ついたまま辛いんだって、人が受ける影響に気づかされますね。
自分はどうなのか、周りの人とどう付き合ってきたのか、傷つくことのないように大切に関わっていきたいと、改めて思いますよね。
他人の罪と自分の罪を、比べなくていいのです。
あなたが受けた傷はいつまでも残るかもしれませんが、こうして誰かと話したり、自分を大切にすることで、少しずつ痛みが和らぐかもしれません。そして、その傷を思い出すたびに、あなたは誰かに優しさを向けられる。
あなたが未だに相手を許せなくてもそれでいい。当然ですよ、言葉の暴力を受けてきたわけですから。複雑な感情の中で苦しいでしょうが、どうぞ自分を追い込まないで。どんなあなたでも、私は受け入れていきたいわ。だから、あなたの気持ちのままに、それでいいのですよ。
コメントが遅くなってしまい申し訳ありません。
頂いたお言葉を読むまで心が乱れて何も考えることができないくらいだったのですが
それが和らぎ、落ち着き、色々と考えることができるようになりました。
上手く言葉に出来ずもどかしいのですが
本当にありがとうございました。
心よりお礼申し上げます。