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私は怠け者です

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適応障害で休職して2年、その後仕事を辞め、働いていない状態が合計で約3年ほどになります。直接の原因であった職場とはもう離れて久しいのに、全く未来を向けず、ただ何もしない日々を送っています。
金銭的不安も増すばかりで、働かなければいけないとは思いつつも、例えば街中で目にするあらゆる仕事に対して「自分にはできない」という感覚ばかりが募ります。昔は頑張ろう、やろうと思えていたことも、できない、やりたくない、自分には無理だとなります。職場でパニックの限界が来た日から、心が折れたのか根性が消えたのか…それとも怠けているだけなのか。生来怠け者気質で変化を恐れる保守的な性質なので、何もしていない現状に甘えているだけのような気もしています。
新たな人間関係、新たな仕事、それ以前に仕事を探すための方策、全てに高いハードルを感じます。根性なしになってしまった自分が一歩を踏み出すヒントがあれば、教えてほしいです。

2024年12月14日 22:13

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

心理的な抗いを自ら包んでおさめると良いでしょう

人は苦手なことがあると抗い(あらがい)の心が生じます。
あれが嫌だ、あの人嫌いだ、自分にはムリだ、どうせ、でも、だけど、DDD…
みんな抗いの心理なのです。
その心理だけを第三者の目線で客観的に見つめてみることです。
坊さんが坐禅をする、瞑想をする、自分を見つめるのは何の為か。
それは、自分の心理そのものを見つめる為でもあります。
釈尊や祖師、覚者、賢者といわれる人たちは何をした人たちか。
みんなこの自分自身を深く見つめて、人間の心理そのものを良く学ばれたのです。だからあなたもそうするべきなのです。そうする必要があるのはなぜか。
そうすることで救われるからです。どうして救われるのか。それが人間が自分で自分を救うための最短コースだからです。お金も要らない、医者も要らない、薬も要らないからです。
そもそも、人は他人から何かを教わるということも本当は無くてもいい位なのです。
自分が本当に自分に向き合って自分の成長エネルギーと共鳴・協和・協調すれば、それだけで植物や動物と同様にぐんぐん成長するんです。人間界はおかしなことばかり、本当は理にかなっていないことばかりしているものなのです。それをするのはなぜか。それをする、させる、世間の共通認識にすることで一部の人たちに都合がイイ、便利だ、利益につながるからなのです。だから、完全に規格化された商品のように、みーんな同じに育てられるのです。そういうシステムに合わない人がやれ、協調性がないだの発達障がいだの仲間外れにされてしまうわけです。
あなたが怠け者だぁ、自分はダメだと思うようになったのも、周りの人とうまく反りが合わないとか、嫌な人がいた、嫌なことがあったということがきっかけだったと思います。
だからこそ、自分を良く見つめて、心の抗いの気持ちをよーく見つめてみてください。いつどんな時に私の中で逃れたい、嫌だなぁ、防衛反応、抗いの心理が生ずるのか。その瞬間を悟るのです。
そして、その抗いの心理こそはよくよく見つめてみますと、過去の再来、負の再来を恐れているだけなのです。またあの同じような思いをしたくないなぁという爆防衛反応のようなものなのです。それがあなたを縛る。現実はどうか。事実確認をしてみれば、あなたの負の思いとはまるで違うトリッキーな真新しいことがそこで起こっているはず。何度か読み返して自分を見つめるきっかけにしてみて下さい。

2024年12月14日 22:37
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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

癒しを得て、自分を責めないこと

ななふし 様 相談ありがとうございます。

 適応障害となった出来事がトラウマになっているのかなと思いますが、如何でしょうか?
 その出来事の時の自分に、もしあなたを支え、あなたを信頼し、あなたの苦しみや辛さをよくわかり、その苦しみを和らげたいと思う人が、あなたの傍にいるとしたら、あなたにどんな言葉をかけてくれるでしょうか?
ぼんやりとでも思い浮かべてみて、出てきた優しい言葉や思いやりの言葉を、ゆっくりと自分に向けてみましょう。自分の心の中に流れ込むようなイメージを持つと良いでしょう。直ぐに出来なくても問題ありません。心が少し落ち着いた時に何度もトライすればいいのですから。
 さらに、幼少期からこれまでの辛い時の自分に、同じように優しい言葉や思いやりの言葉をかけてみましょう。こうして自分を癒やすことが、まず大切になります。
 そして、怠けものだとか甘えてるとか、自分を責めることをストップしましょう。あなたは、一生懸命に自分の人生を生きようとしていることに変わりはありません。一生懸命生きようとすると困難が待ち受けているのは当然のことなので、
あなたの今の辛い気持ちや悩みは、懸命に生きている証拠です。
 だから自分を責める必要はありません。あなたは悪くないし、悩みはあなたのせいではありません。あなたに責任はないのです。

 ですので、癒しを得て、自分を責めないことをまずは思って過ごしてください。ハードルが高いと思ったら、低いハードル、飛べそうなハードルから飛べばいいと思ってください。それを繰り返すことで、だんだん高いハードルが飛べるようになりますから、小さなできることから動いてみてください。
 思いやりが必要ならいつでもおっしゃってください。思いやりを向けますので、どうぞ安心して過ごしてみてください。参考にしてください。一礼。

追伸:お礼メッセージありがとうございました。癒す方法が分からない!確かに最初は難しいけど、慣れることが大切です。これまでで、最も心が落ち着いたこことは何ですか?それを思い出して、その感覚に浸ることをまずしてみてください。分からなければアドバイスいたします。メールでもいいの御返事ください。字数制限でこの欄はここまで、ご縁に感謝申し上げます。再礼

2024年12月14日 23:04
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個別相談可能
お寺の法務(法事などのご先祖の供養)と 唱題行・写経・法話・カウンセリング、コーチングなどで活動しています。 メールでの相談も受け付けています。hasunohaの回答後のフォローアップはメールで致しておりますので、メールでお問い合わせください。また面接でのカウンセリングセラピーをご希望の方もメールで連絡をお願いします。 honsyoji.sk@ddknet.ne.jp へどうぞ。
昼間は、ほとんど法務に出ておりますので、夜の応対になります。 できれば、事前にメールで相談内容を教えていただければ、スムーズなセッションになるように思います。 プライバシー、相談内容の守秘義務は遵守いたします。

質問者からのお礼

お言葉で、「自分を責めている」ことに気がついて、愕然となりました。それに気づけただけでも、少し頭がすっきりしたような気がしています。
自分を癒すこと、抗いを見つめること、まだやり方がわからないですが、いただいた回答を読み返して、落とし込めたらと思います。優しい回答をありがとうございました。

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