加害者の未来
いじめや、人を殺した人は天国に行くのでしょうか。死んだらどんな人でも、誰もが極楽浄土に行けると聞きます。最近、いじめで自殺した人達のニュースなどをよく見ます。加害者達はのうのうと生きていたり、家族を作ったり、被害者の人生を狂わせた張本人なのに、幸せになっていいわけがないと思います。神様は悪い事を行った人でも天国に連れていくのでしょうか。
自殺を測った人間が地獄に行き、
加害者は、天国に行けるのかと思うと、
世の中は、不平等だと思います。
お坊様はどう思いますでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
誰にでも罪はある
あなたの質問は、人間をいじめた罪は重く、蚊を殺害した罪は軽いという前提の質問のような気がします。
前世で虫を殺した結果、今世でいじめられるという地獄体験をしている可能性もあります。
つまり、私達は目に見えている犯罪以外にも無数の罪を蓄積している煩悩だらけの愚かな人間なのです。
浄土宗では、そんな悪人罪人でも阿弥陀仏の力で極楽浄土に往生できると考えます。
つまり、浄土宗では、加害者も被害者も、みんなもれなく罪の報いから救われる、加害者も被害者も極楽浄土で仲直りできるという仏様の大慈悲心を掲げるのです。
加害者を憎む怒りの煩悩もまた、罪の一種なのですから。
私達は、自分が溺れかけているのですから、加害者が溺れればいいのにとか考える余裕はなく、阿弥陀仏の救いのボートに捕まることに集中すべきなのです。
とはいえ、悟っていない私達なので加害者への怒りの煩悩が湧いてしまうのも仕方ありませんよね。
そんなときは、「こんな煩悩だらけの私でも救われるのは有難い」と思って
なむあみだぶなむあみだぶ
と念仏を称(とな)えるのです。
人を憎んでしまう愚かな私達をも仏様は見捨てない、だから有難いのです。
憎しみよりも「ありがたや」で生きた方が人生はハッピーでしょう。
追記
誰にでもプライドの煩悩があるので、自分の考えに賛同してもらえないと嫌な気分になりますよね。
そんな私達をも仏様は見捨てず慈しんでくださるので、有難いのです。
心から反省し懺悔しなければなりません
拝読させて頂きました。
あなたがその様に思っていることとてもわかる様に感じます。あなたが理不尽だと思うこともとてもわかります。あなたのそのお気持ち心よりお察しします。
いじめや人を殺した方、加害者つまり罪を犯したものには必ずその報いが現れます。必ずその報いを受けなければならないです。
罪を犯し他者を傷つけた者は自らをおとしめていきますし、自ら犯した罪により苦しまなければなりません。そして地獄の苦しみを味あわなければなりません。
私達は誰しもが様々な罪を犯しています。知らず知らずのうちに他を傷つけてしまったりうそや偽りを言い、他を殺してしまっています。
その様な罪悪を犯している私達を仏様や神様はいつもご覧になっているのです。ですからその犯した罪悪を心から反省し誠心誠意懺悔して、仏様や神様や傷つけてしまった方や殺してしまったものへ心から謝罪してその様な罪悪をできるだけしない様にと日々お誓いしていかなければなりません。
私は毎日仏様や神様に向かいお経をおとなえしています。
懺悔の文です。
我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)
皆由無始貪瞋痴(かいゆむしとんじんち)
従身語意之所生(じゅうしんごいししょしょう)
一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)
意味は
私がはるか昔より作ってきたあまたの罪悪・悪業は
遠い過去から抱えている私のむさぼり・いかり・おろかさよるものです
この私自身の身と口と心から出たものです
私はそれら一切の罪悪・悪業を今ここに心から懺悔します
です。
私は毎日その様に心から懺悔し謝りできるだけ罪悪を犯さない様に仏様や神様そしてご先祖様に祈ってます。
仏様や神様はその様な罪深い私達を優しく受け止めさせて頂きます。私達の懺悔や謝罪や誓いを受け入れてお救いなさってい下さいます。そして仏様の浄土にお導きなさって下さいます。
自らの罪や愚かさを心から反省し懺悔して謝罪し償わなければ一切の罪悪から逃れることはできませんし永遠に苦しみ続けるのです。
あなたもどうか仏様や神様を信じて我が身の程を省みて心から懺悔し謝罪し、罪悪を犯さない様に日々心掛けて下さい。あなたが仏様や神様に救われます様に、ご先祖様に優しく迎えられて一切の迷いや苦しみから救われます様に心からお祈りさせて頂きます。至心合掌 南無阿弥陀仏
質問者からのお礼
貴方の回答は、理解できません。
遺族、被害者の親のことを考えると、
報われません。
質問して損しました。嫌な思いをしました。貴方のような考えには私は絶対にならないようしようと思います。