お金以外のことへ感謝する方法回答受付中
お世話になります。
株で借金を作った主人への不満の相談を過去にさせていただきました。
私は自営業で、主人が自身の事業に過去失敗、株に失敗した後、私は主人を見捨てられず、自分の会社で主人にお給料を支払い、働いてもらっています。(コンピューターワーク)
自営業なので時間に縛りはとくにありません。
主人は、私が働きやすいように、子供の学校の送り迎えや、習い事の付き添い(週5日)、
また、私は月に1〜2回、7日程の出張に出て帰宅できないため、その間は主人一人で子供の世話を全て行います。
しかし、私はこうしたことに感謝ができません。
年齢は主人が私よりだいぶ上で離れていることもあり、私はつくづく
・事業や株で失敗して私の会社で主人が働いているのか。
・年上なのに私がお給料を渡して雇っているのか。
という考えが頭から消えず、いつからか主人を男として見れなくなりました。
毎日のキスも私からやめたため、本人にも伝え、その理由も知っています。
周りの友人やママ友は、旦那さんが有名な医者だったり、スポーツ選手だったり、ご主人の稼ぎだけで遊んで暮らしているように見え、羨ましいというよりも、私が主人まで養っていることにプライドが傷つけられ恥ずかしくなります。
私の子供の時、母も父も共働きでした。母もそれなりに稼いで家族を養っていましたし、そんな両親のおかげで貧しい思いは一度もしませんでした。
主人は、裕福な家庭で育ち、主人の母はお嬢様ということもあり、ずっと専業主婦をされていました。
彼は、専業主婦だったお母さんへの感謝ができていると思いますが、私はお金を稼ぐこと以外への感謝ができません。
したがって、主人が子供の面倒を見てくれていることへの感謝ができません。
私が稼いでいるお金は主人のサポートがあってこそ。ということは頭ではわかっています。
しかし、どうしたら、そこに感謝ができるのでしょうか。
主人は私のことを愛してくれていて尊敬してくれていますが、私は同じように愛したり、尊敬できなくなりました。
仲が悪いわけではなく、毎日散歩にいったりしますし、喧嘩も滅多にしません。
ただ、主人を男としては見れません。
もう一人子供がいるような感じです。
私が主人に感謝することで、主人への愛が少しでも戻ったらと思っています。
こんな私にアドバイスをいただけないでしょうか。
結婚8年目です。子供あり。 周りから見たら羨ましがられるが、現実は借金まみれ 自殺は怖くてできないですが、早く人生終わって欲しいと思う
借金を作った主人 他人と自分の人生を比べてしまう 主人を男として見れなくなった
お坊さんからの回答 4件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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『懺悔(さんげ)』。
はじめまして。浩文(こうぶん)と申します。
投稿者様の
「どうしたら主人に感謝できるのか」という想いから
とても誠実な方なのだなと推察いたします。
大変な出来事があったにも関わらず、
自ら事業に取り組まれ、日々の生活の態度まで
「どうしたら感謝できるのか」という
あくまで”自分事”として物事をとらえていらっしゃる。
感謝できないのを人のせいにせず、
わが事として考えられる投稿者様は
とても貴重な方ですね。
そんな方に何を申し上げればいいか
悩ましいです。
感謝という言葉は
たいてい、相手に何かしてもらったからお礼を言うようなイメージですね。
協力してもらってるんだから感謝しなければと。
でもこれは、自分自身に心の余裕があるからこそ
できることですよね。
心の余裕がない人は、
形だけ感謝を伝えることができても
心から感謝できるかというと
そこまで求めるのは酷だと思うんです。
そして、心の余裕がないことは
誰しもがありうることですから。
どんなに偉い人だって、素晴らしい性格の持ち主だって
心に余裕がなくなれば
人に感謝することは難しいのではないでしょうか。
仏様が諭している中に「懺悔(さんげ)」という言葉があるのですが
ザンゲといえば”謝る””許してもらう”という意味ですね。
でもこれはもともと誰かに謝るのでも許してもらうのでもなく、
”自分自身に謝る”、”自分自身を許す”というように
自分自身に向けた言葉が懺悔なんです。
”感謝”ももともとそういう意味だったんではないかと
私は推測しているんですが。
感謝とは、自分以外の誰かに向けた言葉ではない、ということですね。
自分にお礼を言う。
自分に感謝を述べる。
自分を許してあげる。
これが”懺悔”の基本になります。
仏教ならば仏教の文脈で
教えに従いながらも、その通りにできない自分がいる。
でもそんな自分を責めるのではなくて
許しながら教えに向き合っていれば
必ず悟れるよ、
とそんなふうに意味づけされているのです。
逆説ですが、
「感謝できない自分を許してあげること」。
それが感謝という気持ちにおける
一筋の光ではないでしょうか。
「自分事」として物事を背負う投稿者様だからこそ
”自分を許してあげること”は
とても素晴らしい意味を持っていると
私は思います。
南無釈迦牟尼仏 合掌
頑張りすぎな貴女へ
ご相談ありがとうございます。
毎日つらいさんの名前の通り、つらいさんの抱える感情は、非常に複雑で深いものだと感じます。長年にわたり、ご主人を支え、ご自身の事業を成功させ、家庭を維持してこられたことに、心から敬意を表させていただきます。(合掌)
さて、現在の状況で感謝の気持ちを持てないことに対して自己嫌悪を感じる必要はありませんよ。これは、つらいさんが頑張りすぎていることや心に余裕がないことが原因のように感じました。
今の状態では、自分を後回しにしてしまい、心の余裕がない状態が長期にわたって続いていますよね。
そして、自分を保つためにも楽しかった過去の体験を思い出し、それが現在の状況と比較してしまいさらに落ち込んでしまう。
この状況は、仏教で説かれている「執着」の状況に近い状態ではないでしょうか。
「執着:しゅうちゃく」とは、自分の思いや欲望、過去の経験などにしがみつき、それが満たされないと苦しむ心の状態を指します。
つまり、背負っているリュックの中に、過去の思い出、大切にしたいこと、「本当はこうあってほしい」という思いがパンパンに詰まっている状態です。
毎日そのリュックを背負って歩くと、肩は凝るし疲れるし、心も体も柔軟に動けなくなってしまいます。「執着」があることで、心の自由も失っている状態なんです。
「執着」を乗り越えるために仏教では、①「今を直視し、事物は刻々と移り変わることを心に刻むこと、②慈悲や喜捨の実践で他者への思いやりを養うこと、③感謝の習慣を持つことで心のバランスを整えることと教えています。
ただ心身がつかれているときは、実践することが難しいですよね…
ですから、感謝の気持ちを持てないときは、無理に「ありがとう」と言う必要はないと思います。まずは、心の中で自分自身の気持ちを否定せず、そのままを感じてあげること。
そして、少しづつでもいいので、日常の中で小さな「ありがとう」と感じれそうなことを見つけてみることから始めてみてはいかがでしょうか?
最後に、自分自身の気持ちを確認する時間を作ってみてください。例えば「座禅」「瞑想」などです。
忙しいとどうしても自分自身へ使う時間が無くなってしまうので、その時間を5分でもいいから確保してみてください。そして自分自身が疲れていることを自覚出来たら、自分自身を甘やかしてくださいね。
感謝って些細なことの実感。夫さんの良さにも気づいていこう。
夫を扶養しているのは、私も同じです。しかも夫のお寺に嫁いで、私は一からスタートで今があります。
夫婦や家族、同じ屋根の下で生きている同士、共有するものや使う時間が、家族のために費やすこともありますよね。だから、お互いさまな部分もあります。毎日毎回が感謝かと言われたら、私も別にそこまで思わないですし、出来る人がやればいいと思っています。ただ、夫ができないから私がやってあげているとは思っていません。
夫婦なんてそういうものじゃないでしょうか。もちろん、実感した時は感謝です。毎日が慌ただしく流れていきますから、実感しないと なかなか感謝まで生まれないものですよね。
ですが、仕事が好き、外に出るのも好き、子どもや家族が大事。自分が好きでやっていることなら、それでいいんじゃないでしょうか。
結局は、今が何かしら不満で、稼ぐのは夫であってほしい自分がいるのかも。
夫さんに愛を持って接していけるよう、夫婦の時間をたくさんもってみませんか。一緒に料理を作ったり、買い物をしたり、ちょっとした時間でも一緒に過ごすと、(荷物を持ってくれるんだ〜声かけてくれたわ)なんて嬉しいなって優しさを感じて、その積み重ねが感謝になってくるのではないかしら。
感謝って、些細なことの実感かもしれませんよ。夫さんの良さにも気づいていけますしね。
それとも、バリバリ働いてお金を稼いで、家族や妻を引っ張っていってくれる男性に、魅力を感じるのかな。
あなたが、夫さんのどこに魅力を感じるのかにもよりますよね。
夫がいなくなった場合を想像してみる
夫がいなくなった場合に、夫がやってくれていること全てをあなたがやる必要が生じます。
もちろん、お金を払ってお手伝いさんや会社の社員を雇えば夫の代わりになるかもしれません。
散歩に独りで行くのも淋しくないかも知れません。
レンタル家族(お金を払って1日だけ夫や父親を演じてもらう)というサービスも世の中にはあるらしいですね。
ただ、やはり本物の家族だからこそ柔軟な時間で働いてくれる部分があり、お手伝いさんや従業員では対応が難しい内容もあります。
ということで、夫が普段やってくれていることを全て時給換算してみてはどうでしょうか。
それで、「こんな夫でもいないよりはマシ」と思えたらそれでお得感が出ます。
無理に夫を尊敬する必要はないと思います。
自分よりも劣っている配偶者だって良いと思いますよ。
ただ、善悪の価値観が近い(人徳のレベルが近い)相手の方が夫婦としては上手くいく気がします。
夫の善悪の価値観は、あなたにとって居心地良いでしょうか?
あと、形だけでも「ありがとう」と口に出すと、脳が後追いで感謝を感じる可能性もあると思います。