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罪悪感との向き合い方

回答数回答 1
有り難し有り難し 8

過去に犯した罪があります。今では、猛省し二度としないと決めています。しかし、正直に話すと仕事に影響が出てしまうかもしれません。家族も養えなくなるかもしれません。罪を隠して生きることは罪になるのでしょうか。善の行いとして、恵まれない子どもへ寄付を毎月行ってます。

2024年6月2日 22:52

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたがあなたでいるために

ご相談拝読しました。

前回のご質問と同様に、具体的なことがわからないと何とも言えない部分があります。
しかし、あなたとしてはどうしても具体的なことは言えないというお気持ちもお察しします。でも、やはりそのことがあなたが背負う物をより重たく感じさせていることも確かでしょう。ご家族、匿名相談、hasunohaの個別相談など、ここならばと一歩ふみ出せる相手にまずは話してみてはいかがでしょうか?

恵まれない子どもへの寄付については素晴らしいことです。しかし結局はそれでは埋まらない何かがあなた自身にあるのではないでしょうか?他のところでいくら解決しようともがいても、向き合うべきところに向き合わなければごまかしになってしまうのかもしれません。

社会的制裁や世間的な罰が絶対に必要とは言えないのかもしれませんが、あなたがあなたとして堂々と逃げも隠れもせず生きていける道を求めましょう。

世間全体に対してでなくとも、大切なご家族の前だけではそういうあなたでいたいのならばお連れ合いに話してみるのがよろしいかとも思いますが・・・。

2024年6月3日 5:53
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有り難し
おきもち

個別相談可能
はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

質問者からのお礼

ありがとうございました。
参考にします。

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