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うつ病にも不妊症だった過去にも打ち勝つ心構えをお教え下さい!

回答数回答 2
有り難し有り難し 28

私は14歳の頃からうつ病を患い、今も薬を飲んで暮らしています。気弱ないじめられっ子で、何も悪いことしてないのに、なぜか、高校、大学、社会人、いつもどこでもいじめられて傷ついて生きてきました。
うつ病は辛く、ひどすぎる時には、突発性難聴や、拒食症と戦ったこともありました。

そんな私も一生懸命頑張って生きて、24歳で人並みに結婚し家庭を築くことができました。

しかし、待ち受けていたのは不妊症。自然に子どもは授かれず、もう29歳の今では諦めました。

諦めたはずなのに…いつもどこか心の中で子供を産めないことに負い目を感じていて、子供連れの家族を見ると悲しくなったり、時に無償にイライラしたり、してしまいます。

そんな自分も、愛する夫の子供を産めない自分も情けない限りです。

「人間関係が苦手なあなたには、ママ友関係も悩むだろうし、困難ばかりが予想され、育てられない。」
「自分の心一つ保てないあなたが子供を育てることに伴う苦労に耐えられないだろう」

周りにそう心配され諭され、確かにそうだな、と自分でも気づき、いつの日か、きっちり諦めたつもりでした。

でも、どこか寂しさを感じてしまいます。
これでいいのかなぁ?と自問自答してしまいます。
子供を授かれず今は、犬を飼っていて我が子のように夫婦で可愛がっています。

しかし、それも賛否両論あり、いつの日か来るペットロスに耐えられるのか?と、可愛がりすぎることを過保護と冷たい目で見られることもあります。

子供の居ない夫婦でも、心の健康でない私のような繊細な傷つきやすい人間でも、強く生きて、幸せな未来を歩むべくアドバイスをぜひ教えて下さい。
アドバイスお待ちしています。
どうぞよろしくお願い致します。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

遍路に出るのも一つの方法です

辛いですね。子供を持てない苦しみ。私も初めから子供を持てない体です。
でもそれをわかって今のご主人と結婚なさったのですから。幸せかと思います。
ペットロスはいつかきますよね。その前に自分の確立をしましょう。
僧侶は仏前において本来はセックスをしないことを誓います。今の僧侶はそうではない方が多いですが、本来はそうです。なので、子供がいないことは当たり前なのです。そのうえで、仏さまの世界に入っていきます。
まずは、現在のご自分の立場から、一番仏さまの世界に近いんだという幸せ。このまま仏さまとご縁を結んでください。
幸いご主人がいらっしゃるのですから話し合って、
お二人でできることを考えてみましょう。
一つは四国遍路をしてみること。子供がいたらなかなかできないですが、身一つなら、思い立ったらできます。歩いて30~40日かかりますが、仕事の関係で無理なら、まずは1泊2日あるいは2泊3日ぐらいで車遍路に出かけてみましょう。まったく違う世界を体験することで今までとは違った世界が開けてきます。千葉からだと遠いと感じられるかもしれませんが、成田から飛行機でピュンですよ。松山、高松空港へは定期便が出てると思います。悩むより実行あるのみです。

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おきもち

高野山真言宗権少僧正。高野山本山布教師心得。高野山大学密教文化研究所研究員...
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情けないより情け深く

うつ病、いじめ、その他の困難と共に過ごし、立派に結婚されたにゃんたださん。
情けない自分と仰っていますが、私はそう思いませんよ!
世の中にどれだけの人がうつ病やいじめに負けてしまうことか…

不妊のこと。完全に諦めることって、確かに結構難しいものです。
求めるものが手に入らない苦しみは、お釈迦様の説く絶対の苦しみです。
仏教の諦めって「明らめ」を意味します。
これは"辛いこと苦しいことがあるから逃げる"っていう意味じゃなく、"無理なものは無理とはっきりと受け止める"ことです。
例えばいつかくるペットとの別れは"逃れられないどうしようもないこと"と受け止め、ならばその限りある時間を精一杯過ごそう!ってするのが仏教的あきらめです。
だから、目一杯可愛がって何が悪いんですか!いいんですよ可愛がって(^^)

こういう逃げじゃない前向きな"あきらめ"を日々意識すると、知らない間に心が鍛えられます。
それを自覚できたら、またその時に新たな生き方が開けたりもします。

情けない自分と仰っていますが、どうせなら「情けない」って思うより「情け深い」人でいるようにしてみてはどうでしょう。
情け深いは「思いやり深い」という意味、つまり「慈悲心」です。
慈悲心は菩薩さまの心と言われます。
自らを責めないことも慈悲。
今いる旦那さんやペットや家族と愛情深く過ごすことも慈悲。
他の困っている人や悩んでいる人のために思いを配れることも慈悲です。
慈悲の心で世の中を見つめれる人を、心が弱く情けない人なんて言う人はいません!
言葉で言うより難しいことですけど、にゃんたださんならできるような気がしますよ(^^)

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有り難し
おきもち

困っている人や悩んでいる人にとって、仏さまの教えが少しでも良薬となれること...
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質問者からのお礼

大変温かな励ましをありがとうございます。私のこの貧しかった心がとても強く、あるべき方向に動かされました。情け深く、慈悲の心をもって、主人と愛犬を心から愛して、これからの人生を歩んでいきたいと思います。引け目や妬みを感じない人生を歩みたいです。僧侶様の励ましはなんとお礼してもたりません。この励ましは紙に書いてお守りのように持ち歩きます。本当にありがとうございました。この出会いを感謝します。

「鬱の症状・うつ病に向き合う」問答一覧

相反する気持ちへの対処法

本年もよろしくお願いいたします。 過去の質問の通り、私は6、7年ほど前からうつ病を患い、寝たきりに近い状態になりつつも何とか社会復帰を願っています。 今自分にできることをやって、今の自分を良くすることを考えるようにしたい。それは間違いなく本心のはずです。 でもどこかで、自分の心はそれを必ずしも良しとしていないように思うのです。 例えば、夜寝ようとしても全然眠れないとき。これでは次の日に用事があれば間違いなく影響してしまうのですが、何かイライラしている。そして、最近あったこととか、うつ病であることすら隠れ蓑にしてイライラに身を任せたり、怠惰をむさぼったりしてしまう。ドカ食い、ゲームやスマホの長時間使用などが止まりません。それでよくなるはずがない。 心のどこかで、変わることを恐れている自分がいるようなのです。 「社会復帰したくない、ずっとこのまま自由に穏やかでいたい、人生の波風を立たせたくない」・・・。 それこそ社会復帰じゃなくても、痩せなきゃいけないのにドカ食いしていたり、お金を節約しなければいけないのに豪遊しようとしたり、正しい道が分かっているのにいろんな理由を付けてそこから外れる行動をとってしまうことが多いです。 あるいは忘れようとした悪い記憶を思い出して、怒りが止まらなかったり、復讐まで行かずとも一泡吹かせることはできなかったのかなどと思ったりもします。 そういう部分も人間にはあるとは思います。うつ病の人が、心のどこかで「治してよくなろう」と思っていないから治療が進まず、後戻りすることすらある。そんな話も聞きます。 でも、「人間大なり小なりそういうものだから」「こういうことはよくある」でもう片づけたくはないのです。 自分としては、相反する気持ちも受け入れて、何とか悪い行動はとらないようにしたい。「正しい」「悪い」の判断が良いかわからないけど、「正しい」道から外れて「悪い」行動をすれば絶対後悔するのはわかっているのです。 相反する想いに折り合いをつけて、自分を壊してしまいかねない思考・言動を避ける。難しいのかもしれないですが、そういう事が少しでも出来るよう、アドバイス等あればご教授いただけますとありがたいです。

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期待されるのがしんどい

期待されることがしんどくて仕方ないです。この気持ちはどう考えれば晴れるのでしょうか? 指針になるようなお考えをお聞かせください。 以下、長くて申し訳ないのですが現状です。 ここ最近、鬱病にかかり数ヶ月休職したあと、元の職場に復職しました。 復職後はなんとか体調管理をしながら仕事をこなしていたのですが、この度、異動することが決まり、その件で感じたことです。 異動連絡のあった当初は「閑職に飛ばされるんだろうな」と思い、鬱の療養のことを考えても今より楽な仕事につかせてもらえるのは正直ありがたいなと思ってました。 ですが蓋を開けてみると「花形部署」勤務。今までと全く違う業務内容に花形部署ならではの質と量を求められることになりました。 こんなことをされても鬱病だから無理だと訴えても「優秀だから辞めてほしくない」「だから一番やりがいがあって、かつ、調整が効く部署に配属に決めた」「できる範囲の仕事をやってくれたらいい」と言われるのみ。 周りに相談しても二言目には「優秀だから期待されているんだね」「優秀なんだし、そんなに頑張らずにやればいいんじゃない?」との反応。 だんだん周りに「辛い」と相談しても自分の優秀さや会社に評価をされてるという自慢をしているような雰囲気になって、誰にも相談ができなくなりました。 私は一度もその部署に行きたいとも、出世したいとも言ったことはありません。 今の部署も出世するルートのある部署ではなく、マイペースにやれる部署でした。 それに私は優秀なのではなく、真面目で言われたことを言われたままにコツコツやるタイプなだけです。 ですが、その性格も鬱病で駄目になりました。なのに周りはまだ期待をかけてきます。それに応える必要なんてないはずなのに、応えてもらえなくて悲しむ相手を見て罪悪感がわいて、つい頑張ってこなそうとしてしまいます。 毎晩、どうしたらいいか分からなくなって、悲しさだけがポツポツと湧いてきているような状態です。とても悲しくて、やるせなくて、しんどくて辛いです。 どうかこんな私に、何かお言葉をいただけると幸いです。 よろしくお願いします。

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母が鬱かもしれません

鬱かもしれない田舎に暮らす母への適切なフォローと、これからの私の心持ちで漠然と悩んでいます。 60を超えた母がいます。この間、痙攣を起こし、救急搬送されました。検査の結果体に異常なし、心因性ではないかと診断されました。 田舎で父と父方祖父母と暮らし、近いですが別の地区に母方祖父母が2人で暮らしています。高齢な親たちの面倒を、母がひとりで面倒見ているような状態です。 私の姉に子が生まれて里帰りをしたり、母方の祖父母が立て続けにガン手術をしたり、相続周りの話をしても聞く耳を持たない様子だったりと、去年から心が忙しない日々を送っており、時折激しく家族の愚痴(父の兄弟が義父母の面倒をみないことなど)をこぼすこともありました。福祉に明るい姉には、鬱傾向を相談していたようです。 母は以前から、パニック障害のようになり呼吸が苦しく飛び降りてしまいそうな気持ちになることがあったり、プライドが高く自分で全部やろうとするので頼るのが下手だったりします。 父は母が居ないとダメになってしまうのが目に見えてるような人で、責任感はありますが急に気性が荒くなるので話し合いがあまり得意じゃありません。(私たち子どもも昔からうんざりです) 母には精神科受診を勧めました。最近私自身も心が疲弊し精神科受診を体験したので、そのエピソードも交えて。ですが田舎のため、精神科が圧倒的に少なく、適切なカウンセリングが受けられるかもわからず、またどこに行っても誰かしら知り合いがいるため、精神科受診のことを変に噂しそうな田舎独特の空気もあります。母自信もそこをかなり気にしており、都会はいいわねとこぼします。 そばにいて、優しく話を聞いたり、病院選びに付き合ってあげれたらいいなと思いますが、私が都内で働いているため、なかなか難しく。 父に任せるしかありませんが、母を想うより先に自分の不安が苛立ちに変わってしまうような甘ったれな部分もあるため、日々の中で母がさらに落ち込まないか心配です。その辺りも姉と相談しながら、適切な医療にアクセスできるようフォローはしたいと思っていますが…。 元気だった母のこんな姿に、私も少なからずショックがあります。このような時の心持ちのために、何かお言葉をいただけたら、私自身気を強く持てるかもと思い、ご相談しました。 乱文申し訳ございません、よろしくお願いします。

有り難し有り難し 19
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産まれてきたことを謝罪したい

鬱が非常に酷く、特に罪業妄想の症状に悩まされています。 最近は「産まれてきたことをどうにかして償わないと」という妄想が 毎日頭の中を反芻し、それ以外のことが考えられなくなることが多々あります。 仕事をしている間は、まだ気が紛れるのですが、土日は布団の中で時間がすぎるのを願い、 ただ時間が流れるのを待つだけの日々が続いています。 皆は時間が資産だというのが羨ましいです。私にとって寿命は途轍もない負債です。 ただ、いま自殺してはいけないのはわかります。職場や家族、親族に迷惑をかけてしまいますし、 それによってダメージを受ける方や、後処理に手を焼く方々が居るのは十分承知しています。 具体的な質問ですが、仏教では産まれてきたことは罪なのでしょうか? その罪を償うとしたら何をしたらいいのでしょうか? 寿命をまっとうすることが罪への償いなのであれば、苦痛に耐えられる自信がありません。 また、幸福の追求は義務であり、不幸に甘んじることは怠惰なのでしょうか? 今は非常に不幸ですが、それを打破するために動く体力が無く、 それを無理矢理にでも生み出そうとすると、それも不幸に直結します。 最近は産まれてきてごめんなさいという、両親に対する罪悪感で気が狂いそうです。

有り難し有り難し 6
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鬱状態が5年程続いている

高校を卒業してから今まで5年間、ずっと現在進行形で鬱状態です。 去年の10月から今年の5月まで少しでも体調を良くしたく精神科に通っていましたが、言いたいことをあまり言えず、先生も自分にはあまり合わないと思った為現在は通っていません。 高校を卒業してから専門学校や社員としての生活を無理してやっていました。 友達ともあまり会わなくなってしまい、生活するのがつまらなくなってました。 当たり前のことですが、高校卒業後は人生自体を自分で決めていかなければならないので、正直今でもこれからどうやって楽しんで生きればいいか分からないです。 生き方自体を見失ってます。 今からでも自分自身と生活を変えたいとは思っていますが、5年程の鬱の日々に対して未だに後悔が消えず、全く前向きに行動ができないです。 若い頃の年齢を無駄に過ごしてしまったと思っています。 高校を卒業してから、一年一年も早く過ぎていくと感じていて怖いです。 趣味も幾つかありますが、この鬱のせいで心から楽しむことが出来ません。 楽しい人生にしたいのですが、私はどういう気持ちでこれから生きていけばいいのでしょうか。 出来ればこの後悔を消し、少しでも前向きに生活し自分自身にも自信を持ちたいです。

有り難し有り難し 6
回答数回答 2

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ