hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

好きなバンドのボーカルが死んでしまった

回答数回答 1
有り難し有り難し 20

好きなバンドのボーカルの訃報が今日発表された事に付いて相談させて下さい。
私は今日授業前にSNSのニュースで訃報が発表され
「え、そんな事ある?まだ25歳だよ?」と誤報を疑いながら授業に望みました。
でも段々授業を受けながら本当の訃報ではという気持ちになっていき辛くなって授業に集中出来なくなってしまいました。
次の休憩時間の時にバンドの公式アカウントで本当に亡くなってしまった事を知り他のメンバーの追悼コメントを見て実感して本当に辛くなり
先生にその事を伝えるとあまり質問を当てないようにしてくれました。
バンド自体は続き他のメンバーが作詞作曲すると言っておりその発言が訃報のショックの精神の支えになっています
これからもっと売れて大活躍するんだろうなって思っていたのでこれから活躍する彼を見る事が出来ないショック
彼の曲の新作がもう出ない事は勿論、彼と言う人間も好きだったので
もう 彼が生きていないこと
もう彼の歌声やパフォーマンスが見れない事
もう彼の書いた曲を聞けないこと
もう彼の居る状態のバンドが見れない事
もう彼の話や投稿を見る事が出来ない事
来月初めてそのバンドのライブに行く予定だったので
もう本当に生で見れない事を考えると
本当に涙が出てきて
落ち込んできて明日以降もその事を考えてこれからもまた落ち込むのではないか?。
他のアーティストの追悼を見て落ち着こうと思うのですがこの状態はSNSを見ないほうが良いんでしょうか?
この事を考えないようにしても何らかで死の話題を連想して考えてしまう
などの不安のせいで明日以降ちゃんと学校や課題に集中出来たり、
この事を思い出しても大丈夫なぐらい平気になるぐらい立ち直る為に如何すればいいか?
後お坊さん目線の回答を求めるんですが
彼はあの世でメンバーの事見てくれているでしょうか?もう一度彼に会える可能性はあるのでしょうか?
今日起きた事なのでショックで長文になりましたがご回答宜しくお願いします。
本当に助かります

2024年5月20日 18:02

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

悲しみの中でも、彼と繋がっていける生き方が、仏教にはある。

それは、辛いですよね…。
突然の訃報に、信じられなくて、信じたくなくて。でも、これが現実なのだと知らされた時は、授業どころじゃなかったと思います。

あなたにとって大切な人。彼の音楽が、彼の声が、彼の存在が、あなたを支えてきたのだものね。これからもずっと、聴き続けられるものだと思っていたのに。もう聴けない、会えないのだと思うと、こんなに悲しく苦しいことはありませんよね。
涙が出て落ち込むことは、当然だよね。彼を想って流す涙があっていいと思うわ。

私もね、大好きな俳優さんが亡くなられた時はショックでね。今でも夢を見たりして、悲しみで涙が出ます。それでも、やっぱり大好きなの。彼の演じた役や彼のカッコいい笑顔をちゃんと覚えているから。世間が忘れるようなことがあっても、私は忘れない。彼にときめいたことも、今でも幸せな時間です。そうやって、私の中でちゃんと彼がいるのですよ。

この世は諸行無常でね、常に変わっていきます。変わらないまま、留まることは出来ない。だから、あなたの今の気持ちも、また変化していくだろうと思う。悲しくても、あたたかな思い出や、彼の音楽はこれからもあなたの中で流れてくれるでしょう。大切にしていきたいわね。

仏教ではね、仏様の世界があります。あなたが、手を合わせることで、仏様の世界でまた会えることだってあるのよ。

あなたが、このハスノハに繋がったのも、彼が導いてくださったご縁かもしれません。悲しみの中でも、彼と繋がっていける生き方が、仏教にはあるのです。
彼が、見ていてくださる、そばにいてくださる存在になるのです。そう思うと、悲しみを越えていけるわ。

また辛くなったら、ハスノハで話をしましょう。あなたの大好きな彼の音楽を、また聞かせてくださいね。

私もこちらから、彼を想い、手を合わせますね。
合掌

2024年5月21日 1:18
{{count}}
有り難し
おきもち

はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として...
このお坊さんを応援する

「親・家族・恋人・大切な人の死が悲しい・乗り越え・立ち直る」問答一覧

苦しいです

50台、看護師してます。      先日夫が急逝しました。54歳、来月お誕生日がくる予定でした。    病気で寝たきりになり、在宅介護は困難なため、最後の2年程は施設入所してもらってました。    誤嚥性肺炎を繰り返すようになり、それでもいままでは抗生剤治療などで回復してました。    でも、今回は発症翌日に亡くなってしまいました。    夫に対してもっとできることはなかったのか、ずっと考えてます。    一番後悔してるのは、53歳の誕生日の時の事です。    当時、夫は転倒による腰椎圧迫骨折を受傷し、私の勤務先に入院していました。    「誕生日ケーキ食べたいけど駄目だよね?」と聞かれ、糖尿病治療中でもあったことから私は「ケーキは退院してからにしようね」と言いました。    治療とリハビリをすれば自宅に帰れると信じてました。    しかし、夫の身体状況は悪化の一途を辿り、両上下肢機能全廃・嚥下障害・認知機能低下が出現し、在宅介護は困難となりました。    こんな事になるとは夢にも思ってなかった。    医師に許可をもらって誕生日ケーキ食べてもらえば良かった。本当に悔やんでいます。    甘い物好きで、誕生日やクリスマスのケーキを楽しみにしてた人だったのに…。    私は夫と出会えて本当に幸せでした。  こどもはできなかったけど、夫婦2人で力を合わせ、いろんな事を乗り越えてきてました。      夫は幸せだったのかな…?  次々と自責の念が現れ、苦しいです。   

有り難し有り難し 7
回答数回答 2

生活環境の変化と母の死が重なり苦しいです

転職・引っ越しによる環境変化と母の死が重なり心身ともに辛いです。 先日、母が癌で亡くなりました。1年前から入退院を繰り返しており、余命が短いことは覚悟していましたが、やはり悲しいです。母が病気の苦しみから解放されたのは救いですが、この先母がいないと思うと人生がつまらなく感じます。まだまだ母とやりたいことがたくさんありました。 母の死は時間が癒してくれるのを待つしかないのですが、ちょうど転職と引っ越しをした直後に母が亡くなったため、新しい仕事を頑張れる気がしません。一人暮らしでホームシックにもなっています。まだ結婚もしておらず、一人っ子でもあるので孤独感が大きいです。 新しい仕事は私が目指していたことで、母も生前応援してくれましたが、母が亡くなった今となっては前向きになれません。これから新しい仕事のためにたくさん勉強しなければならないのに、無気力で頑張れる気がしないです。 母の癌が発覚した1年前から精神的にしんどく、診療内科に通うほど体調も崩しました。そのような状況下で頑張って転職し、これからというときに訪れた母との別れは新生活の不安と二重の苦しみで耐えられる気がしません。これからどうやって日常生活を送り、前向きに人生と向き合えばよいでしょうか。

有り難し有り難し 14
回答数回答 1

故人の魂はどこに?

先日大好きな妻が亡くなりました。妻は本当に僕の全てで大事な大事な宝物でした。 子供もおらず、独りぼっちになってしまい、今は絶望しています。生きる目的、意味が全く無くなりました。 僕の唯一つの願いは最愛の妻の魂にずっとずっとすぐそばにいてもらい(お骨も手元に)、自分が亡くなるときに一緒のお墓に一緒に納骨してもらい、そしてあの世でまた会えることだけです。 質問なのですが、49日に審判され遠くへ行ってしまい最終的に極楽浄土を目指すという理解をしているのですが、疑問があります。 白木の御位牌から本位牌となり、魂を入れて頂くと思うのですが、位牌に魂が宿るとするならば、極楽浄土などに魂は向かうのに、魂はいったいどこにいるのでしょうか? 魂は分割され2か所にいるのでしょうか? また、お盆には年に一回戻って来るという話しも子供の頃から聞いており、迎え火で迎え送り火で送り帰って行くということでした。帰ってしまったらいないということなのでしょうか? 極楽浄土等、御位牌、お盆、魂の居場所をわかりやすくご説明頂けますと幸いです。 僕は妻にずっとそばにいて欲しい、遠くへ行って欲しくないと考えております、魂の居場所によっては仏教と考えが合わないのでしょうか? 実はそのように悩んでいる間に49日が過ぎてしまいました、49日の法要は過ぎては良くないと聞きますが今から行って頂くことは難しいのでしょうか? どうぞ宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 17
回答数回答 2

父親亡くなる

父93歳母90歳姉64歳私57歳で、姉は実家からバスで30分の所に住んでおり、私は埼玉県に住んでいます。母は専業主婦で家事全般をやっていた人です。父母共に病気をして入院した時は、どちらかが実家に帰って寝泊まりをしていました。母が心臓の手術を10年前にしてから、家事全般を最小限しかできず、それでも父母と2人で頑張っていましたが、2年前に母が転倒して頭を打ったのですが、頭の中も異常なく、骨折もしておらず、ただ筋力が落ちて、やる気も出なくなり、父が母に変わって家事全般を最小限やってくれる事になり、父は、家事をやった事がないので、味噌汁の作り方を一から母が教えていました、しかし父の作る物にしょっぱいだの、と父と姉に話していたそうです。父も指示されているみたいでイヤだとは姉に話していたそうです。母か転倒して、動けなくなった頃から、愚痴がおおくなり、姉は、母は要支援2の認定を頂いていたので、訪問ドクター訪問看護ディサービスを利用し、少しでも愚痴の数を減らしていこうとした時に、父が脳梗塞でたおれ、悪性リンパ種も見つかり、入院して1ヶ月で亡くなりました。愚痴をこぼす所もなくなり、母は、私や姉が手続きや、お墓仏壇等をやっていると、私達に攻撃しはじたのです。ただそれが午前中に始まり夕方には、穏やかになり、母の今後の事もあり、ケアマネに来てもらい話をすると、老人うつ病をかられると言われ、私達も確信ではないが、そうではないかと思うと伝えました。前から少しずつあったものが、今になって大きく出てきたのではないかとも言われました。姉は知識がないので、精神的な事が書かれている本を前から読んでいますし、私も資格はないですが、施設で長く働いているので、少しは知識があります。ただ姉が言うには、父が生前の時母は、とても穏やかな人で先々を考える人だったと話し、母が転倒して何もできなくなってから、人が変わったようだと言うのです。うつ病があるかもしれない事を少し頭に入れて対応していこうと姉と話していたのですが、姉もわかっているが、ウンウンとは聞けずついいってしまう、母はエスカレートしてしまう、なので第三者に入ってもらって、近くにおばがいるので、母の話しを聞いてもらうなどして、対応していますが、これからどんな事に気をつけたらいいのか、対応はどうしたらいいのか、母自身も、自覚がないので困っています

有り難し有り難し 19
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ