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人間が嫌い過ぎて生きていくのがつらい

回答数回答 2
有り難し有り難し 11

昨年11月に大腸癌が見つかり直腸を切除。
半年以内に癌が再発し大腸を全摘出。永久ストーマに。
その際運悪く尿道が損傷してしまい、排尿障害と性機能障害を患い、膀胱瘻を増設。
疼痛と出血に耐えながら何とか生きてます。
更に今までの趣味だった音楽活動は左手の局所性ジストニアを患い継続が困難に。
何もかもがつらい中、周りからは「早く社会人として復帰しろ」とか「努力が足りないからそうなった」とか心無い言葉を投げられ
ネットでは一部の界隈である事無い事をdiscordのグループチャットで書かれ
名誉を傷つけられ
段々と「なんでこんな醜い生き物と同じ空気を吸いながら生きるための営みを強いられてるのか」
「何故この醜い生き物たちはこんなにヘラヘラしてられるんだろうか」
「私も含めて全ての人間が苦しんで死んで欲しい」
と思うようになりました。
最近は人をゴミのように殺めてゴミ箱に詰める夢ばかり見ています。
今後社会復帰出来たとしても、些細な事で人を殺めたり傷付けたりしてしまうのでは無いかと思う反面、醜い生き物が少しでも減るならそうなってもいいと思っている自分も存在していて
何が正しいのか、どうしたら自分にとって最善なのかが答えを出せずに居ます。

2024年12月10日 7:38

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「辛い 苦しい 許せない」その心の「本源・根源」を見抜く

こう考えてみよう
( ゚Д゚)…オレはいつから暗く物事を考えるようになったのだろう。
あの事件以来からかな。
あの事件って、どれだろう。
いっぱいあって思い出せないや。
だけど、負の思いが始まったのはいつからか。
とにかく嫌なことがあって、そこから、だ。

その時に、その事件、そのことがあって、そこから。
どういうわけか、元気だったはずなのに、暗く、悪く考えるようになった。

それが続いているのかもしれない。
悪く考え始めるようになったあの時以来、心が同じネガティブな、負の状態が継続している。

でも思うということ、考えるということって、実は今日の真新しい天気とおそらと、そこに浮かんでくる雲たちのように、昨日とは違って形も違うし、現れ方も変わっている。

そこに気づくべき大事なことがある。
オレはあたらしい。
それはあたらしい。
思いも新しい。
思ったことへのアプローチも新しくできる。
いつも同じ道を歩くにしても、踏んでいない所を歩んでいる。
俺の活動も新しい。
俺の観ている世界も新しい。
オレが思っていることも新しい。
考えていることも新しい。
なにやらよくわからねぇ坊さんから回答が来た。これも新しい。
後ろを見てごらん。
いつも見ているところでも、新しい視点。この角度からそれを眺めたのは初めて。
そうこうしているうちにお空に浮かぶ雲も先飛んでいたところとは違う所を泳いでいやがる。おや。
今日は同じような思いが浮かんできたけど、そんなダメージはねぇみてぇだな。
どうしてだろう。
オレが俺の内側からあふれてくるあの思いの雲たちに対して、アプローチの仕方が変わったからなのかもしれない。
さほど触れなかったからなのかもしれない。
思いという内なる雲雲たちは、もともと暗雲でも明雲でも妖雲でもないままに、ただそれとしてプ狩りと浮かんでくるだけなのかもしれない。
そうか。
オレか。
オレがその内なる思いに対して負のアプローチをしていたのかもしれない。
思いというもの、それ自体には、負とかネガティブとか、悪い思いだとかは、無いままにぷかり、ぷかり、と。
今日はしばらく、過去の数々の事案に対して、自分の心を苦しくするような、負のアプローチだけは避けてみようと思う。
もうこれ以上、苦しむ必要はない。苦しみたくないから。
そっと静かに、俺も雲のようにふわりふわり、と。
お大事に。

2024年12月10日 9:46
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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

悪意悪言悪行、悪縁を切り捨てましょう

拝読させて頂きました。
あなたが大変な病いを患い手術なさり大変な状況の中で必死に生きておられること、趣味の音楽活動もできなくなってしまい、周りの人達から心ないひどいことを言われて大変辛い思いをなさっているのですね。そしてその人達の様なひどい人達と生きなければならないのかと思い、そんな人達は死んで欲しい、殺してゴミ箱につめてしまいたい夢ばかり見ているのですね。詳細なあなたや周りの人達のことはわからないですけれども、あなたのその苦しみや怒りや憎しみや殺意はわかる様に感じます。あなたのそのお気持ち心よりお察しします。
具体的にあなたと関わりあるその人達のことは全くわからないですけれども、その人達は悪意や悪言や悪行を自ら進んでなさっています。あなたや他の人にもその様なひどいことを言い他者をおとしめる様な悪行をしているのです。つまりその人達は自ら進んで罪悪を犯して自ら進んで自分自身のことをおとしめています。
詳細なことや現実その方々とどう関わるのかはわからないですけれども、私はその様な愚かな方々や悪意にまみれた悪人と一切付き合うことも関わることもやめて、その様な悪縁を全て切り捨てることが望ましいと思います。
あなたも同じ様に悪意を抱き悪言を使っていけば自ずとあなた自身も罪悪にまみれていってしまいます。怒りや憎しみや呪いや殺意に飲み込まれていってしまいます。あなたの周りは地獄さながらになっていってしまいます。
ですからその様な愚かな者達には一切関わらず全て切り捨てましょう。
そして善き考えや言葉や行いをなさる方々とのご縁を結んでいきましょう。
あなたはこれからもその尊い命を生きていくのです。であれば、余計に悪縁を捨てて善きご縁の中で生きましょう。
あなたが悪縁を切り悪意や悪言や悪行を捨て去り、善きご縁に恵まれながら善き考えや言葉や行いを進んでなさり、大切な方々と心から豊かに幸せに生き抜いていくことできます様に切に神仏やあなたのご先祖様にお祈りさせて頂きます。そしてあなたを心より応援させて頂きます。至心合掌

2024年12月10日 12:03
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有り難し
おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ