15年来の友人の死について
7月20日に友人が突然死しました。
気持ちの折り合いがつきません。
19日に友人とお茶をしたのが最後となりました。
あの時体調が良くないと言っていた友人を襟首掴んで病院に連れて行っていたら、あの日の夜息苦しいと言っていた友人宅に勝手に救急車呼べば、窓ガラス割ってでも室内に入っていたらと自分を責めてしまいます。なんで躊躇ったのか、どうしてできなかったのか、合鍵がないからといって家族に先に連絡しないで私が警察を呼べばよかったのに、苦しいと連絡があった時に終電があったんだから家に押しかければよかったのに。
躊躇わなければまだまだ楽しい時間を彼女は過ごせたはずでした。
街中を歩いても一緒に行ったカフェや次に遊ぶ時行ってみようと言っていたレストランを見ると「自分が彼女の人生の時間を台無しにした」と思ってしまって潰されそうになります。もしかしたらもう潰れているかもしれません。
友人を亡くしたのは初めてです。どうしたら心に折り合いを付けられるか全く分かりません。ご家族からは「貴方のせいじゃない、自分を責めないで」と言われましたが出来たことはあったのにやれていない自分が許せないです。
友人の死に気持ちの整理が付けられない
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
手を合わせる生き方を。どうしようもない気持ちを支えてくれる。
お辛いですね…一緒にいたのに、気づいていたのに、動けなかった。助けることができる立場にいたのに、死んでしまうなんて考えもせず、結局は助けなかった。そうやって、自分を責めてしまうのですね。
前日に一緒にいたんだものね。夢なんじゃないかと思うくらいに、とても受け入れられないですよね。
悔しいですよね、自分に対しても許せない気持ちでいるのですよね。
あの時、何が起きたのか、誰にもわからないわ。誰かのせいじゃないかもしれないけれど、それでもやっぱり何かできることをやるべきだったと、思えてならないのですね。
とても悲しいですね。そして、会いたいですね。
大切な友人なのですものね。
私も友人を突然に亡くしてね、今でも受け入れられないの。忘れられないの。一緒に学んで笑い合った日が、今でも思い出されて、夢だったらどんなにいいかって、今でも望んでしまう。どうすることもできないのにね。本当に苦しくて堪らないわね。
私は、ちゃんと覚えていようと思っています。声も姿も、考え方も大切にしていたい。友と同じ道を歩みながら、私の中で、その人はちゃんと生きているって。ありがとう、忘れない、そして信仰に生きる私たちは、また必ず会おうねと約束をして、生きています。
手を合わせる生き方が、どうしようもない気持ちを抱える私を、支えています。
あなたも、友人を大切に想って生きましょう。
手合わせましょう。語りかけて。その想いは届くから。
こうして、友人のことを話しましょう。私も、あなたの友人を想って手を合わせます。苦しみのない、仏様の世界に生きてくださっていることを念じましょう。今は思い出すと辛い友人との想い出が、あなたを支えてくれる力にもなっていきますように。
この度、ご友人を突然亡くされ、深い悲しみと自責の念に苦しんでおられること、心からお察し申し上げます。あなたの感じていること、そしてその重さを言葉で表すのは非常に難しい状況ではないでしょうか。
まず最初に、大切なご友人を大切に思うその気持ちは何よりも尊いものです。あなたはご友人の体調を気遣い、救おうと努めました。その心、慈しみの心が既にあなた自身の中に存在していることに気づいてあげてください。
「もう少しこうしていれば…」という思いは、多くの人が直面する悲しみや後悔の一部分です。あなたが抱くその思いは、ご友人への深い愛情と絆を反映しています。私たち僧侶としても、亡くなった大切な人に対して後悔や自責の念を抱くことは避けがたい人間の感情であることを理解しております。
しかし、重要なのはその自己責任の感情を消すことではなく、それとどう向き合い、そしてどのように自分の内面を癒していくかです。ご友人を助けるために何かをすることができなかったのは、あなたのせいではありません。私たちができることとできないことには限りがあります。その限りの中で最大限の愛情を注いだあなたを、どうか責めずに慈しんでください。
ご友人が亡くなった今、ご友人への思い出を大切にしながら、その心の中で彼女が生き続けるようにすることもひとつの癒しの道です。お寺で行う供養や念仏を通じて、ご友人の魂へ思いを届けることも、心の平穏を育む手助けとなるでしょう。
また、街中で彼女との思い出の場所に触れるたびに胸が苦しくなるかもしれませんが、それもご友人との深い絆の証です。その場所を彼女との良い思い出の場所として、彼女が喜んでくれる姿を思い描いてみてください。彼女はあなたが幸せであることを望んでいるはずです。
心の折り合いをつけるには時間が必要です。そして、その時間の中で少しずつ自分を許し、ご友人がつないでくれた命を大切に生きることも、彼女への最大の供養となるでしょう。どうか、焦らずに自分自身を労ってください。
あなたの深い悲しみが少しずつでも和らぎ、ご友人のことを思う時に少しでも安らかな気持ちになれる日が訪れることを、心からお祈りしております。
はるんちょ 様
痛ましいことですね。まずは、ご友人のご冥福をお祈り申し上げます。合掌礼拝
ともに過ごした時間が台無しになったようなそんな気持ちなのでしょうね。
折り合いがつけられないのも当然かと思います。
しばらくは気持ちの整理がつかないかもしれません。
できれば、できるだけ葬儀やその後の法要などに参列なさって
出来ることがあればそのご友人のご家族様と一緒におくってあげましょう。
しばらくは悲しみの中、怒りのやり場もなく混乱した状態が続くかもしれません。
でも、あなたはご友人に最後まで付き添おうとしていた。ずっと友達を思っていた。それは変わりません。
親しく信頼できるあなたにこそ、迷惑をかけたくないと思い、独りで旅立つことを選択したのだと思います。
泣きたくても泣けないぐらいショックかもしれません。
ただ、あなたもご友人も悪くないと思い、自分もご友人も責めずに、送ってあげましょう。涙にくれたとしても、ご友人と繋がっていることを感じてみましょう。
心は揺れます。またお気持ちをお話しください。
仏様はこの先もあなた方を優しく包みますから。
追伸:お礼メッセージありがとうございました。「思いやりや優しさを新しく出来た友人にも分けていく生き方」は、素晴らしいと思います。まだ悲しみが癒えないと思いますが、少しずつでも歩んでいきましょう。また困った時はどうぞご相談ください。合掌礼
質問者からのお礼
宮本 龍太様、釋 孝修様、田中 三恵様、回答ありがとうございました。
後日不思議な縁で医療従事者の方とこの話をしました。
「その状況では例え医療従事者でも助けるのは困難です。神仏でもないと助けられませんでした」「あなたは一般の方でも最大限の尽力をしました」「あなたの一報でご家族が駆けつけなければ、ご家族は棺の蓋を開けられなかったんですよ」「顔を見て挨拶やお別れをできるようにしたのです」「飼い猫も無事に保護されたなら、故人の心残りも無くなったはずです」
もしかしたら彼女は変化した観音様だったのかもしれません。私は助けられなかった事しか認識できていませんでした。
引っ越してきたばかりでこちらの友人や知人がまだ居ません、亡くなった友人との思い出の場所でこちらで出来た友人との楽しい思い出を増やしていこうと思います。友人は思慮深くて思いやりに溢れる子でした。私にくれた思いやりや優しさを新しく出来た友人にも分けていく生き方をしていきます。
本当にありがとうございました。