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冥途の旅について

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有り難し有り難し 8

単純な疑問なのですが、死出の山路を歩く人に眠気はくるのでしょうか?

2024年8月9日 14:30

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

頭の神経が眠気を催しても、心臓や血液は眠らず動いています。

火葬し肉体が滅びた後は眠気が起きない可能性もありますね。

太陽が沈んだとか月が出たと人は言いますが、太陽や月は変わらず人の認識が変わる感じです。

2024年8月10日 7:57
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有り難し
おきもち

泰庵  一法
「変えるべきは自身ではなく歩む方向」「時間とお金の使い方」「向きが変われば...
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安心なさって下さい

拝読させて頂きました。
亡くなる時や亡くなった後には必ず仏様や神様や菩薩様がお導きなさって下さり、先に行かれた親しい方々やご先祖様が優しくお迎えなさって下さいます。そして仏様の極楽へ生まれさせて下さいます。
ですから眠くなっても仏様や神様や菩薩様のお導きを受けることができます。どうか安心なさって下さいね。

2024年8月9日 21:10
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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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「死後の世界・死んだらどうなる」問答一覧

お不動様、私のこと嫌いなの?

 いつもお世話になっております。  私の友人が、病気になりました。私は代参として、ある不動尊寺院に 行きました。顔見知りの職員さんがいたので、その事を話しました。  「私も病気だから、二人とも病気になっちゃったなあ」 と言いかけたら「私も病気だから」まで言いかけたところで、食い込み 気味で 「自分を病気だど思うな。甘えが出る」 と早口で言われました。私はショックでしたが、波風を立てたくなかった ので 「個性だと思っています」 と笑顔で答えました。  そのあと精神科で、心理士さんと話し合って苦情を言うことに しました。カウンセリング後の診察では、心理士さんから報告を受けた 主治医の先生が、 「人の苦しみに寄り添わなければいけない立場の人が、どうして こんな事を言う」 と驚いていました。 「こんな人の言うことは、聞き流せるようになろう」 と助言されました。  診察後、お寺に電話をして、 「私が持つ発達障害という病気は、脳のホルモンの機能不全です。 放っておけば、普通の人が何も感じない場面で、強い恐怖感から 動けなくなるなどの支障が、日常生活に顕著に出ます。それを軽減 するために服薬し、考え方を明るくするためにカウンセリングを受け、 大勢の人の中でも落ち着いて振舞えるように、リハビリを受けています。 リハビリが一番しんどいですが、必要なことだと思って受けています。 もし、『病気を受け入れる=甘え』という認識をお持ちなら、考え直して いただきたいです。病気は受け入れることで、治療や社会復帰に向けて 動いていくのです」 とお伝えしました。  対応してくださった職員さんは、 「リケブツさんは前に比べたら変わった。頑張っているのがわかる。 彼は確かに酷い事を言った」 と平謝りしてくださいました。  翌々日、苦情を聴いてくださったお礼として灯明料を持って 行きました。  本山(そのお寺は本山の別院)にも確認したら、 「お不動様は、精神病の人を甘えてるなんて思いません」 とお坊様からお言葉をいただきました。  しかし、素直に受け取れません。優しい職員さんも多いですが、 本当は皆さんは、私がお寺に来てほしくないんじゃないか。と思って しまいます。  私は今まで参行した不動尊寺院全てで、お坊さんたちから 傷つく事を言われたりされたりしています。  …お不動様、私のこと嫌いなの?

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死んだら無になることへの恐怖

もう何十回、何百回と回答されているテーマだと思いますが、相談させてください。 ここ数ヶ月の間、死が怖いという気持ちが離れず、夜も眠れないくらいです。 私は恐れているのは、死んだら無になる可能性です。 私は科学を信じている(盲信していると言ってもいいです)ので、人間とはただの物体で、感情も脳の反応だと思っています。 だから人は死んだらただの物体になると考えていて、それがたまらなく恐ろしいのです。 私は両親と暮らしていて、日々の生活に幸せを感じています。 しかし死んだら無になるとしたら、この幸せはどうなってしまうのですか? 両親が亡くなり、私も死んでしまったら、全てなかったことになってしまうのでしょうか? いずれ死んで全てを感知できなくなるのなら、この日々も無駄ということになってしまいます。 「一度きりの人生なら楽しめばいい」と思われるかもしれませんが、死んでしまえば「楽しかったな」とすら思えないのです。 それはいっそ生まれてこなかったとしても、結局は同じということになってしまうのはではないでしょうか? 全てに虚無感を感じてしまって、幸せを感じることすら怖くなっている状態です。 しかも死への恐怖は杞憂ではなく、絶対に避けられないという事実があります。 全ての先人が経験していることですが、どうやってこの恐怖と向き合ったのかがわかりません。 科学を信じている私が、今回ここに相談したのは、宗教的なものを信じたい気持ちはあるからです。 かつてお釈迦様も生老病死に悩まれていたと知りました。 その悩みから抜け出せる知恵が、仏教にあるのではないかと思ったのです。 仏教では死についてどのように考えていますか? お坊様は死を恐れていますか? その理由は何ですか? またお坊様は当然ながら仏の世界を信じていると思いますが、信じるに至った根拠や理由はありますか? 尚、両親も私も健康状態に問題はなく、死が差し迫った状態ではありません。(人生、何が起こるかわかりませんが) それでも両親との別れはいずれやって来ます。 私は自分がただの物体になるのも恐ろしいですが、両親が物体になるのはもっと恐ろしいのです。

有り難し有り難し 18
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2025年7月5日4時18分

荒唐無稽であることが望ましい話です。 標題の日時で検査すると、様々なところから滅びの予言がされていることがわかります。東日本大震災の三倍の規模の津波だとか核ミサイルだとかフィリピン沖だとか隕石だとか。事実無根と軽く扱うには根拠が重なりすぎていてどうしても軽視できません。そして私は「問題が起こる=解決できずに全てが崩落する」と強く感じているので、きっともう一年近くの命なのだなと感じています。 私はただ、痛みや苦しみから逃れられない物質世界で生きていたくないだけなのです。死ぬことよりも、死んだ向こう側で過酷な世界に生まれるのが恐ろしくて恐ろしくて仕方ありません。屠殺される家畜。逃げきれなければ捕食される草食動物。餌に釣られて毒殺される害虫。ああいやだ恐ろしいと思うのはいけないことですか? 生きることは恐ろしい。どう生きても自分より遥かに大きなものによって弄ばれて終わるこの矮小な身体が恐ろしい。脳味噌の誤作動と物質世界に永遠に閉じ込められているのが恐ろしい。そんなことを感じてはいけないのですか?苦しみを受け入れられるようにならなければいけないのですか?安心して生きてはいけないのですか?ガンジス川の濁流に飛び込んで疫病を得なければ救われないのですか?生き物の本来の姿とはどんなものなのですか? この時代のこの場所に生まれただけでものすごく幸運だというのに、その中でさえ上手く生きられなくて苦しんでいる私が、災害や大破局に直面した際に恨みを抱かず運命を粛々と受け入れられる気がしません。「だから生きるのは嫌だったんだ!だからこの世界は嫌なんだ!」と恨み憎しみの塊になったまま死んでしまいそうで、すなわち苦しい来世が確定しています。「今、ここ」に集中しようとしても、破滅のカウントダウンを感じるとそれどころではなくなってしまいます。未来が誰にも見えないのが恐ろしいと傲慢な感情を抱いてしまいます。 私が救いを信じられないのは、今までの人生において大いなるものの救いを感じられなかったからです。破滅の信憑性ばかりが高く、破局、混乱、絶望の未来しか待っていないと漠然と感じています。これらを否定したり適切な距離をとったりするには、あまりにもこの世界の矛盾や欠陥が多すぎます。「今ここ」に生きるよりも、「どうしたら苦しまずに死ねるか」でいっぱいです。 安心して生きることは傲慢ですか?

有り難し有り難し 12
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ