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他人と深く付き合えない

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有り難し有り難し 5

他人との関係の維持の仕方に苦手意識が強いです。

小さい頃から、1人で自分の好きなことばかりしていました。
友達もいましたが、友達と過ごすのもあまり得意でなく、1人で後ろをついていく感じでした。
今も他人に興味が持てず、1人で好きなことばかりしています。
時間を作って会うような友だちはいません。

ですが30代となり、さすがに人間関係が希薄すぎるのではと考えました。
将来的には結婚願望もあるからです。

婚活を繰り返し、ありがたくも何度も会ってくれる人もいましたが、次第に興味が薄れ、1人が楽になってしまいます。

相手を振り回してしまうことに罪悪感を覚えます。恋愛関係、対人関係作りに全く自信が持てません。

初対面かつその場限りの会話であれば、自分を曝け出して話すことができます。しかし、長期の繋がりが予想される方とはなかなか仲良くなれないし、途中でしんどくなって離れてしまいます。

人の暖かさを感じたいのに、自分から離れてしまいます。苦しいです。

2024年10月27日 0:11

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分の中の立ち入り禁止ゾーン

誰でも見知らぬ人や親しい人でも入ってほしくない領域があるものです。
ここまではOK、ここから先は入ってほしくないという心理は誰にでもあるから問題ありません。
そういうことを信頼できる相手であればきちんと共有なさることです。
そして、そういう気持ちを分かってくれる相手をあなたも尊重なさることです。
人はおおよそみんな本質的には同じなのですから、相手にも弱いところがあるはずで。その弱さで共感しあえればいいんじゃないでしょうか。

こうでなくてはならない、ではなく、
こういうものなのだから、という姿勢で自分をきっちり肯定して人間の弱さというものを他人の中からも自身にも学びを見出すのです。

たとえばアニメの世界をざっくり見渡してみてください。
理想や願望だらけです。ですが現実は異なります。
現実、真実をアドレスとできる人であれば、現実を見届け、受け入れられるようになります。
受け入れようとかしなくても、最初からこの現実世界と完全同期なわけですから、かわしようも否定しようもないわけです。

よってあなたはあなたのそのまんまがあなたの大真実なのですから、そこから丁寧な生き方をなさればよいでしょう。

適切な距離感を大切に。
快適亜距離感。
ほどよい距離感。

深く付き合う必要はありません。
安心して共感・共有できるところで接するだけのことです。
人間はみんな生命体としても各個人個人でバラバラですから、それでよいのです。

2024年10月27日 8:24
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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

あなたなりのスタンスで

拝読させて頂きました。
あなたは人の暖かさを感じたいのに、自分から離れてしまいとても苦しい思いをなさっているのですね。詳細なあなたのことはわからないですけれどあなたがその様に人との関係を思っていることはとても伝わってきます。あなたのそのお気持ちを受け止めさせて頂きます。
人との関係性はそれぞれですしその時々によってかわってくると思います。あなたがこれから人との関係を持っていきたいと思っているのであれば。ちょっとずつご自身でかかわりを増やしていってみましょう、あわてて一気に近づいていかなくてもいいかもしれませんが、あなたが好意や関心のある方々と少しずつコミュニケーションを取っていきましょう。そしてその方々に関心を持ちその方々を知っていきましょう。そうしていく中で合う人もいれば合わない人もいますし、相性のいい人にも巡り合うことができるでしょうからね。
何でも親密になっていけばいいわけではありません、あなたなりのスタンスでお近づきになっていきましょう。
あなたがこれからの未来を素晴らしいご縁に恵まれながら大切な方々と共のお互いを知り合い様々なことを分かち合い、共に健やかに幸せに生き抜いていかれます様に切に祈っています。そしてあなたを心より応援させて頂きます。どうか頑張ってくださいね。至心合掌

2024年10月27日 8:56
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有り難し
おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

質問者からのお礼

お返事いただき、ありがとうございます。

どうしても周りと比べてしまっていけませんね。

自分を信じ、自分のやり方で少しずつでも前進できたらと思います。

改めて、ありがとうございました。

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