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自分に厳しすぎるのかもしれません

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日常生活で、自分の行動が法律やルール、ガイドラインなどに適合しているのか(=ルールやガイドラインに違反していないか)を常に考えてしまいます。少しでも疑わしいと、明らかにやりすぎであっても自分に厳しい方を選択してしまいます。一人で生活していると、どんどん厳しい選択をしてしまい、正直生活に支障が出ています(細かいロジックは省きますが、例えばクーラーも部屋に設置されているのに心理的に使うことができなくて、今も猛暑の中汗だくで生活しています。正直身体的にも苦しいです)。

そんなに厳しくしなくてもいいじゃんと頭では思いますが、少しでも道徳的・ルール的に疑わしいことがあると不安や罪悪感におそわれるため、それを避けるためには、疑わしいと感じることが少しでもあるならその行動は取らない(別のやり方を取る)、という風にしか考えることができません。「別のやり方」が非現実的であっても、です。

カウンセリングとかも受けることはありますが根本的な解決はしてくれない(例えば法律やルールの解釈をしてくれるわけではない)ので結局モヤモヤしたまま毎回終わります。法律の専門家に相談することもありますがよほど重大なことでもない限り真摯な対応はしてくれず、一般論の回答だけをもらってもモヤモヤは解消しませんし、相談するためのお金や時間にも限界があります。

その「違反」とか「良くないこと」が全部自分の責任で起こっているわけでもないのですが、その場合は自分を苦しめている(と自分が考える)他人の行動に対して怒りを覚えてしまいます。たとえ他人が勝手に違法行為をしていてもそれ自体には怒りは感じないのですが、そのせいで自分がルールやガイドラインに適合するかわからないことをせざるを得なくなったりしてしまうと、その時点で強い怒りを覚えます。正直生きづらいです。

趣味や楽しみはありますが、その際にも手順が正しいか、ルール違反はしていないかなど常に考えるため、素直な気持ちではなかなか楽しめず、常に罪悪感やモヤモヤ感を抱えています。

じゃあ思い切って仕事を変えたり住む場所を変えたりしたいところですが、それをするにも手順通りが大事になるため莫大なエネルギーが必要になります。

正直、今夜生きるのも辛いというほどの激しいストレスではないですが、全てがめんどくさいという感覚です。生き方がわかりません。

2024年7月6日 1:25

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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中途半端にしかなれない

 こんにちは。たいへん興味深く梅毒させていただきました。
 印象は、「プロトコル大好きなんだな」ということで、「プログラミング教育」とか受けて育ったのかしら、と感じました。
 また、読んでいて「生活が大変だろうな」とも。それこそ「熱中症を予防しましょう」と「節電しないと云々」が矛盾して、どちらを採用するか悩んでしまうような気がします。
 浦沢直樹さんのマンガ「プルートゥ」をご存知ですか?「世界最高の人工知能に、ありとあらゆる人間の個性をプログラムしたら、起動しなかった。しかし、偏った感情を与えたら、それは目覚めた」という記載があって、「すべてを平均しようとすると、身動きは取れなくなる」という意味だと思いますが、まだどこから思いついたんだろうと不思議でしたね。
 どうやら人間は、個性があってこそ生きていけるらしいのです。「全てを守ろうとする」も個性とは言えますが、歪だったり凸凹していて、全てにおいて平均的な人はいないということだと思うのです。
 ですから、誰もが当然のこととしてはみ出し、人を傷つけたりする。自分は世の中の創世者ではなく、全体の一部なのですから、どうしたって偏りがある。守れるルールもあるけれど、守れないルールもある。
 だから「ごめんなさい」という言葉もあり、ルールという言葉も整理される。
 ものによりますけれど、「今日は6時に帰るね」という約束を守れなくても、まだ「謝る」という選択肢はあるのです。
 この辺り、あなたは引っ掛かっているのではないかと想像します。「外れたら取り返しがつかない」と、何故ゆえか思い込んでいるのではないでしょうか。
 なので、「大概のことは取り返しがつく。謝ることもできる、そして誰もが個性的」と思っていると、少し楽になるのではないかと思います。

2024年7月6日 14:24
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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

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