なるべく早く死にたいです。
初投稿になります。
私はそれなりに多趣味なのですが、人と比べれば割と充実してる方なのですが、
40歳目前になり、将来親の介護が待ってたり、疎遠で精神疾患を持つ兄の世話もいつか自分がしなくてはならないのかと思い、仕事でも楽しみがなく、独身で孤独死することになるため、未来のことを考えるともう生きてても仕方がないと思っています。最近、なるべく早く死にたいと思うようになりました。私はなんでこんなに毎日苦しみながら生きているのか疑問で仕方がないのです。救急隊として人の死に目に会う機会が多いのも理由の一つかもしれません。仕事をしなければもちろん生きて行けず、その仕事の苦痛に耐えるために休みの日はストレスを発散できるようなことをし、でも発散しきれず、仕事の前日は必ず憂鬱になり、健康を維持するため運動を日課にしているのが義務としか思えず、仕事のために生きているとしか思えないのです。私の人生は無駄に思えます。死にたいけど、自殺は怖くて生きているようなものです。矛盾していると思います。せっかく入った職場では男職場に馴染めず、バカにされ、それでもコツコツ10年働いてきました。早くこんな人生終わらせたいです。このような考え方は変でしょうか。
お坊さんからの回答 2件
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命との対話と祈りで
せん 様 相談ありがとうございます。
あなたの今の思いは変でもなく、そう思っても仕方がない環境なのだろうと思います。日々、命と向き合う現場です。緊張感にさらされて精神的にも肉体的にもストレスがたまるでしょう。もっと息抜きをしてもいいと思いますが、ままならないのでしょうね。
私事ですが私の父が倒れた時、救急車には女性隊員が乗っていました。リーダー的な存在のようで、てきぱきと指示を出していました。さすがだと思いました。あなたもきっとそうなのでしょう。人の命を救うために懸命に頑張っていらっしゃると思います。もうその点において、人生は無駄ではないと私は思います。
他人の命を救うこと、これは尊いものだと思います。あなたに救われた命が輝くのです。その輝きはあなたにきっと恩恵をもたらすでしょう。目に見えないかもしれませんし、すぐに形として顕われるものではないかもしれませんが、輝きと感謝があなたに届いていると私は思います。今はストレスで感じられなくても、受けいれるようになると私は信じています。
救われた人の笑顔や感謝を思い浮かべればよいかもしれません。
過酷な現場に難しいかもしれませんが、笑顔や感謝があなたに癒しをもたらすように思います。
そして命とあなたは対話をしているように思います。
急を要する時でも他人の命と対話をしていると思います。
奇跡を祈ることもあるでしょう。
どのように会話し祈るのでしょうか?
あなたが祈るとき、あなたの命も命あるものとしての温かさ優しさそして輝きというものを感じているのではないでしょうか。
一冊の本を推薦します
岡田圭著『いのちに驚く対話』(医学書院)です。
あなたの人生が無駄でないことに役に立つと思います。
参考にしてください。
一礼
早死にできると良いですね
その気持ちはわかります。
昔から多くの人々が、悩み苦しみのない極楽浄土に早く往きたいと心待ちにしながら南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と念仏を称(とな)えて暮らしていたのです。
生きている限り、毎日毎秒の苦しみや宿題(苦しみへの対処)が無くなることはありません。
生き物から苦しみは無くならない。ただ瞬間ごとに苦しみ(宿題)の形が変わってゆくだけなのです。
ですが、あなたが本当に苦しいなら、家族を見捨てる選択肢もあるでしょう。
身内のいない障害者や資産のない要介護の高齢者でも、生活保護等の行政の助けを受けて暮らしていけます。
親族には一応扶養義務があるものの、現実には、扶養を断って役所に丸投げすることも可能なのです。
本当に苦しいときは、死ぬ前に、役所に頼る等の別の選択肢があることも思い出してみてくださいね。
また、希死念慮が何日も続く場合はメンタルヘルス不調の可能性がありますので、医療機関に相談し、必要なら休職も検討してみてはどうでしょうか。
さて、心は無常です。
瞬間ごとに新しい心、新しい自分。
なので、過去や未来への妄想雑念に囚われないようにして、「今・ここ」の苦痛だけなら意外と耐えられるレベルだと思ってみてはどうでしょうか。