生きるとは。
職場で嫌がらせにあいました。
上司や友人に相談しても悩み、もどかしさが交差していくなかで気づけば嫌がらせをした相手を恨み、制裁を考えるようになりました。
一緒に仕事をする気持ちも萎え退職をすることになりました。
その日が近づいているなかで人を恨み、制裁を考えて自分は愚かな人間だと思い悲しみも抱いています、その悲しみは実際にしてしまうと相手の心だけでなく、ご家族を悲しませることになることが想像出来ていたたまれない気持ちでいっぱい。
私自身の50年の人生のなかで楽しかった想い出、辛く悲しい体験と色々なことがあり出会いや別れがありましたが、もし人を恨み、そのご家族も悲しめることをことを考えた自分を愚かで駄目な人間だろう、と気持ちが揺らいでいます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
当然の主張、堂々と訴えたらいい。悔しいままで終わらせないで。
辞めざるを得ないほどの嫌がらせに遭っておられたのですね。そりゃ恨みますよね。なぜ加害者が平気で過ごせて、被害者が泣き寝入りをしなければならないのかと思うと、何らかの制裁を与えてやりたくなりますよね。
上司に相談をされても、改善もないままだったのですね。どうしようもない職場ですよ、被害を訴えても守ってもらえないのだから。辞めるにしても、理不尽ですよね。
悔しいままで終わらせないように。労働基準監督署にも相談しませんか?上司にも相談したが変わらない、会社の体質かも知れず、守ってももらえず、ずっと嫌がらせを受けてきたと。せめて、嫌がらせをしていた人にも、わからせてやりたいと思いますものね。これは当然の主張ですから、堂々と訴えたらいいと思いますよ。
質問者からのお礼
お言葉をありがとうございます。
仰るとおり、相手方に不信感を抱き恨むこともしました。制裁に向け動いていましたが、公的機関からの回答は自体が進展することもなく、有耶無耶だけが残っています。
泣き寝入りは悔しく、表面上は普段どおり接してもこの先の生活について不安や心配が勝っています。