人のためとは回答受付中
毎年3月11日になると考える事があります。
悲しみや苦しみを抱える人を見ると、
何も苦労せず生きている自分を恥ずかしく思う時があります。
たくさんお金を稼ぐ事もできず、募金もわずかな金額しかできない。
手の届く範囲の人の為になることしかできない。
人の役に立ちたいと思うだけで、体力も余裕もなくできる事しかできません。
人のためとは、どのように生きる事でなのでしょうか?
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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目の前のことに丁寧に生きてみようとするだけでも。繋がっている
目に見えて何かをすることだけが、凄いわけでも偉いわけでもないわ。
みんなそれぞれに、大切だなと思うことを、できる形でやっているのだと思うのよ。
誰かを想う日があっていい。気持ちを寄せて手を合わせたり。目の前のことに丁寧に生きてみようとするだけでも。
誰かと、何かと、繋がっている私なのです。
あなたの想い、伝わってきますよ。
ありがとう。
こうして一緒に繋がりながら、一瞬一瞬を大切にしましょうね。
つながりの中で
拝読させて頂きました。
あなたが人のためにと思い何かお考えなさっていくことそのものがとても大切ですし、尊いことです。
私達は一人で生きているわけではありません、沢山のつながりの中で生き生かされております。そうした中で少しずつでも人のために誰かのためにと思うことで沢山の方々へ優しくできたり、或いは自分が優しくされたり助けられたりします。
昨日私は宮城県石巻市のお寺様に行って沢山の方々と一緒にお祈りさせて頂きました。先に旅立たれた方々への思いを皆さんと一緒に捧げてきました。それがすぐにわかるわけではありませんが、きっとつながり届いていると感じます。
あなたがこれからも沢山方々とつながりながらお互いのことを尊重し思いやり健やかな毎日を生きることできますように、皆さんと一緒に心豊かに幸せを分かち合い生き抜いていくことできますように切に仏様や神様やあなたのご先祖様にお祈りさせて頂きます。そしてあなたを心より応援させて頂きます。至心合掌
質問者からのお礼
ご回答いただきありがとうございました。
「私は誰かの役に立っている」という実感が欲しく焦っていたのかもしれません。強欲でした。周りの人から少しずつ幸せに、焦らず、少しずつ広げていけるよう精進いたします。