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私は私のままでいいとは?

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有り難し有り難し 4

28歳女です。

漠然としているのですが、とても生きづらいです。
日々こなさなくてはならないことを淡々とこなして1日が終わるといった毎日です。

私なんかが生きてしまって申し訳ない、と漠然とした罪悪感を感じ、母親としての私も嫁としての私も娘としての私も、何の価値も感じられず、希死念慮に苛まれています。
もうここ4〜5年このような状態です。

そもそもこうしたアイデンティティの欠落?「私は何者であるか」という認識がない原因は
・大学在学中に出産したため社会人経験がないこと
・何でも親の言うとおりにして生きてきたこと
・わがままが通ってきた人生だったから、駄々をこねている?
・幼少期から自分の意見が言えず、顔色を伺って生きてきたこと
・成功体験がなく(あっても認められない)自尊心がないこと

など悪い点は認識しているつもりです。

ですが、この状態から打破する方法が分からないです。

常に主人の機嫌を伺い、自分の意見や気持ちは押し殺して、息苦しく、つらいと感じるようになりました。と書くと被害者ぶっていてまた自己嫌悪です。
勝手に被害妄想を膨らませているだけなのはわかっています。。

自分で自分を褒める、というのも「こんなことで…」「みんなやってる…」と、つい他人と比較したり、馬鹿馬鹿しくなってしまいます。

趣味を見つけたり友人と遊んだり自分の時間をもてと言われても、何をしていいのか?こんなことをしていていいのか?少しでも家庭のために犠牲になることこそが正しいのでは?と、心から楽しめません。

常に、生きることに罪悪感を感じています。

生きるって、何でしょうか?

2024年6月20日 20:19

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたのせいじゃない

もえ 様 相談ありがとうございます。

生きることに罪悪感まで感じているのは辛い状況かと思います。
その罪悪感は、あなた自身のせいではないですね。
あなたに責任はありません。
おそらく
「幼少期から自分の意見が言えず、顔色を伺って生きてきた」ことに
端を発しているように思います。
顔色を伺うようになったのは、あなたのせいではありませんね。
ご両親・保護者から、躾が厳しかったり、きつく叱られたり
理不尽に怒られたりすると、子どもは親の顔色を伺うようになります。
自分を守るためです。
しかしこの自分を守る戦略は、他人との距離を作ります。
さらに、物事に対して執着を持ちにくくなります。つまり趣味や好きな事へ(他人顔色を伺わず)没頭できるということが出来ないからです。
これにより達成感を感じません。あなたの言うとおり成功体験も感じませんね。
こうみてくると、自分のせいではないことが理解できると思います。
とはいえ、生きづらさから解放する術を知って、実践しないといけませんね。

それには、まず癒しが必要です。生き辛さを感じている自分を癒やすことです。
安全安心感を感じることは何ですか?落ち着く場所や、心温まる人と会うことはありますか?安心安全を感じて、心を落ち着けて、心の温かさを感じることで、癒しが訪れます。癒されることで、自分を責めない・自己嫌悪を手放していきます。
癒しと自分を責めないことによって、今の自分の状態や気持ちに、善悪の判断せず、批判せずただ気づいていくというマインドフルネスなどの瞑想を行っていきます。そして充分に心が穏やかになって、
「私が幸せになりますように・辛さや苦しさから解放されますように・喜びに溢れますように・心に平穏がお訪れますように」と願いを込めて、自分に思いやりを向けていきます。自分へ心の温かさが流れ込むようなイメージです。このようなことを繰り返し練習することによって、生き辛さから徐々に解放され、「生きるって何」の答えを探さなくても安心して生ききることが出来るでしょう。
参考にしてください。一礼

2024年6月20日 23:08
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