子供の失敗による、私の自責の念
お世話になっております。
ご相談したいのは、自責の念の整理の仕方です。
私は子供が3人おります。長男はおふざけが大好き、無邪気でとても明るい子ですが、たまにおふざけが過ぎてしまう事も。
学校でお友達のキーホルダーが面白くて、触らせて貰っているうち、度が過ぎて壊してしまった事がありました。
お友達のお母さんにご連絡をして、精一杯謝罪をしました。弁償も申し出ましたがそれはお断りされ、私が電話した事にも恐縮されたご様子でした。
長男に対しては、どんな物でも、その子のお母さんやどなたかが買ってくれたもので、もしかしたら思い入れがある大事なものかもしれない。そういったものは壊しちゃったら、弁償したくても、同じものはないんだよ。と話すと、子供は既に先生から怒られているので耳が痛そうでしたが、反省したようでした。
問題はその後で、こういった子供の失敗を、私が心の中でいつまでも引きずってしまうのです。
私がもっと言い聞かせておいたら、とか、何度も教えたことなのにどうして分かってくれていないんだろう、とか、お友達は壊れたキーホルダーを見て悲しんでいるかな、とか。子供がかけた迷惑は、私の至らなさが原因です。
長男はおふざけ大好きなお調子者、危なっかしさから普段から色々と教えてはいますが、実際に何か起こるまでは私が伝えていることも中々響かず…。響くように言えなかった私がダメなんだなあ、とそこでもやはり反省と自責で、心の中でクヨクヨしてしまいます。
そして、実際ご迷惑を被った方がいらっしゃるので、自責をやめて切り替えてしまうのって、良くないことじゃないかな、とも思います。
自分を責めるのはあまり良くないことでしょうか?また、切り替えるとしたらどんな考え方をしたらいいでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
事故報告が大切
今回の事故の情報は誰から聞いたのでしょうか?
もしもお子さんご本人から聞いたのであれば、正直に話してくれたことを褒めてあげましょう。
お子さんが、親や先生から怒られるのを恐れて失敗や悪さを隠蔽してしまうのが最悪でしょう。
交通事故も、すぐに適切な対応をすれば保険も使えるし大した罪にはなりませんが、パニックになってひき逃げしてしまうと社会的地位を失いますし、助かる命も助かりません。
なので、今回のことは、その事実をあなたが把握できたことが幸せであったと喜びましょう。
子供のやることなのでトラブルはあって当たり前です。
たとえばいじめ等も、あるのは当たり前であって、いじめの事実に気づかないことや隠蔽することが怖いのです。
今回は良かったと思いましょう。
質問者からのお礼
お返事ありがとうございます。トラブルは先生からお電話で知りました。帰宅した息子から話しがあるかな、と一応待ってみたのですが、残念ながら息子からの話はありませんでした。でも、独り落ち込んだ顔をしたり、空元気に振舞ってみたりと、先生からの話がなくても何かあったかな、と思える様子でした。本人からではないにしろ、私が知れて、謝罪ができて、子供にも改めて話すことが出来たのは確かに良かった事だと思いました。子供のことで、トラブルがあって当たり前という一言も少し気持ちが軽くなりました。息子はまだ小学生1年生なので、これから色んなことをきちんと教えていきたいと思います。