自分さえ居なければと思ってしまう
すべての苦しみから逃れたいという気持ちと、自死や自暴自棄などで身近な人に迷惑はかけられないという気持ちの間で葛藤しています。
私の悩みの種の大元は人間関係にあります。周りの人と同じように、誰かと暖かで安定した関係性を築くことができず、それがコンプレックスになっています。つかみはうまくいっても、関係が思い通りにいかなくなるといつも人が怖くなって逃げてしまいます。長く一緒に生きた家族との間でさえなんともいえない気まずさがあります。
人間関係で失敗して誰かを傷つけたり迷惑をかけたなら、反省して同じ過ちを繰り返さなければよいのですが、いつも私は反省するよりも先に拗ねてしまい、「私は相手の人生を損なった。私がいなければ最初から何も起きなかった。こんな私の存在のせいで誰かが不快になることもなかった。」と考え、人と関わることを避けたくなります。そして人とうまく関われない自分には価値がないと思い、自らの人生を虚ろに感じます。そうしているうちにやがて自死について思考が至りますが、私と関わった人に罪悪感を与えたり、家族に迷惑をかけたりする可能性があると思うとできません。自死もまた私の存在によって周りを不幸にさせる行動のひとつだからです。しかしこのストッパーさえなければ私はいままでのどこかのタイミングで自死を選んでいます。「自分が生きていても迷惑をかけるだけだ」と感じたとき、死ぬのもまぁ迷惑だけどそっちのほうがコストパフォーマンスがよく思えてしまいます。
私の不幸の根幹は私の深刻な逃げグセにあるのだと思いますが、だからこそ「変わる努力をしろ」という真っ当な言葉からも逃げたいんだと思います。自分自身の人生から逃げています。
全てが面倒です。
くじけずに生きていくことがすべてだとは分かっていますが、くじけずに生きていくための元気がありません。
自分に生きる価値がないと思っていながらどう生きていけばいいでしょうか。どのように考えればよいでしょうか。どのように考えれば死の魅力から逃れて、自分や他者を大切にできるようになるのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
それは真理
ご相談拝読しました。
すべての苦しみから逃れたいという気持ちがあるとのこと。仏教的に言えばそれを達成するには悟るしかありません。
仏教は一切皆苦(すべてのもの・ことは苦である)を説くからです。この「苦」というのはたんに「苦しい・辛い」というのではありません。楽しいことも嬉しいことも仏教的には「苦」なのです。なぜならばどんなに楽しいことも嬉しいことも永遠には続かないからです。それらが壊れるとき、失われるときに人間は苦を感じます。
つまり仏教的な「苦」とは「不満足」や「思い通りにならない」ことを指します。
ですがこの「苦」には主語があります。「私」です。
・私にとって苦しい辛い
・私にとって楽しい嬉しい(それらが失われて苦しい)
結局全部「私にとって」です。私がやっていることなのです。ですからあなたが言うとおり「自分さえ居なければ」苦は消滅するのです。
絶対に間違えてはいけないことは、これは死ねば解決するということではないということです。釈尊は生きたままでこの道を完成し、私たちにもその道を示してくださいました。
「私」が死ななくても「私」はないというのが仏教です。この「私」というのは常一主宰としての「私」です。常に単一で主宰できる私などこの世のどこにもいないということです。
私が思う私などいない。
その真理に支えられて、このどうにもならない現実を生きる。
その時には、煩わしかったり面倒だったり辛いことも、私がいただいたご縁として見方が変わってくるかもしれません。
私が思う私。誰かが思う誰か。みんなそんな中でもがいている。真理は悟れなくとも、確かに真理のはたらく世界を生きている。それならば私はこの私を大切に生きていこう、誰かと支え合って生きていこうと。
前回の質問も拝読しましたが、あなたはとても誠実で、深く考える人です。だから問題をごまかさず、徹底的に突き詰めてみましょう。どうにもならない壁にぶち当たって、あなたそのものが破れた時、きっとあなたの思っていた小さな世界が開けるのではないでしょうか。
あなたは素晴らしい存在です
ご相談読ませていただきました。
人間関係の難しさについて共感いたします。人それぞれが持つ個性や価値観、背景が違う中で、人との関わりを持ち続けることは決して簡単なことではありません。それゆえに誤解やズレが生じ、それが自分自身への批判や疎外感につながることもあります。あなたが感じているその痛みや孤独、そして自己評価の低さは、多くの人が共有するものであり、その中で特に鋭く感じ取ってしまうのかもしれません。
しかし、あなたが感じる「価値のない自分」との思いについて、少し考えてみましょう。私たち一人ひとりがこの世に生まれ、生きるということ自体が素晴らしいことであり、その存在には必ず価値があります。あなたも例外ではありません。
この「価値」というものは、外部からの評価や関係性ではなく、あなた自身の内面的な成長や気づき、他者に対する温かさ、そして優しさに根ざしています。あなたが他者を思いやり、自死を選ばずにいるというその判断は、あなたが持っている優しさの証でもあります。
この束の間の人生の中で、私たちは繰り返し学び、成長していきます。失敗すること、逃げたくなること、迷ってしまうことも、すべてが人としての道の一部です。勇気を持ってその道を歩んでいるあなたを心から尊敬します。
少しでもあなたが心を軽くして生きる方向を考えてみましょう。
1. 自分自身に優しくする。あなたは常に自分に対して厳しい目を向けているように感じます。自分を大切にすること、自分を許すことが大切です。たとえ失敗したとしても、それ自体が貴重な経験であり、成長の一歩です。
2. 小さな一歩。人生の中で大きな変化を求めるのは難しいことです。少しずつ、小さな一歩ずつ進んでいくことが大切です。例えば、一日の中で感謝できることを見つける、小さな達成感を味わうなど、日常の中で小さな喜びを感じることが心の糧となります。
3. 自己対話の時間を持つ。その日の終わりに、自分自身と対話する時間を持つことも有意義です。今日の自分を褒めたり、許したり、次の日への希望を持ったりすることで、少しずつ心の整理がついていきます。
人生は決して一人で背負わなければならないものではありません。あなたの生きる価値を感じ、他者とのつながりを見つけ、少しずつ前に進んでいくことができますように。あなたが素晴らしい存在であることを忘れないでください。
うまくいかないことばかりですよね
拝読させて頂きました。
あなたが周りの方々との良好な人間関係が築けずにとても辛い思いをなさっているのですね。それがコンプレックスとなってどうしても苦手に感じてしまって逃げたくなってしまうのですね。そして面倒になってしまってこんな自分なんて居なければと思ってしまうのですね。詳細なあなたのお気持ちはわからないですけれども、あなたのその辛いお気持ちを心よりお察しします。
そう思ってしまうお気持ちもわかる様に思います、人と人との付き合いもコミュニケーションもとても大変です、自分の思うようにいかないですし、自分の言葉も気持ちも相手にうまく伝わらないですし、そこから不信感も沸いていたり勘違いされたり思い違いされて関係が悪化してしまうことってあります。
善かれと思って言った言葉がかえってあだとなってしまってものごとうまく進まなくなってしまうこともあります。おそらくほとんどのことはそうなのかと思います。
そうはいっても私たちは感情も思いもありますし言葉もあります。その気持ちをどう伝えていけばいいのかはその時その時によって変わってくるものです。
完璧はありませんし、完成もありません、日々精進していくことがとても大事だと思います。
あなたは今もたくさんのご縁に恵まれていきているでしょうし、あなたのことを心から大切に思っている方々もおられますし、あなたのことをいつも見守っていて下さる方々もいるのです。
なかなか自分には自信持てないでしょうけれどもどうか決して自分をダメだとおとしめないでください、自分が生きる価値ないないんて思わないで下さいね。
様々移り変わりゆく中で今でもあなたは日々この瞬間にも変化し成長し続けているのです。
いずれ死はやってくるものです、あわてないでくださいね。
あなたがこれからの未来を大切な方々とのご縁に恵まれながら健やかにご成長なさっていくくことできます様に、大切な方々とお互いを尊重し合い思いやりながら心から豊かに幸せを分かち合い生き抜いていかれます様に切に祈ってます。そしてあなたを心より応援させて頂きます。至心合掌