推し活で多名義を利用する人とは?
※言い方が失礼な部分もありますが、最後までご覧いただけると幸いです。
世の中には行きたいライブや舞台のために、ファンクラブに複数口で入会して、規約違反ですが自分の名義以外でチケットを獲得し推し活を楽しむ人々がいます。(本人確認を行う可能性があります、と規約にも明記してあるファンクラブです)
私は自分の名前での名義しか持っていませんが、多名義の人々が毎年推しに会いたい、1つでもいいからチケットが当たってほしいという気持ちは理解できます。
しかし、どんなに多くの名義でチケットが当たっても、全部の名義で当たるとは限らないし、年会費やチケット代、交通費など出費がかかるのは間違いないですよね。
チケット代を転売して儲けている人もいるけど、高値で転売して誰も買わなかったら転売しても損だから、転売する意味がないような気がします。最近でもニュースで多名義を利用して転売したグループ集団が逮捕されたこともあり、悪事を働いて逃げ切れることは完全にはできないですよね。
多名義でチケットが当選しても、宝くじみたいに賭けた金額や名義以上に当選することはないし、自分の名義じゃない分で当選しても本人確認をされて罰則を受けて退会処分になる可能性もあるのに、よく続けられるなぁと思っています。
(チケットが取れても、ファンサービスがもらえなかった、推しが見えづらかったという理由で、終演後に文句を言う人もいました)
また、多名義の人の中には、チケットを譲ったらチケットのお礼をしろと、トラブルに巻き込む人もいます。自分も一方的にトラブルに巻き込まれた経験があり、多名義の人とは考えが合わないと感じます。
そこで気になったのですが、このような方々は仏教の教えに基づくと、どのよう人だと分析できますでしょうか?
自分の考えは間違っているかもしれませんが、
多名義の人たちは、規約違反とはいえ自分のお金で費用を払っている人もいるから、どうお金を使おうが自由ですが、どんな手を使ってでも、いくらお金をかけても、何回でも毎年推しに会いたいと、際限のない欲望があるのでしょうか?
多名義の人は毎年ライブや舞台に入っている人が多いので、落選して行けない人の気持ちが理解できない、自己中心的な人だなと、これまでの推し活で感じますが、宝くじ以上に多名義は損なのにな、と冷ややかな目で見るようになりました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
行き過ぎたファンの行動は、推しを悲しませ嫌われるだけなのにね
まるで、お一人様一回限りと書いてあっても、何度も並んでは買う人のようですね。
ルールを破っても、どんなことをしてでも手に入れたい。周りからどう思われようが、自分だけが満足(得)する一番ズルい方法! それを平気で行う人は、残念ながら存在しますよね。
推しのためなら、どんな手を使っても〜
同じファンとしては、情けないやら憎いやらですね。
仏教で言うと、貪欲に溺れた鬼でしょうね。
この対策は、ファンクラブの運営側が管理していかねばならないことでしょうが、行き過ぎたファンの行動は推しを悲しませ嫌われるだけなのにね。
冷ややかな目で見るようになった。
そりゃそうですよね。(あなたたちと同じファンだと思われたくないわ!)と思いますものね。
いろんな人がいるからね。こんな愚かなファンとは接触したくないですよね。
質問者からのお礼
以前から、そして今回も私の質問にご回答いただき、ありがとうございます。
良い意味で推し活への熱が冷めたこのタイミングで、ふと気になって質問いたしましたが、貪欲に溺れた鬼、という表現が強烈で納得できる表現です。
推しが悲しむことはせず、規約等を守った上で、人生を彩ってくれる推し活を楽しんでいきたいと思いますm(_ _)m